好きでもない人と付き合った挙句死なせた。
私は去年の8月に失恋をしてしまい、その時ヤケッぱちになって、好きでもない女性と付き合い始めてしまいました。
その女性は精神障害を患っており、歳の差+10歳、無職、高度肥満、不潔、癇癪持ちで非常に世話が焼けます。 自殺未遂も2回やって(飛び降り)ICUの世話にもなっていたようです。
良いところもあるのですが、精神が不安定になると癇癪を起こしたりして、どうしてもその人の良いところに目を向ける余裕がありませんでした。
はっきり言って、とてもじゃないですが恋人としては見れなかったです。
ちなみにその女性は、私のことを非常に溺愛しており、一生離れたくないと言っていました。
しかし私は一緒にいてあまり楽しくなかったです。
身なりも汚く、手を繋ぐのも不快でした。
でも、今私がその人と別れたら、自殺してしまう可能性が高く、不安でズルズルと付き合ってしまいました。
去年の12月には初期費用や引っ越し費用など全て彼女負担で私の住む街の近くまで引っ越してきました。
その人はもう私と同棲するつもり満々で居たようで、度々アプローチを受けていましたが、私は仕事や家庭のことで言い訳を続けて、それを先延ばしにしていました。
しかし、とうとう私は良心の呵責に耐えれなくなって別れ話をしました。
今年の1月末あたりのことでした。
相手はかなり感情的になりましたが、黙って殴られていたら「わかった」と言って納得してもらえ、ひとまず一件落着かと思いました。
が、つい最近、その人が部屋の中で自殺していたことが、親御さん経由で伝えられました。
自殺したのは私が別れ話をしてから一月後のことだったようです。
死んでしまったとわかると、やはり気持ちにトゲみたいに残るときがあります。
かといって、私も死にたいほど苦しいかといえば、そうではなかったです。
むしろ、自営業でやってたAmazonでの食品や衛生用品の販売や、ヤフオクの売り上げがかなり伸びたり。
ひょんなことから、もともと付き合っていた人とは復縁を果たしており、良い事が増えてます。
しかし、昔ほどの幸福は感じないです。
上にも書いた通り、その人は過去にも自殺未遂は度々やっており、精神病も抱えていた人なので、私と出会わなくても自殺は起きていた可能性は高いですが、
やはり私が、その人を殺した事になるのでしょうか。
それともこれは考えすぎなのでしょうか。
終わったことをいつまでも後悔して先に進めない。 恋人を忘れることができない。 努力しようとしても心が言うことをきかない。 自分のこともできないのに他人のことが放っておけない。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなただけのせいではない。
そして
その人だけのせいでもありません。
様々な要因が積み重なって
事が起きてしまったのです。
だから
あなたがその人を殺した事にはなりません。
しかし
あなたにフラれたことも
要因の一つではあるでしょう。
あなたが心にトゲを感じるのは
それを自覚しているからです。
一時的には恋人同士であったのですから
その人の供養を意識してほしいと思います。
白か黒かは分からない。
おはようございます。
質問文拝見しました。
要因として、私は100%でも0%でもない、その間の割合だと思います。
直接の原因としては、その方の疾患がそうさせたのか、死にたい感情がそうさせたのか、あなた様とお別れした後に出会うべき人と出会えなかった絶望がそうさせたのかを断定するだけの情報を持ち合わせていないので、私には分からないです。
責任の責は責めるとも読みます。
犯人探しのように責任を探る思考も悪くないですが、ただ手を合わせる時間が安らかな眠りのためのケアになるという考え方も大切にしていただけるとありがたいです。
自分の心に正直に行動してみる
the freemanさん。自らの行動の影響についてのご質問ですね。
お付き合いの度合いから、自死された女性の行動に、the freemanさんの関わりが影響を与えているかいないか?と問われれば、影響を与えているものと私は思います。しかしどの程度かは分かりませんし、the freemanさんの関わり「だけ」が影響しているとも思えません。彼女を取り巻く様々な要因が縁となり自死という行動となったものと考えられるからです。
いずれにしても、the freemanさんご自身は今現在どうお感じになっておられますか?今後については、ご自身のお気持ちに従って素直に行動されればよいかと思います。
質問者からのお礼
皆さん、ありがたいお言葉の数々、ありがとうございます。
皆さんの仰るとおり、今はその人を供養していきたいと思っております。
しかし、本来ならばその人を弔って悔い改めなければいけないところ、どこか私の胸にホッとするものができてしまっています。
その人に申し訳ないと承知の上、あえて言わせてもらうなら「成仏してくれてよかった」とか「後々面倒ごとにならなくてよかった」といった気持ちが、浮かんできてしまうのです。
まるで厄介払いができた後のようなスッとした気持ちになってしまっているのです。
こんな気持ちになってしまうことは非常に罪深く、許されないことだとは思っています。
やはり、おそらく私は来世は餓鬼か畜生に堕とされてしまうでしょう。
しかし今の私には、その人以上に、守らなければいけない人や、ものがあります。
そのために生きなければなりません。
私に精神安定剤代わりにに使われた挙句死んでしまったその人でしたが、供養と感謝の気持ちを忘れず、この現世を最後まで生きていく所存です。
同じ過ちを犯さず、本当に大事な人を守るために。