過去の過ち、人として最低なことをした
こんにちは、ご覧いただきありがとうございます。この自粛期間で自分の過去を振り返ることにより、過去に犯した過ちについて頭から離れなくなりどう生きればいいのか分からなくなりました。
私は小学校4年生の頃、人に言えないような悪事ばかりをしていました。具体的には、盗み癖があり数回に及んで友達の物を盗んでしまったことです。他にも友達の図工の作品の一部を隠すなど人として考えられないことをしました。友達の気持ちを考えず、裏切り傷つけることを何度もしてしまいました。
私は人として最低な行為をしたにも関わらず、今まで平然と生きていました。このように後悔していることも、許してほしいという気持ちがあり自分が可愛いからなのではと思い、どうすればよいかわからなくなりました。
このことが頭から離れなくなり、ずっと死にたいという気持ちがあります。どのような心持ちで生きていけばよいのか、このような人間が生きていてよいのか分からなくなっており、ご相談させていただきました。よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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これからが、今までを決める
こんばんは。コロナ禍以来、この「自己嫌悪」のご相談が増えているように感じます。良かったら、周りの方々のお悩みも、読んでみてはいかがでしょうか。
さて、タイトルにしたのはやや謎めいていますが、次のような意味です。
これから自分がどのように生きるか。それは、今までの自分をどのように振り返り、大切にすべきこと、避けるべきことをどれだけ学んでいるかによるのです。そういった過去からどれだけ学べるか?というのが「今までを無駄にする」か「今までを活かす」かということなのです。今そして今からあなたがどう生きるか?それが過去の価値を決めるという意味なのです。
どうも人間というのは、辛い思い出からたくさんのことを学ぶようです。「今までは平然と生きてきた」と言っても、今は何かの縁が整って、「人のものを盗んではいけない」などの事を強烈に意識するようになったのです。
もしも、その友達が今でも連絡取れるのであれば、何とかして謝るといいです。しかし、もしももう会えないのであれば、「今から出会う人たち」に、そのような事をしないことです。
「自分がかわいい」のは分かります。けれど、それは「自分の行いを全肯定する」こととは違います。自分にはそんな落ち度もあった。けれど、そうでない行いをすることもできる。その両面を認めてあげるのが「自分をかわいがる」ことです。「完全ではない自分であるならば殺してしまえ」というのは、全く可愛がることになりません。
質問者からのお礼
佐藤良文様、お忙しい中お答えいただきありがとうございます。
過去に犯した過ちは一生消えません。しかしその罪を忘れず、今後どう生かすのかが重要だということが分かりました。まだ後悔と自己嫌悪でいっぱいですが、これからは愛を持って人のために生きたいと思いました。もう悪事は絶対にしないと誓います。
この度は本当にありがとうございました。いただいたお言葉、忘れず胸に刻んで生きていきます。