未だに燻る罪悪感
親友と言っても差し支えないほど仲の良かった中高時代の先輩の方がいました。部活動が一緒でとても仲良くしてくださった方です。
女子校でしたので冗談で「カップルのよう」と周りから言われるほど、ただの先輩後輩以上に仲良しな関係で、おそらく周りからは疑似恋愛をしているようにも見えたでしょう。確かに一緒に過ごす時間はとっても楽しいもので「この方のような男性がいたら彼氏としてお付き合いするといいのかな」と思うこともありましたが、かといってその方本人を恋愛対象として捉えることはありませんでした。
先輩がご卒業されたのち、私の部活の引退を個人的に祝ってくださるということで一緒に出かけました。忙しさを忘れて大好きな方と過ごせることにとても舞い上がっていた記憶があります。
しかし、このお出かけの別れ際、先輩の方からわたしのことが恋愛対象として好きだと、付き合って欲しいと告げられました。
本当に心から尊敬し、大好きな先輩の言葉だったのに、その瞬間血の気がひいてしまうほど心が拒絶反応を示しました。
先輩も悩んだ末告白してくださったはずなので、はっきりと答えなくていいと言ってくださりそのまま解散となりました。
面と向かって会ったのはこれが最後です。
それから2日3日かけて考えた末、私には同性の方とのお付き合いができないとメールの形でお返事をしました。
「驚かせてごめんなさい、これからも友人として仲良くして欲しい」とご丁寧な返信メールを頂いたのですが、それ以降わたしから連絡することはできませんでした。こんなことを思う資格はありませんが先輩のことを怖いと思い、それ以上の接触の機会を恐れてしまったんだと思います。
あれから数年が経ちますが、未だにその方を敬愛していたという想いや記憶は残っており、時折思い出します。やっぱり友人としては大好きだったんです。
私はノンケです。ここ数年でそれが覆ることはありませんでした。でも、当時先輩に対して勘違いをさせるような言動があった事は認めます。だからこそ今でも罪悪感が重く心にのしかかります。
この罪悪感はどの様に理解するのが一番いいのでしょうか。正直苦しいです。一生足枷のように思い出さなければならないのでしょうか。またいつか先輩とお話しできる日が来るのでしょうか。分かり辛い文章となり大変恐縮ですが、どうかよろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
いろんな経験が、自分を豊かに深くさせていくものですよ。
素敵な出会いや時間を過ごされたのだと思いますよ。
恋愛対象以上の、人として尊敬でき、居心地良いパートナーだったのです。あなたにとって。そんな人に学生時代に恵まれたことは、幸せなことなんじゃないかな。
どんな出会いも、抱く気持ちも、その奥にある秘めた想いを打ち明けられた(見せられた)ときに、現れる心の揺れは、誰にも読めないものです。自分自身も。
先輩は、あなたと過ごす中で、あなたを特別な存在として想いを募らせていかれたのでしょうし、それを あなたにだから打ち明けられた。
あなたも、先輩の想いを知ってしまったから、今までのようにはいかない気持ちが生まれたのよね。
二人の関係は、良好だったでしょう。
ただ、その先の望み方が違ったのです。
あなたは、このままの関係を。
先輩は、より深く繋がりたいと。
恋愛において、互いに求めるものが違えば、お断りすることもある。それは自然なことです。
あなたは、きちんと返事をされたのですから、罪に思うことはないわ。
先輩との時間は、恋愛をしていたのではなく、楽しい学生生活だったのですよ。
いつか、その思い出を大切に出来るようになればいいですよね。
先輩にも、また良き出会いがあることを。
これから先、どんな形でご縁が整うか わかりません。
もしお会いする日があれば、大切な時間をありがとうと、懐かしむことができたらいいですね。
必要のないことであれば、いつの日か 忘れてしまうかもしれない。
それはそれで、あなたの人生の一ページになるのだと思います。
いろんな経験が、自分を豊かに深くさせていくものですよ。