人に必要とされたいです
最近周りだけが幸せになり、自分だけが置いてかれてるような気がします。寂しくて寂しくて辛いです。
今まで遊んでくれていた友人家族が、子どもの成長により、前より遊ぶのを控えたことにより、自分が避けられてるのではと、必要とされてないのではと考えてしまい、寂しいです。
同じ職場の1番仲のいい人が、退職してしまいます。とてもいい子なので、新しい職場で楽しく働いたり、先に結婚してしまうかなと思うと喪失感があります。
そんなこと考えてもいけないし、新しい恋でもして、自分が幸せになればと思いますが、、、このご時世に新規で人と出逢うのもなんか自分的にはありえなくて、、、なんか八方塞がりな気持ちです。
何を思ったら、心が穏やかに過ごせますか?わたしも誰かに必要とされてますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
【ご催促】
"わたしも誰かに必要とされてますか?"
あなたは誰を必要としていますか?
たとえあなたが求めていなくても、あなたは求められている。
あなたが求めていないときも、あなたはやっぱり求められているんだ。
【我亦在彼摂取中】我もまた彼の摂取の中に在る『正信偈』
焦らなくても大丈夫
命には、意味があります。
りりりさんがこの世に生まれた意味が、必ずあります。
けれど、今すぐに分からなくたっていいんです。
生きる意味、求められる役割。
そういうものは、長い人生の中で、じっくりと時間をかけて見つけていけば良いんですよ。
りりりさんは、りりりさんの人生の、主人公なんですから。
心穏やかに過ごす方法。
禅宗では「今このときに集中する」ということをよくやります。
ご飯を食べているときは、その食感、味に意識を向けて味わう。
外に出たときは、陽の光の心地よさや、しとしとと降る雨の音に身を委ねてみる。
アスファルトを歩く足裏の感触、草木の匂い、頬にあたる風。
なにも焦る必要はありません。
そうしたものに意識を向けてみることも、古来より伝わる1つの方法です。
p.s.「隣の芝は青い」とよく言いますが、人の幸せも自分の幸せと同じように、素直に祝い、喜べたらいいですね。