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孤独感がなくなりません。

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焦りや不安、孤独感がなくなりません。
世の中がこのような状態ですから、誰しもが何かに対して不安を持っていたりするんだと思いながらも、鬱々として何も手につきません。

恋人も友人もおらず、自粛中に誰かと会えないというもどかしさはなく…私には頼る人が誰も居ないのだと思い知らされました。
このまま一人ぼっちで老いて死んでいくのかなと思うと、絶望感で一杯になり、その事がずっと頭から離れません。

重い体を引きずって会社に行くと、同世代の人達は皆、結婚に子どもに幸せそう…。
どんな状況にあっても、楽しく、しっかり前に進んでいける人はいるんですよね。
寂しくて仕方ないなんて、誰にも言えません。
自分を変えられなくて何年も立ち止まったままなんて、情けなくて…。
自ら命を絶ってしまうことが、そう遠くない未来のようにも思います。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

基本、みな孤独ですけど

楽しそうに話し合っている人たちも実は孤独です。会社の中ですからうまくコミュニケーションを取らなきゃいけないというので楽しそうにしていますし、適当に話を合わせて噛み合った会話をしているように見えます。が、それは表面上のことで、腹の中では何を考えているかというと、それは表面とは別のものです。

だから、表面上の笑顔や楽しそうな会話なんてあまり気にせんことです。逆にいうと、そんな泡沫みたいなものが職場での楽しそうな会話なのだから、そんなもんだと思ってそのように会話の流れに参加していればいいんだ、ともいえます。あんまり深く考えないでね。

大切なのは、職場のことよりか親子関係の親密さ(という言葉は適当じゃないかもしれません)や、親友の存在、一生の伴侶となるような恋人の有無ということですね。こういう人間関係に恵まれていたら寂しいとは思いませんものね。

私の考えからすると、親友とか結婚を前提とするような恋人ができるには自分の道を見つけてその上を歩いている必要があると思います。誰も協力して呉れなくても独りでもこれをやるんだ、みたいな人の周りには自然と人が集まります。

私は子ども食堂をやっているんですが、リーダーをやってくれている住職がまさにその典型です。信念をもって生きているんで周りに人が集まって協力する人たちが絶えまなく集まります。老若男女問わず、みなが集まります。

あなたは、「自分にはそんなことはできない」とおっしゃるものと思います。実は私もできません。でも、そんな人を見つけてその人の活動なりなんなりに加わることで自然とあなたもそうなっていきます。出会いの機会にも恵まれます。

仏教には「薫習」という言葉があります。お線香をつけると服や体にお線香の香がうつるように誰か尊敬できる人と行動を共にしていくうちにその人の行動が私の行動になり、それが習慣化していく。他者の良いところが自分のものになっていくということです。

子ども食堂のリーダーをなさっている人たちには魅力的で一途な人が多いです。こうした会に参加することで変わっていくことが期待できます。子ども食堂を例にとりましたが、これじゃなきゃいけないとは言っていません。何かを始めてみることかと思います。

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私はお坊さんといっても、ひと様に何か答えらしいものを提示できるような立派な...
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ちょっとした勇気が縁を催す

"私には頼る人が誰も居ないのだと思い知らされました"
"自分を変えられなくて何年も立ち止まったまま"
それは仕方がないよ。自分に難癖つけて、他者との深い交わりを避け続けてきた張本人は、あなた自身なのだから。自分の状況に大きな不満を持ちながらも、誰かがなんとかしてくれる事だけを密かに期待するのみで、あなたは自分を変えようとはしなかった。つまり、フラれたり反発されたりすることを恐れるあまり、そんな嫌な思いをするくらいなら変えないでおこうと決心してきたのはあなた自身です。

"自ら命を絶ってしまうことが、そう遠くない未来のように"
こんなことをこんなところでコッソリぼやいていたって、誰も振り向いてはくれないよ?たとえ実行してみたところで、結局はなんの解決にもならないよ。

"このまま一人ぼっちで老いて死んでいくのかなと思うと、絶望感"
ここままである事をヨシとしないのであれば、あなたは今からすぐにでも行動を起こすべきだ。とはいえ、特段何かすごいことをせよと言うつもりはない。

誰かのために、ほんの少しだけ骨を折ってみてください。
花も実も種を植えるところから始まります。

<追記>
"ハスノハは、誰にも言えない気持ちを聞いていただける場所と認識して"
おっしゃるとおりで間違いありません。
私の回答はどれも、質問者さんに言葉をかける必要がある、その価値があると判断し、そして安直に正解や正論を教えるのではなく、自らよく考えていただく為の材料を提供する意図を込めて言葉を綴ってきたものばかりです。このご質問の場合は特に、自死をほのめかす文言を含んでいる以上、こちらも真剣に答えています。
「大変失礼致しました」ということは、こちらの質問は、あなたの冗談半分、やっぱり単なるぼやきだったという事でよろしいか?

hasunoha.tenrakuin@gmail.com

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【公認心理師】 【レンタルお坊さん】活動中。 とりあえず何でも相談して...
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質問者からのお礼

藤岡俊彦様

お言葉をありがとうございます。
自分の人間関係を再度見直してみます。

転落院様

お言葉をありがとうございます。
ハスノハは、誰にも言えない気持ちを聞いていただける場所と認識しており…大変失礼致しました。

「孤独と向き合う」問答一覧

孤独の力に負けてしまいます

何度かご相談させていただいております。寂しさ、孤独については3回目くらいのご相談になります。 私は孤独を感じるとネガティブスイッチがオンになり、自分が可哀想な理由を思い出の中から引っ張ってきたり(過去に傷ついた出来事など)、涙が止まらなくなったりして、目の前の事に集中できなくなります。幸い、誰にも迷惑かけない程度に自分の心の中にネガティブは収まっているのですが、自分にとって大変迷惑で、今年はこうなってしまう自分を卒業したいです。 現在、恋人はおらず、友達はいますが、この状態になった時にすぐ電話をかけられる人はいません。友達はみんな違う街に住んでいるので、なかなか会えません。時々電話はします。できれば、自分で自分の感情を落ち着かせたいです。 また、今どうしても頑張らないと行けないことがあるので、地元のコミュニティに参加するなど余裕はありません。もちろん、余裕ができたら参加していきたいとは思っています。 前より自分を客観視できるようになって、ネガティブスイッチが入った時、このまま行くと自分を可哀想だと思い始めて、記憶を漁り出すな、と認識できるようになりました。ここまではうまく行っているのですが、寂しい気持ちを処理できずにどんよりして、集中力が落ちたり、眠れなくなったりします。眠れない時は次の日にも響いて、ネガティブを持ち越すこともあります。 寂しい気持ちはどこにやってあげたらいいでしょうか。ネガティブな感情との向き合い方のヒントをいただけると幸いです。宜しくお願いします。

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将来親が死ぬことと自分が孤独になること

中年ですが親の死が怖くてたまりません。 先日祖母を亡くして以来恐怖が強くなり、夜眠れず、朝から突然涙が溢れます。 私はひとりっ子で同居しています。 日頃から絆を感じる友達はおらず、新しい仲間を作りたいと思い行動してもうまくいかず、一人きりです。 親とは他の仲の良い家庭と違って行動は昔から常に別々ですが、今思うと私の人生は親が全てだったと感じます。 本当に何もかもお世話になっていて、たくさん反発しましたが精神的にも常に助けられて来ました。 そのことに気づかないくらい当たり前になっていて、それくらい当たり前のように救われて来ました。 こう書いていてまた涙が溢れます。 若い頃に社会不適応と診断されたことのある自分は職場でも孤立しているため、一般的な大人のようにフルタイムで働くことがとても厳しいです。 でもなんとか自分のものになるようにと、今の職場で新しい勉強に取り組んでいる最中ですが、なぜか身が入らず、メンタル的にも不安定で、将来が怖くて怖くて仕方ありません。 今親は健康で、家事は家族全員で分担し、うまくやっています。 でも当然ですがこの日常はいつか終わります。 だれもが通る道だしそれが世の常だ。って分かっていても、どうしようもなく怖くて、毎日が本当に本当につらいです。 恐怖が心から消える瞬間がほとんどありません。 どうすれば、今目の前なことに集中して、心を穏やかにできるでしょうか。 また、こんな自分が今後孤立して孤独にならない方法はないでしょうか。

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なぜかいつも一人

子供の頃からふとはぐれてしまったり、輪に入れずに一人になってしまうことが多く、ここのところはやっぱり週末も誰かと過ごすというよりは一人で出かけたりということばかり。 誰かとつるむことがそれだけで良いことかといえばそうではないだろうし一人でいる時にはないトラブルや悩みもあろうかとは思います。 他人で自分の穴を埋めようとしてはいけないとは思います。 外国人の友達はよくできていた頃があって、それでも彼らは帰国して物理的距離に反して会いに行けば大丈夫なのですが親兄弟には言われぬ日々の暮らしでの喜び悲しみを共有する相手がいなくて、それは少しつらいです。同時に、一人いればそれはふと虚しさに襲われて、一人でいない時もやっぱり虚しさに襲われて、でも何かを誤魔化す、紛らわすツールとして誰かと一緒にいたいというわけではないとは思ってます。 虚しさ、これが人をして私から遠ざける何かなのかもしれないです。 飲み屋だスナックに行って人恋しさを紛らしている自分がなにを求めているのかもわからないです。コロナ禍の時に父親が極度の警戒心から出歩かないでくれと言っていた時期には達観した気になって私なら孤独感に苛まれまいと平気を貫いてきたかにみえたのですがつらいのは果たして孤独感なのか、自分の声が誰にも届くことない感覚、あ、それも孤独感なのか。 これとても数十年したらみんないないんだろうなとかやっぱり独りになるんじゃなかろうかと、要らぬ心配なのでしょうがまた虚しくなり。 結局は他人は変えられないし自分だって思うようには操縦できないし、世界は自分のためにあるわけではないし思い通りにいかなさを納得するとか泣き出したいこんな気持ちを飼い慣らすかする術をどうにか身につけたいです。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ