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孤独で消えたい気持ちです

回答数回答 2
有り難し有り難し 51

早く死にたい、消えたい気持ちでいっぱいです。
結婚、出産が夢でしたが、もう叶いそうにないです。
周りに嫌われているように感じてしまいます。
私が変わっているからなのか、誰にも愛されない人生にもう疲れました。
自殺は親が生きている間はできないので、苦しい毎日です。こんな娘で親に申し訳ないです。
頑張りたいけど嫌われてしまいます。
どうしたらこのままの私で好きになってもらえるのかわかりません。
誰も信用できず苦しいです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

観点を変えるときが今

拝読させていただきました。

孤独感を抱かれ、心に苦しみが生じていますことお察しいたします。

人は求めることを病まない生き物です。仏教では四苦八苦と説き、四苦八苦には8つの苦しみがありまして、誰もがこの8つの何れかに値し、悩み苦しみを抱えているものでもあります。また、すべての人々は苦しみの中で、生きていることを一切皆苦とも申します。

人は他人と比べることで、自身が何かに衰えていたり、すぐれていないのかなと自信を失くす方も少なくありません。
他人と比べる観点を変え、比較する心があれば、自身に徹する生き方をすることで、迷い、比較することが、徐々に減少していき、自信が戻ってきます。

結婚するから幸せではありません。婚姻中であっても、夫婦仲は冷めてる家庭もあり、外部から良く見える家族では、周囲からの評価に疲労し、家庭内では形に捉われた生き方に苦しみを抱えていることもあります。

また、子どもが生まれても、子どもが事故や病気にかかり、先立たれるといったご遺族さまもおられ、苦しみの中を生きておられる人々もおられます。

私たちには「煩悩」があり、その煩悩が欲求へと変貌を遂げていく一つの病でもあります。煩悩も他人へ施す方向へ手向けることで、自信も救われていくということを人は中々、信じることに忍耐が足らないものでもあります。

かの仏教の開祖でありますお釈迦さまはこのように言ってます。
「水を汲み出したならば、舟は軽やかに進むであろう」

このお言葉はまさに煩悩とともに私たちは人生を歩んでいることから、いつも影のように煩悩はついてきており、離れることはできません。
悪因悪果、善因善果、自因自果となります縁起では、自身の煩悩を軽くすると重くするも自分自身なのであり、その重たくなっている煩悩から溢れる思考を徐々に軽く(捨てる)ことで、人生が軽くなっていくものです。

・何かに偏っていないか?
・何かにこだわっていないか?
・何かに捉われていないか?

かたよらない、こだわらない、とらわれない「こころ」を持つことが、般若心経でいう「空の心」であり、人生を楽しむという考え方はまだ先のことで、今の心の荷物を一旦捨てていき、心中の荷物を軽くしていきましょう。

きっと、これからの人生に光が届きますことを仏さまは見守ってくれています。

合掌

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有り難し
おきもち

祈るこころに佛心が宿る。 変化多き時代を生きる私たちにできること、それは...
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まず、ご自分を好きに

人に好かれたいけど、周りに嫌がられているような気がする、、、そんな気持ちがするのは、
あなたが変わっているからでも、何でも無く、おそらくは
あなたがご自分を好きになれていないからでは無いかと思います。

あなたは、自分を好きになんてなれないと思うかもしれません。しかし
自分で自分を理解して、そのままの自分を好きになれれば、そして大好きな自分に自信を持って大事にすることが出来たなら、自然と人はあなたの周りに集まってくると思います。

すぐには無理かもしれませんが、まず、ご自分を許すということをなさってください。
おそらくご自分のいろんな部分が許せないのではないですか?
自分を責めている自分を感じた時は
自分を許す!自分を許す!
と呟いてみてください。

そして、大丈夫大丈夫!
私は私が大好きだよ!とご自分に呟いてみてください。

時間がある時には、ご自分の良いところを探してみてください。本当に小さなことでかまいません。よしよしとご自分を褒めてください。

きっと最初は辛いかもしれませんが、良かったら試してみてください。

ご自分の思いが、外の環境を作り出すと言っても過言ではありません。
ご自分を嫌っていたら、たとえ、誰かがあなたのことを好きだと思っていても、あなたの目にはそうは映らないのです。

ご自分を少しずつでも、好きになると、自然と周りの様子が変わっていくと思いますよ。

それに、ご神仏はいつもあなたを愛していますよ。

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有り難し
おきもち

仏道に入門して39年が経ちました。 死ぬまで修行を続けるのがお坊さん...
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質問者からのお礼

悟東様
お礼が遅くなり申し訳ありません。
そして回答を頂きありがとうございました。

自分を好きになること..今まで試みてもできなかったことです。
自分には価値がない、いなくなっても誰も悲しまないだろうと今も思ってます。

だけど、やっぱり自分を好きになることは必要なことであると気づかされました。

難しいかもしれませんが、少しずつ好きになれればいいなと思います。
温かい言葉、本当に嬉しかったです。
ありがとうございました。

法源様
お礼が遅くなってしまい申し訳ありません。
そして、回答を頂きありがとうございました。

自分はこだわりすぎているし、偏ってもいるし煩悩だらけな人間です。
そうあるのも自信がないのも自分自身のせいだと思っています。

それももしかしたら、考え過ぎているのかもしれません。どうせ消えるとしても教示頂いたように一度空になり、一からスタートするのもいいかと思えました。

プラスな考えを与えてくださり嬉しかったです。
本当にありがとうございました。

「孤独と向き合う」問答一覧

孤独の力に負けてしまいます

何度かご相談させていただいております。寂しさ、孤独については3回目くらいのご相談になります。 私は孤独を感じるとネガティブスイッチがオンになり、自分が可哀想な理由を思い出の中から引っ張ってきたり(過去に傷ついた出来事など)、涙が止まらなくなったりして、目の前の事に集中できなくなります。幸い、誰にも迷惑かけない程度に自分の心の中にネガティブは収まっているのですが、自分にとって大変迷惑で、今年はこうなってしまう自分を卒業したいです。 現在、恋人はおらず、友達はいますが、この状態になった時にすぐ電話をかけられる人はいません。友達はみんな違う街に住んでいるので、なかなか会えません。時々電話はします。できれば、自分で自分の感情を落ち着かせたいです。 また、今どうしても頑張らないと行けないことがあるので、地元のコミュニティに参加するなど余裕はありません。もちろん、余裕ができたら参加していきたいとは思っています。 前より自分を客観視できるようになって、ネガティブスイッチが入った時、このまま行くと自分を可哀想だと思い始めて、記憶を漁り出すな、と認識できるようになりました。ここまではうまく行っているのですが、寂しい気持ちを処理できずにどんよりして、集中力が落ちたり、眠れなくなったりします。眠れない時は次の日にも響いて、ネガティブを持ち越すこともあります。 寂しい気持ちはどこにやってあげたらいいでしょうか。ネガティブな感情との向き合い方のヒントをいただけると幸いです。宜しくお願いします。

有り難し有り難し 4
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将来親が死ぬことと自分が孤独になること

中年ですが親の死が怖くてたまりません。 先日祖母を亡くして以来恐怖が強くなり、夜眠れず、朝から突然涙が溢れます。 私はひとりっ子で同居しています。 日頃から絆を感じる友達はおらず、新しい仲間を作りたいと思い行動してもうまくいかず、一人きりです。 親とは他の仲の良い家庭と違って行動は昔から常に別々ですが、今思うと私の人生は親が全てだったと感じます。 本当に何もかもお世話になっていて、たくさん反発しましたが精神的にも常に助けられて来ました。 そのことに気づかないくらい当たり前になっていて、それくらい当たり前のように救われて来ました。 こう書いていてまた涙が溢れます。 若い頃に社会不適応と診断されたことのある自分は職場でも孤立しているため、一般的な大人のようにフルタイムで働くことがとても厳しいです。 でもなんとか自分のものになるようにと、今の職場で新しい勉強に取り組んでいる最中ですが、なぜか身が入らず、メンタル的にも不安定で、将来が怖くて怖くて仕方ありません。 今親は健康で、家事は家族全員で分担し、うまくやっています。 でも当然ですがこの日常はいつか終わります。 だれもが通る道だしそれが世の常だ。って分かっていても、どうしようもなく怖くて、毎日が本当に本当につらいです。 恐怖が心から消える瞬間がほとんどありません。 どうすれば、今目の前なことに集中して、心を穏やかにできるでしょうか。 また、こんな自分が今後孤立して孤独にならない方法はないでしょうか。

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なぜかいつも一人

子供の頃からふとはぐれてしまったり、輪に入れずに一人になってしまうことが多く、ここのところはやっぱり週末も誰かと過ごすというよりは一人で出かけたりということばかり。 誰かとつるむことがそれだけで良いことかといえばそうではないだろうし一人でいる時にはないトラブルや悩みもあろうかとは思います。 他人で自分の穴を埋めようとしてはいけないとは思います。 外国人の友達はよくできていた頃があって、それでも彼らは帰国して物理的距離に反して会いに行けば大丈夫なのですが親兄弟には言われぬ日々の暮らしでの喜び悲しみを共有する相手がいなくて、それは少しつらいです。同時に、一人いればそれはふと虚しさに襲われて、一人でいない時もやっぱり虚しさに襲われて、でも何かを誤魔化す、紛らわすツールとして誰かと一緒にいたいというわけではないとは思ってます。 虚しさ、これが人をして私から遠ざける何かなのかもしれないです。 飲み屋だスナックに行って人恋しさを紛らしている自分がなにを求めているのかもわからないです。コロナ禍の時に父親が極度の警戒心から出歩かないでくれと言っていた時期には達観した気になって私なら孤独感に苛まれまいと平気を貫いてきたかにみえたのですがつらいのは果たして孤独感なのか、自分の声が誰にも届くことない感覚、あ、それも孤独感なのか。 これとても数十年したらみんないないんだろうなとかやっぱり独りになるんじゃなかろうかと、要らぬ心配なのでしょうがまた虚しくなり。 結局は他人は変えられないし自分だって思うようには操縦できないし、世界は自分のためにあるわけではないし思い通りにいかなさを納得するとか泣き出したいこんな気持ちを飼い慣らすかする術をどうにか身につけたいです。

有り難し有り難し 8
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ