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人生のタイムリミットに焦っています

回答数回答 2
有り難し有り難し 17

日々、心の中に焦りのような恐れのようなものがあります。

死というものが、必ず訪れる、しかもいつ訪れるのか解らないということに言いようのない恐怖と悲しみがあると同時に、いまこのある生を良く過ごせているだろうか、という強い焦りがあります。
以前は楽しめていた趣味も、こんなことをしていていいのだろうかと過ぎってしまい楽しめません。
仕事をしていても、こんなことを続けていていいのだろうか、と身が入りません。
休日、一日中布団の中で寝たり起きたりをして体力を回復するだけに一日使った日はとても悲しい気持ちになります。
コロナ問題もあり家からあまり出ない生活をしていますが、まったく人と会わないままあっという間に日が過ぎてしまう・・・

日本人の平均寿命からして、健康寿命がこれくらいなので、そうするとあと1万日程度だろうか、いや、何らかの理由で死ぬのは明日かもしれない。そんな貴重な1日を、1週間を、1ヶ月を、こんなふうに暮らしていていいのだろうか。そんなことばかりを考えてしまい、特に夜になるとつらい気持ちになってしまいます。

ずっと、時間が無限にあるかのように過ごしてきてしまいました。
いつかやればいいだろう、と色々なことを先送りにしてきましたが、先送りした先に時間がない、というのが、この人生の折返しの歳になって切実になってきてしまいました。
それにも関わらず、これまでのクセがあってなかなか動き出せない、そんなことにも強く焦りを感じます。

どのように心を持てば、穏やかに過ごせるようになるのでしょうか?

お導きいただけますと幸甚の至りです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

生死ともにわずらいなし

浄土宗では、南無阿弥陀仏と念仏を称(とな)えて極楽浄土に往生したいと願う人は誰でも、臨終のときに阿弥陀仏が迎えに来てくださり、仏様の力で極楽浄土に往生させてもらえると言われます。
また、念仏を唱えるなどの仏教の修行には功徳くどく(心に善い癖が貯まって未来の幸せや悟りにつながる)があると考えます。
ですから、私たちは、生きて南無阿弥陀仏の念仏を唱える毎日には功徳が積もり、死ねば浄土に生まれ変われます。
だから、生死ともに煩(わずら)いなし、と法然さん(日本で浄土宗を広めた鎌倉時代の有名な僧侶)が言われました。
私たちの人生は、極楽浄土のハッピーエンド確定、しかも、生きれば功徳を積める。
生きても合格、死んでも合格、どちらでも良いという安心と喜びの中で、まぁ、できることをできる範囲でやりながら、死ぬまで生きればOKです。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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よい人生を送る入口のところにおられる

お釈迦様の出家の動機を考えると、よい人生を歩く道のりの入り口のところにおいでになるのだと思います。悩みや、これでいいのかという問い無しによい人生を送ることは出来ません。これじゃいけない、というのでお釈迦様は出家を決意されたわけです。だから、あなたもお釈迦様と同じく、よい人生の入り口のところにおいでになるのだと申しております。

そこで、どうするのか、ということですが、お釈迦様のように自分の苦しみを除去する方向から他者の救済へと進むのが一つのやり方。もう一つは、他者との関りから自分の存在意義を見つけることで自己の悩みに対処するやり方でしょう。どちらがいいでしょうね。それはあなた自身がお決めになることなので、私は何ともいえません。

自分の苦しみの除去ということなら、マインドフルネス瞑想の合宿に参加されるなどの方法があります。youtubeに管理栄養士の圓尾和紀さんの動画があります。基本、食べ物や飲み物のお話しですが、断食やマインドフルネスで大きく人生が変わった、爽快である。仏教に親しみを感じる。他者に慈しみを感じるなどと語っておられます。日曜日だけのワークショップなどでしたら問題なく参加できると思いますので、実現可能なところから、何かきっかけをつかまれたら、と思います。

他者との関り、つまり他者の役に立っているとの感覚から自己の生き方を問い直すやり方ですと、ボランティア活動でしょうか。私自身は子ども食堂をやっていますが、人はみな誰かに必要とされてそれを支えに生きているのだと言えます。こどもと遊ぶのは楽しいですし、ボランティアスタッフのお仲間との出会いにより、生き方が変わる場合もあります。

私と同じ宗派の坊さんが「京都自殺自死相談センター」というのをやっていて、そこに自殺志願者の方が見えられました。とても暗い、苦しい様子でした。が、たまたま引っ越しの最中だったので、自殺志願者さんに手伝ってもらったところ、いい汗をかかれたためかすっかり明るい顔になり、「また何かお手伝いすることがあれば」とおっしゃって元気に帰宅されたそうです。人は誰かの役に立っているとか、誰かとつながっているとかという感覚を生きる支えにしています。他者との関係が見えなくなったとき、自分が生きている意味も見えなくなるのでしょう。

ほんの少しでも参考になれば幸いです。

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おきもち

私はお坊さんといっても、ひと様に何か答えらしいものを提示できるような立派な...
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質問者からのお礼

願誉様
お言葉ありがとうございます。

善き行いを積むことでハッピーエンドで人生を終われるという考え方、ポジティブで有り難いと感じました。
できることをできる範囲で、何が自分にできることなのかを考えながら、過ごしていきたいと思います。

藤岡様
お言葉ありがとうございます。

他社のために、ということで思い返すと、ここしばし仕事・私生活ともに「誰かのために」というのが失われていたように思います。
ボランティアというのは考えたこともなかったですが、とても良いおこないで、自分にも合っていると感じますので、身近でできることを探してみます。

苦しみの除去ということで、瞑想とは少し違うのかもしれませんが、お寺様で座禅というものをさせていただきました。
初めてということで、体が痛い、雑念が入る、というありさまでしたが、継続することでもしかしたら自分を見直して人生を変えることができるかもしれないという直感がありましたので、こちらも続けてみたいと思います。

きっかけを与えてくださったことに、感謝いたします。

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