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人生のタイムリミットに焦っています

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有り難し有り難し 15

日々、心の中に焦りのような恐れのようなものがあります。

死というものが、必ず訪れる、しかもいつ訪れるのか解らないということに言いようのない恐怖と悲しみがあると同時に、いまこのある生を良く過ごせているだろうか、という強い焦りがあります。
以前は楽しめていた趣味も、こんなことをしていていいのだろうかと過ぎってしまい楽しめません。
仕事をしていても、こんなことを続けていていいのだろうか、と身が入りません。
休日、一日中布団の中で寝たり起きたりをして体力を回復するだけに一日使った日はとても悲しい気持ちになります。
コロナ問題もあり家からあまり出ない生活をしていますが、まったく人と会わないままあっという間に日が過ぎてしまう・・・

日本人の平均寿命からして、健康寿命がこれくらいなので、そうするとあと1万日程度だろうか、いや、何らかの理由で死ぬのは明日かもしれない。そんな貴重な1日を、1週間を、1ヶ月を、こんなふうに暮らしていていいのだろうか。そんなことばかりを考えてしまい、特に夜になるとつらい気持ちになってしまいます。

ずっと、時間が無限にあるかのように過ごしてきてしまいました。
いつかやればいいだろう、と色々なことを先送りにしてきましたが、先送りした先に時間がない、というのが、この人生の折返しの歳になって切実になってきてしまいました。
それにも関わらず、これまでのクセがあってなかなか動き出せない、そんなことにも強く焦りを感じます。

どのように心を持てば、穏やかに過ごせるようになるのでしょうか?

お導きいただけますと幸甚の至りです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

生死ともにわずらいなし

浄土宗では、南無阿弥陀仏と念仏を称(とな)えて極楽浄土に往生したいと願う人は誰でも、臨終のときに阿弥陀仏が迎えに来てくださり、仏様の力で極楽浄土に往生させてもらえると言われます。
また、念仏を唱えるなどの仏教の修行には功徳くどく(心に善い癖が貯まって未来の幸せや悟りにつながる)があると考えます。
ですから、私たちは、生きて南無阿弥陀仏の念仏を唱える毎日には功徳が積もり、死ねば浄土に生まれ変われます。
だから、生死ともに煩(わずら)いなし、と法然さん(日本で浄土宗を広めた鎌倉時代の有名な僧侶)が言われました。
私たちの人生は、極楽浄土のハッピーエンド確定、しかも、生きれば功徳を積める。
生きても合格、死んでも合格、どちらでも良いという安心と喜びの中で、まぁ、できることをできる範囲でやりながら、死ぬまで生きればOKです。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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よい人生を送る入口のところにおられる

お釈迦様の出家の動機を考えると、よい人生を歩く道のりの入り口のところにおいでになるのだと思います。悩みや、これでいいのかという問い無しによい人生を送ることは出来ません。これじゃいけない、というのでお釈迦様は出家を決意されたわけです。だから、あなたもお釈迦様と同じく、よい人生の入り口のところにおいでになるのだと申しております。

そこで、どうするのか、ということですが、お釈迦様のように自分の苦しみを除去する方向から他者の救済へと進むのが一つのやり方。もう一つは、他者との関りから自分の存在意義を見つけることで自己の悩みに対処するやり方でしょう。どちらがいいでしょうね。それはあなた自身がお決めになることなので、私は何ともいえません。

自分の苦しみの除去ということなら、マインドフルネス瞑想の合宿に参加されるなどの方法があります。youtubeに管理栄養士の圓尾和紀さんの動画があります。基本、食べ物や飲み物のお話しですが、断食やマインドフルネスで大きく人生が変わった、爽快である。仏教に親しみを感じる。他者に慈しみを感じるなどと語っておられます。日曜日だけのワークショップなどでしたら問題なく参加できると思いますので、実現可能なところから、何かきっかけをつかまれたら、と思います。

他者との関り、つまり他者の役に立っているとの感覚から自己の生き方を問い直すやり方ですと、ボランティア活動でしょうか。私自身は子ども食堂をやっていますが、人はみな誰かに必要とされてそれを支えに生きているのだと言えます。こどもと遊ぶのは楽しいですし、ボランティアスタッフのお仲間との出会いにより、生き方が変わる場合もあります。

私と同じ宗派の坊さんが「京都自殺自死相談センター」というのをやっていて、そこに自殺志願者の方が見えられました。とても暗い、苦しい様子でした。が、たまたま引っ越しの最中だったので、自殺志願者さんに手伝ってもらったところ、いい汗をかかれたためかすっかり明るい顔になり、「また何かお手伝いすることがあれば」とおっしゃって元気に帰宅されたそうです。人は誰かの役に立っているとか、誰かとつながっているとかという感覚を生きる支えにしています。他者との関係が見えなくなったとき、自分が生きている意味も見えなくなるのでしょう。

ほんの少しでも参考になれば幸いです。

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おきもち

私はお坊さんといっても、ひと様に何か答えらしいものを提示できるような立派な...
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質問者からのお礼

願誉様
お言葉ありがとうございます。

善き行いを積むことでハッピーエンドで人生を終われるという考え方、ポジティブで有り難いと感じました。
できることをできる範囲で、何が自分にできることなのかを考えながら、過ごしていきたいと思います。

藤岡様
お言葉ありがとうございます。

他社のために、ということで思い返すと、ここしばし仕事・私生活ともに「誰かのために」というのが失われていたように思います。
ボランティアというのは考えたこともなかったですが、とても良いおこないで、自分にも合っていると感じますので、身近でできることを探してみます。

苦しみの除去ということで、瞑想とは少し違うのかもしれませんが、お寺様で座禅というものをさせていただきました。
初めてということで、体が痛い、雑念が入る、というありさまでしたが、継続することでもしかしたら自分を見直して人生を変えることができるかもしれないという直感がありましたので、こちらも続けてみたいと思います。

きっかけを与えてくださったことに、感謝いたします。

「生きる意味」問答一覧

生きてる意味

いつもご回答ありがとうございます。今回も相談失礼致します。 今私が思っている事吐き出させてください 毎日毎日生きている心地がしません 昨日も今までの事やこれからの事を考えてしまい不安で頭がいっぱいになりました 小学校に転校したての時にいじめに遭い、多分その時点で私の心は死んでいたと思います。いじめって言ってもみんなが思ってるようないじめではありません。暴言を吐かれたりハブられたり無視されたり都合のいいように利用されたりそんなものです。 小学生のころの私は弱かったしいいなりになるしかありませんでした いじめてきた子に認められたかったし仲良くなりたかった、そしたら無視されることもなくなると思ったしみんなと同じように接してくれると思いました。今思えば本当に惨めです。 何年か経ち小学校3年生くらいの時新しいお友達が3人できました 親友と呼べるほどに仲良くなってお泊まり会やお出かけもしました ですが一人の子が○○ちゃんが一番好き、一番仲いい子、幼馴染だから、その発言を聞く度に私は、転校生なので幼馴染がいるわけもなくとても羨ましくて、なんだか利用されているだけなのかもと思っていました 当たり前に喧嘩はありました、大好きで仲良かった子にも散々暴言を吐かれ愚痴を言われ無視され、私も悪い部分があったとはいえ本当に辛かったです その他にも兄が同級生に絡まれ、たぶんあれはいじめられていたんだと思います。 それを見てどうしても腹が立ってしまいその中に割り込んで口出ししました いじめてる側の人達にはもちろんいじられ、兄は助けてくれると思ったのですがまさかの相手側についていました。 でも分かります、嫌われるのが怖いしまた虐められるのが怖い、私も同じなので分かります。ですが兄にまで裏切られた私には絶望と悲しみしかありませんでした それからも男子に体型をからかわれたり冗談で暴力をふるわれたり、私は元々肌が弱く虫に刺されやすくて、それに加え治りにくかったので肌が汚いです。なので水泳授業など苦痛でしかなかったしそれが原因でいじめられるのも怖かったです。 結局不登校になってしまった今でもこのトラウマは思い出してしまうし、フリースクールでも空気のような自分、みんなは可愛くて友達もいて輝いてる、誰でもいいから私を見つけてほしい認めて欲しい人が怖い、もう死んでしまいたい

有り難し有り難し 19
回答数回答 2

今の幸せを感じるには

大学卒業後、就職した職場でなかなか環境に慣れることができず適応障害になって退職し、そこからフルで働くことができなくなりました。 今は平日パートタイムで働いていて、なんとか4.5年続いていますが、人間関係や労働環境は最悪です。 給料が低いことと、この先また適応障害になって寝込んで動けない状態になるかもしれないという恐れから、今だに実家暮らしです。 また大学時代からずっと付き合っていた人と1.2年前に別れ、結婚や子供も諦めました。 この歳になっていまだに自立できていないこと、仕事のキャリアを積んでいけないこと、親に孫の顔を見せられないことなど現実に向き合えない自分が嫌です。何のために生きているか分からず、無意識に死にたいという言葉が口から出るようになりました。 自分も両親も健康で、大きな病気や怪我もなく、借金や人間関係など大変な問題を抱えてるわけでもありません。 明日食べるものに困るような状態でもなく、とても恵まれた状態であるにも関わらず、ずっと「もう人生を終えたい」と考えています。 死にたいというよりは、今ある面倒なことから逃げたいというのが本音かもしれません。 安心して過ごせる家があるというだけでとても幸せなことなのに、なかなかそれを実感することができません。 どうしたら今すでに身の回りに存在している幸せに気づいて、死にたいと考えてしまうことを減らしていけますでしょうか。

有り難し有り難し 8
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生きてる意味ってなんなんでしょう?

最近人生ってなんなんだろう。苦しみしかないじゃん。と思ってしまいます こうなったら嫌だなと思う事ばかり実現して こうなりたいという事は何一つ実現しません わたしはずっと歌手を夢見て努力してきました でも、人から歌を褒められる事はほとんどなく 音程が大きく外れてるわけでもないけど 自分で聞いてもなんか納得いかない歌声 その声も最近全然出なくなってきてしまい、 「あぁ、わたしには才能がなかったんだな」と思ったりしています 他にやりたい事としてはプロレスがあります が、それもやっぱり怪我や痛みが怖いという思いがあったりして踏み出せないです でも、わたしも30半ばが近くなってきて このままではこのまま何もないままわたしの人生が終わってしまうという焦りに襲われています わたしのこれからやりたい事としては、性同一性障害(以下、GID)に生まれてしまったので その治療がしたいと思っています しかし、血液検査の結果、肝機能の数値が悪く、「このままだと治療を進めるための意見書を書くのは難しい(治療が受けられない)」と医師から言われました おそらくストレスによる過食から来る体重増加などが関わっていると思い 1か月前からダイエットを始めて7kg減量しました そして今週の血液検査の結果次第という事になりました しかし、まだまだデブだしダイエットは続行するつもりですが 「いつになったらわたしの望みが叶うのだろう・・・」という気持ちがずっと離れないです GIDの病院の待合室には10人くらい患者さんがいましたが みんなもうホルモン治療が始まっている人ばかりで 自分のなりたい性を叶えています それを見た時にわたしだけなれていない、という焦りや悲しみがわいてきて わたしは女性になりたいのですが 今では街中を彼氏と腕を組んで歩いている女性を見るだけで本当に辛い気持ちになります 親が性別を選んで産んだわけじゃない事はわかっているのですが、それでも親には望みを何一つとして叶えてもらえなかった(機能不全家族)せめて性別だけは女の子に産んでほしかった。という気持ちがどんどんわいてきています おとぎ話のように待っているだけじゃ王子様は現れず魔女にかけられた呪い(病気)も解けない事はわかっているし努力もしていくつもりですが何のために生きてるんだろう、みんな楽しそうでいいなという思いが拭えません

有り難し有り難し 12
回答数回答 1

行き着くところは皆同じ

ある時、生きる意味を教えてくれた人がいました。 生きることは愛である。と教えてもらいました。 その時から私も生きることは愛だと考えるようになりました。 話を聞いている中で疑問ができたので、恩師に質問をしました。 この世に生まれてきて、愛に触れて愛を学び、それが一番大切なものだと気づいたとして、そのあと行き着くのは何処ですか?と質問しました。 行き着くところは皆同じ、源だ。と教わりました。 たくさん宗教があるが最後行き着く場所は皆、源である。と教えて頂きまさした。 まだうまく理解はできていないのですが、 生命あるもの皆等しくいずれ天に還る。ということかと仮定しました。 そう考えた時に、死後この世界ではない別の世界があり、そこに源があるなら、本当の世界とは死後の世界ではないかと考えました。 天に還るという事は、元は私たちは天からやってきたのか?とふと思いました。 でもやっぱり死んでみないとわからないなぁ、に行きつきました。 恩師の言葉で印象に残っているのは、 この時代、この家族、この友達、この恋人、全部この人生だけの組み合わせである。楽しみ尽くさないと勿体無いよ。ということでした。 人によって考え方は違いますし、 今の生活を修行と言う人もいるし、地獄と言う人もいました。 皆に源って何?と聞いてみましたが、わからないと言っていました。 源とは何でしょうか。 よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 3
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何のために生きるのか?

度々の質問失礼致します。 過去の質問でも記載した通り、小さなことではありますが自分の中で苦しいことが重なってしまい、生きる意味がよくわからなくなってしまいました。 これまで26年間、成功ばかりではありませんでしたが、与えられたものは淡々とこなし、人道に外れたことはせず、自分自身に恥じない生き方や選択をしてきたつもりです。 苦しい時期もありましたが、それも「いつかは終わる」と信じ、その時その時の楽しみ方を見出して生きてきました。 ですが、最近猛烈な虚無感に襲われます。 新年早々、大きな災害がありました。一生懸命生きていても、どれだけ頑張っても、無情にも失われる命があります。 努力して生きていても報われる保障はない。自分が誰かを愛しても傷つくことばかりだし、大事にしている人間関係もいつなくなるかわからない。お金だって貯めた方がいいという人もいれば若いうちは経験の為に使いなさいという人もいる。 何を信じればいいんでしょうか? 私にとってはここ何年かが全て決断の連続で、怖いけれど、と思いながらも、勇気を出して飛び込んできました。ですがその結果、何もない無力な自分や、不甲斐ない自分を思い知らされるだけです。 本当は他人のアドバイスはほどほどに、何もかも自分で決めて、自分で持った軸をぶらさずに生きていければ良いのでしょうが、私はもう私を信じられません。 悩んでばかりで何も具体的に考えられない、周りの友人たちのように当たり前の毎日を大切に生きることもできません。 26歳のくせにこんなにスカスカで、やりたいことも行きたい場所も、一緒にいたい人も、生きる目的もどこにも見当たらないんです。 仕事でこうしたい、結婚したい、子供がいるなど、自分を何か縛るものがあればきっと目の前のことに集中できるのでしょうが、私にはもう何もありません。 家族も好きなことをしなさいと言ってくれます。ありがたいです。でも誰かにこう生きろと決められた方が幸せなんじゃないかとすら思います。 漠然とした不安に襲われながら毎日淡々と生きてます。 生きるのってこんなに怖いことだったのかと、この年になって気付きました。 死ぬのは怖いです。でも同じくらい先の見えない、正解のない人生が怖いです。 楽になりたいです。先人たちは皆、こんな虚しさを経験したうえで生きてるんでしょうか。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ