人に施すことが、疲れてきました。
ずっとサービス業に従事していて、人の喜ぶ顔がみたくて、楽しく仕事をしてきました。
最近は、年齢を重ね、
自分の幸せ イコール 結婚 プラス 出産
が達成されないことに、焦りと不安で、人に施してる場合じゃないと感じてしまいます。
さらに、自分が良かれと思ってやっていることも、あまり喜ばれず、とても歯がゆく、相手に対してイライラしてしまいます。
やってあげてるのに!
なんで、喜ばないの!
そう思う自分にも情けないし、もうやめた!
と思うのですが、みてると手助けしたくなってきます。
ぐるぐる同じところを回っている気がして、しんどいです。
改善策として、
自分の幸せ イコール 結婚プラス出産
も、焦るほどに遠のいている気がします。
どこから抜け出したらいいでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「三輪清浄・三輪空寂」について
みっちゃん様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
人の喜ぶ顔がみたくて、楽しく仕事をされておられることは誠に善きことでございます。
しかし、みっちゃん様は、その見返り(喜んでほしい・結婚プラス出産)を求めているところに囚われを起こしてしまっている可能性がございます・・
仏教における施しなどの善徳行においては、「三輪清浄」の考え方が大切となります。このことにつきましては、下記の問いにて扱わせて頂いております。
問い「仏教における徳積みとは?」
http://hasunoha.jp/questions/119
「三輪清浄」とは、施す者、施しを受ける者、施すモノ・コトの三方共に清らかでなければならない、あるいは、「三輪空寂」として、三方に対して、とらわれや執着、実体視したりしてはならないというということが求められ、もちろん、見返りを求めるような心も起こしてはいけないことになります。
また、どこかで、自分を犠牲にして、こんなにも施しているのに、という恨みや怒りが出てきてしまいますと、それは煩悩であって、そのような気持ちを持つ施しではいけないこととなります。
また、下記問いへの拙回答も参照して頂ければと存じております。
問い「今自分に余裕がなく、気持ちも一杯一杯」
http://hasunoha.jp/questions/364
『・・仏教では、「自利・利他」と申しますが、あまりに自分のことばかりでもいけないですし、かといって、他のことばかりでもいけないという「中道」を勧めることになります。相手も幸せとなり、自分も幸せになるというバランスが求められます。・・』
とにかく、あまり気負わずに、当然に精神的にも肉体的にも、お金も物も、余裕がなければ必要以上にまで施しをしなければならないということでもありません。できるだけ、自然と、無理なくに、施しができるようにと調えていかれましたらと存じてます。そう致しますと、自然に、良き報いもやがて訪れてくるのではないかと存じております。
みっちゃん様は、苦しんでいる人や困っている人がいれば、黙って見過ごすことができない優しい性格の持ち主様、きっとこれからの良き出会い、良きご縁によって、良き伴侶となりて、良き母親にもなられることでありますでしょう。お幸せを祈念申し上げます。
川口英俊 合掌
人の為 自分の為 それはみんな理由付けの為
「布教といえど他が為にやるわけではなく、自らが自らの行を行ずるのみ」と私は弊師から教わりました。
人の為にやっているのは間違いだ、と言うのです。
自分が自分のやるべき事をやって、その結果、自ずから相手も救われていくようでなければならない、というのが説法、布教をはじめあらゆる福祉、サービスの極意ともいえましょう。
自分の為とか、人の為ということを一度打ち捨ててリセットしてしまいましょう。
そもそも人生一生自分のことしかありません。
相手の為にやっていることでも、やっているのは自分、この自身の活動だけです。
相手にサービス、施すのも自分です。
相手の反応を観て「気に食わん」と思っているのもこの自分自身の反応です。
それがいやになって投稿されたのもあなた自身。
そして今これをご覧になっているのも、他の人ももちろん見るでしょうが、今見ているのはあなた自身に他なりません。
「一生自分のことしかない」「この自分自身を運んでやり取りがあるだけ」と思ってみてください。
相手にしてきた❝相手❞というのは存在としては相手なのですが、その事に関する自分のやっていることや、自分の思いは全部自分のうえのことなのです。
仏教はこの道理が分かる事が大切です。
それさえ分かれば、相手がありながらも相手はありません。
相手という別存在がありながらも、それを過度に対象化しなくなるのです。
全部我が事、です。我が身を大事にしない人はいません。自ずから相手も自然に敬えるようになるのです。それは対価をもとめない、無私のサービス、福祉本来の姿です。
私もこの回答、この活動はあなたから笑顔をもらおうとか、オカネもらおうとか思っていません。ただ私の行をただ行ずるのみです。
自分の幸せを求める時も、ただそれに進んでいくだけです。やれることは一つトキに一つコトしかできません。シンプルに、複雑化しないで。(´・ω・`)
別々に
みっちゃんさま
はじめまして、なごみ庵の浦上哲也と申します。
質問文を拝見していて、違和感を感じて数回読み返してみました。
私が違和感を感じた理由は、「人に施すことが疲れた」ことと、「自分の幸せ(結婚、出産)を求めたい」ことが別物であるにも関わらず、みっちゃんさんの中で1つに絡み合っているように思えたからです。
もちろん、自分が幸福感を感じていれば「人に施すことが疲れた」と思わず、より一所懸命にお仕事に向かっているかもしれません。そういった意味では深く関連しているのですが、やはり別々に考えた方が良いのではないかと思います。
そもそも、みっちゃんさんは「もうやめた!」と思っても、つい手助けしてしまいたくなる性格なのですから、無理にそれを押さえ込むのもストレスになるのではないでしょうか。
人のために動き、人の喜びを共に喜ぶ。
そんなみっちゃんさんを大切な存在と思う男性との出逢いがあるよう、念じております。
…こればっかりは念じているだけじゃダメですね。
普段の生活で出逢いがないのなら、積極的に動かないといけませんね。友人知人にも相談してみたり、最近は「婚活」のサイトも多いので調べてみましょう。
この種の質問でいつもお知らせしていますが、お寺や神社好きの方々が集まる「寺社コン」というものもあります。よろしければ、ご覧になってみて下さい。
寺社コン http://jisyacon.com
質問者からのお礼
浦上さま
早速の丁寧なご回答、ありがとうございます。
お忙しい中、考えて回答を頂けた事を、とても嬉しく思います。
人には、やってあげるというより、させてもらってると思ってやっていこうと思います。
今、彼はいるのですが、うまくいっていないので、よりイライラしているのだと思います。
こうして、質問させてもらって、少し頭が整理できました。
ありがとうございました。
丹下さま
お忙しい中、丁寧かつ的確なご回答を頂き、ありがとうございました。
とても嬉しく、何度も繰り返し読み、自分なりに理解してみました。
仏教には、興味があり、色々な文献も読みましたが、
現実味を感じず、机上の空論という気がしていました。
丹下さまのお言葉を賜り、仏教は、現実問題に活かせるものなのだと、
今更ながらに、実感しました。
自分のやるべき事をやる
この言葉に尽きるような気がします。
あまり周りに惑わされないよう、
今の仕事を選んだ原点にかえろうと思いました。
ありがとうございました。
川口さま
お忙しい中、わかりやすく丁寧なご回答をありがとうございました。
他の方の質問や回答も拝見させて頂きました。
何も特別に、私にだけある悩みではない、ということもわかりました。
体調によって、気持ちの持ち方も変わり、質問した当初より、今は随分落ち着きました。
また落ち込んだ時は、このページを開きたいと思います。
ありがとうございました。