初盆を迎える
何度も何度もお世話になっております。
最愛の妻を亡くし、初盆を迎えようとしています。7ヶ月弱ですが、とても寂しい毎日です。どこに行っても思い出し、テレビを見れば行ったことがある場所が映ったり、息子の野球や娘のテニスに行けば一緒に観戦していたはずです。成長も楽しみにしていたはずで、子供の追っかけが夫婦の一番の楽しみでした。それが、私一人で行くと楽しさも半分です。
写真を眺めれば涙し、寂しく会いたくなります。自死も考えたりもしましたが、子供を残すわけには・・・
妻の服を整理しようとしても手につかず、涙ばっかりです。今は、心療内科に通院しながら、仕事をセーブして過ごしています。ソファーに横になっているのが唯一楽な気持ちになれます。こんな状態は永遠に続くのでしょうか?生きる意欲さえなく、何を楽しみに生きていけばいいのか、最低限子育て終了したら早く死にたいです。
思いのまま文を打ってしまい申し訳ありません。立ち直れない自分が情けないです。
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法要を通して、子供さんたちの成長を報告してあげましょう。
大切な方を亡くされた悲しみを癒すには、どうしても時間がかかると思います。でも、辛いけれど、お子様たちのために頑張っておられると思います。
これからお子さんたちが成長するにつれて、お子さんたちもいろいろな壁にぶつかります。子育てでも、いろんな壁にぶつかります。でもね、亡くなられた奥様がきっと助けてくれます。支えてくれます。亡くなった人間が助けてくれるとは思えないかもしれませんが、助けてくれます。
お子さんたちが辛い時、苦しい時、やる気が出ない時、「お母さんが見ているよ。」という一言があれば、お子さんたちにとって大きな力となります。お母さんの一周忌の時、いい報告ができるように勉強もスポーツも頑張ろう。」と声をかけてあげましょう。
そして、一周忌の時、頑張った結果を報告してあげましょう。目には見えなくても、きっと奥様はお子様たちを見守り、励ましていると思います。いい結果なら褒めてくれます。残念な結果なら慰めてくれます。
仏教教理学的には考えると、極楽は遥か遠いところにあると思われます。でも、民俗学的には亡き人々は結構近いところに居て、年回供養を重ねることを通して、魂が浄化されて高いところ遠いところに昇っていくと考えられています。亡くなっても初めのころは近くの山に居ると考えられてきます。清心宗和様が落ち着くまで、奥様は近くに居てくれると思います。
まもなくお盆です。地域地域で風習の違いはありますが、迎え火を焚いて奥様をお迎えし、仏壇か精霊棚に位牌を祀り、お食事や故人の好物を供え、みんなでお焼香し、奥様がその場にいるような気持ちで思い出を語り合いましょう。
どうぞ、そのままでいいんですよ。
そちらの地域にも
ご遺族の分かちあいがありますので
その気が起これば参加して
ご自身の今のお気持ちを吐露したり
他の方々のお気持ちを聴いてみてください。
最愛の妻を亡くされたのですから
立ち直れなくて当然です。
どうぞご自身を責めないでください。
質問者からのお礼
和田様
ありがとうございます。
分かち合いに参加してみようと思います。
吉田様
ありがとうございます。子供二人と一緒に頑張ってみようと思います。妻も天国から見守ってくれていると思います。お盆は私なりできる限り準備したいと思います。