友人に嫌な思いをさせてしまいました。
はじめまして。
僕は友人の心を深く傷つけてしまったことがあります。
それは小学生の頃、約10年前の話です。
主に度を超えたイタズラ、失言などです。
当時音楽会の練習でそれが原因で彼が教室でずっと泣いて、練習会に来れなかったこと…
彼が泣いてる姿を今でもよく思い出します。
小学生高学年になるにつれて、していいこと、悪いことの区別がつき彼が困ってる時に声をかけたり、寄り添うことができたのは数回ありました。
彼は最後まで僕のことを友達と呼んでくれました。
当時謝罪をして許しを得たことでも、自分を許せずにいます。
今もう会えないです。
会えなくなりようやく気がつくことが山ほどあります。
親は僕に「ようやく気がついたんやな、なかなか気づけることじゃないよ。それは成長ともいうから大人になったんよ。決して、傷つけるばかりをしてたわけじゃないでしょ?ずっと遊んでたりしてたじゃん。普通そんなことばかりしてたら友達じゃなくなってたよ。謝れる時にもう一回謝りな」と言ってくれますが、本当に成長と言えるのでしょうか…
謝罪を済まし許しを得たことでも、自分を許すことができない。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
大丈夫、その通りです。
赤ちゃんは、善悪が分かりません。ただ自分の望むことを、できる表現方法で表すことで経験を積んでいきます。
つまり、「やってみた結果、これは有効だ、これは無効だ」と具体的な経験を積み重ねて、行動パターンや価値観を作ります。
これは実に、大人になっても同じことです。そりゃ洗練されていくでしょうけれど、人生はずっと試行錯誤です。変化し続けてよいのです。
しかし、機械は違います。プログラムされたように動くだけ。スマホだって、設計された時から進化しないのです。進化するためには、別のプログラムやロジックを入れなければなりません。「バージョンが上がる」と言っても別物になるだけです。
あなたは今回、「その後の経験から、過去の価値を捉え直した」のですね。それは機械にとっては全くあり得ないこと。そんな学びは人間らしさと言っても良いです。
願わくば、その成長(学習)を実践し、気づきを血肉にしていっていただきたいと念じます。