ある報道からモヤモヤしています
今日、俳優さんのある容疑についての報道がされました。
私は、著名人の扱いに対するモヤモヤと、自分のなかの矛盾を感じ悩んでいます。
著名人は問題を起こすと当たり前のように世間に晒されます。
報道の自由や知る権利の関係、ときには有名税などと言われる難しい問題であることは理解しています。
しかし、俳優さんでも人にはそれぞれ事情があって、犯罪や非難される行為に至った背景や悩みがあるはずです。
社会で生きる限り、やってはならないとされる行為はしてはいけませんし、償わなければなりません。
でも、過ちは誰にでもあります。著名人だからと社会的制裁のようなことをしていいのか…
理由も何も知らない人々が、人のやった事にどうこう言うことは出来ないと思います。
こう思うと同時に、私には矛盾があります。
やはり、彼が逮捕されたと知った途端に無意識に検索しました。知りたいと思う気持ちが出てくるのです。頭では良くないと思っているのに、何で?どんな風に?とあれこれ気になります。
これは人間の習性か何かで、どうしようもないことなのでしょうか。
お坊さん方は、こういった野次馬のような気持ちは起こらないのですか。
この矛盾はどう解決できるでしょうか…
私は、その俳優さんが好きでした。でも問題を起こしたのは俳優としての彼でなく、私生活での彼です。俳優としての彼の演技をまた見れる日が来るように、ただ頑張ってほしいと願います。
社会には色々な人がいます。そんな中でも、あれこれ詮索するのではなく、再び活躍される日を温かく迎えられるような世の中になってほしいと思います。
最近、社会のなかで生きるのって難しいなと感じます…
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
本当にそうですよね。
私も彼のファンでしたが
俳優よりも
実業家としての彼の活動に注目していました。
現在進行中の活動は本当に素晴らしいものなので
このようなことで頓挫してしまうのが残念です。
そういった意味でも
その違法行為を続けてきた彼は
責任感が無かったと言われても仕方がないと思います。
本当にもったいないですよね。
散々薬物でダメになった芸能人がいるのに
自分は大丈夫だと思っていたのが不思議です。
個人的な感想
私個人的には、俳優さんが罪を犯した場合でも、出演している作品の放送や上映は続けて欲しいと思います。
だって、大工さんが罪を犯したら、その人が建てた家に住まないのかと考えたら、関係なく住みますよね。
ただ、スポンサーあっての作品ですから、スポンサーの印象を悪くするような作品を放送するのは、現実的に難しいのかもしれません。
「大人の事情」だから、ケースバイケースでしょうね。
また、犯罪者の住所氏名が公表されるのは普通であり、田舎の地元新聞では、比較的軽い犯罪でも実名報道されています。
それが全国紙や週刊誌にまで載るかどうかは、やはり有名人かどうかが影響します。
視聴率や販売部数のため、マスコミがなりふりかまわず努力するのは、仕方ないと思います。
野次馬根性については、私たちには欲の煩悩があるため、
目の前にニンジンをぶら下げられた馬のように、興味をそそられる刺激を追いかけたくなります。
薬物依存の人が薬物を欲しがるのも、私たちがゴシップネタのネットニュースをクリックしたくなるのも、本質的には同じ「欲の煩悩」です。
ただ、私たちは薬物の味を知らないから薬物を欲しくならないが、芸能ニュースの味は知ってしまったから欲しくなるだけでしょう。
なお、違法薬物は、反社会的勢力や、某独裁国家の収入源にもなっていますから、アンチ麻薬の報道を大々的にやるのは社会的な意義もあります。
有名人が「みせしめ」に叩かれるのは、現実的にはありえます。
有名人も一般庶民も、自分の身を自分で守るのが原則ですね。
阿弥陀仏は、どんな罪人でも極楽浄土に迎えてくれます。
この世でバッシングされても、南無阿弥陀仏の念仏で、来世は幸せになれる。
この世でケンカしても、来世では極楽で仲直りできると思います。
追記
「仕方ない」こと(社会や自然界では普通のこと)だと思って、他者の行いに対して怒らない方が、穏やかに生きられます。
一方で、自分の行いについては、他人がやっているから自分も悪いことをして良いとは考えず、よく気をつけて行動した方が、幸せになれると思います。
質問者からのお礼
願誉さん、考えをお聞かせいただきありがとうございます。
私も作品に罪はないと思います。私にできることは引き続き作品を愛することで、それが精一杯の彼への応援とします。
味を知ってしまったものには欲がでるとのお話、納得しました。
欲の煩悩ですか…
仕方のないことというのは、やはり、もうどうしようもないのでしょうか。
著名人の扱いや欲の煩悩のように、世の中には「仕方ない」とされることが山ほどあります。
仕方ないと分かった後、それについてどう向き合えば良いのでしょうか…
和田さん、ご回答いただきありがとうございます。
やはり1人の人間として、これまでの活動も違法行為をしていた者という目で再評価されてしまうのは避けようのない事なのですね。
世の中甘くないと分かっていながらも、心が痛みます。社会のなかで生きるのは、つらい試練です…
彼には乗り越えてほしいですね。
願誉さん、重ねて質問をしてしまい恐縮です。まさか追記の回答をいただけるとは思っていませんでした…
「仕方ない」の考え方が変わりました。
いかに幸せに生きるか、を物事を考える際のヒントにしようと思えました。
二度も私の気持ちに耳を傾けてくださり、本当にありがとうございました!
恵まれた環境だとしみじみ思います。