hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

過去の過ちに対する罪悪感で死にそうです。

回答数回答 1
有り難し有り難し 4

これで最後にします。もう一度相談させて下さい。私が高校生の時に父がある手術を受けました。そのとき私は何故か「父が死んだらどうなるだろう」とか「別に死んでもかまわない」「死んでもいいかな」などとても不謹慎な事を考えてしまいました
。また、「父がいなくなれば携帯を買ってもらえる」「嫌な部活を辞めれる」「好き放題自由に遊んだりできる(夜中に遊んだり非行に走ったり)」などそのような考えも浮かんできて父の死を望んでいる自分と心配している自分がいるような感覚になりました。
私は父が嫌いではなかったですし父の事を心配していたはずでした。しかしふとそんな考え、雑念のようなものが頭に浮かんでしまったのです。死ぬ事なんてまずないような簡単な手術だったのですが、そんな事を考えてしまいました。手術は無事成功してそれから5年ほど経って現在に至るのですが、最近ふとその事を思い出してあんな事を考えた自分が恐ろしくなって動悸がしてパニック状態になるぐらいです。今は親に対してそんな不謹慎な事を思うこともなく、あの時の事を申し訳なく思っていますし、反省も後悔もしています。親孝行したいという気持ちもあります。しかしあんな事を考えた自分が平然と生きていていいのか?と思うと怖くて怖くてたまらなくなります。趣味や好きな事で気を紛らわそうと思ってもその事が頭から離れず怖くてたまりません。許されない事だとわかっていますし。罪が消えない事もわかっています。しかしなんとか罪を償いたいです。私はどうすればいいのでしょうか?こんな私は生きていてもいいのでしょうか?アドバイスやご意見よろしくお願いします。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

子供は純粋が故に残酷な部分もあります
これは人として未熟が故

さて自我という言葉があります

人は生まれた時に自分で呼吸して
あったかく何もしなくても良い胎内とは
正反対の環境で、激しい不快感の中
自らの意思で必死でおっぱいを飲み始め死に物狂いで生きようとします
これが「自我」でございます
私たちの生命維持装置です

例えばある貧しい家族に5つ子が生まれたとします
おっぱいは2つしかないのに
最後の1人までおっぱいを残すことなど他の赤ちゃんは絶対考えません
本能に従順に己の事だけ考えているのですから当たり前です
この自分だけという思いは「自我」から生まれます

でもお母さんはそれを見越したうえで5つ子に平等になるよう考えて分け与えます

この母の愛「慈愛」と申します

本能から生まれるものは時に残酷なものです
ところが人は「理性」という「智慧」を皆備えてます
だから本能のままに動く動物とは違うのです

己の利益だけを考える事も
動物なので親離れの時期には
「親が無くても良い」とか
もしも本当に居なくなった時のショックを減らす為にl
「親が居なかったら」と想像を膨らませるのも
これは、ごく自然な事です
人は動物ですからね

恐れる必要はありません
その体の手綱を握るのは自分です
自分と他人に平等な精神で「理性」と「慈愛」を持って生きていれば
大それた魔が刺す事などありません

全ては自分次第

合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

山形のそれは小さなお寺の住職です。 私は子供の頃いじめられ、社会からドロ...
このお坊さんを応援する

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ