復讐心や執着を手放したいです。
特定の人物への執着が手放せず苦悩しております。
私は学生時代からの異性の友人へ償いを求めています。
友人とは家族のような関係で、異性ではありますが色っぽいこともなく長く友情が続いておりましたが、数年前に裏切られました。
裏切りの内容は、仕事で例えるならば、無断で辞める・飛ぶ、というような事ををされました。
もともと無責任な節は見受けられる友人でしたが、それが年々顕著に、最終的に裏切り行為に繋がった、という経緯でした。
償いといっても、金銭を求めているわけではなく、まず誠意を見せてほしいと伝えており、友人も、謝りたい・信じて欲しい・関係修復に努めたい、と言っております。しかし口だけで、都合が悪くなると定期的に連絡が取れなくなり、私が催促をし、と鼬ごっこです。
友人は、連絡不精、無責任、でありながら、物腰が柔らかいためか、ひとつの界隈で見捨てられても、別の界隈に拾われやすい星に生まれた人物のようで、絶望などとは縁遠い人生を歩んでいるように見受けられます。
普通の友人に対してなら、そうした運の持ち主である事実を喜べますが、渦中の友人に対しては全く無理でした。むしろ不幸になって地獄へ落ちて欲しい、としか思えません。そうしない限りあの腐った性根は治らないと思うからです。治す、というのも烏滸がましいといいますか私が決める事でもないのに、これまでの仕打ちをつい思い出すと、そう考えてしまいます。強い復讐心のような気持ちが湧き上がって来てしまいます。
長い年月、貴重な時間を搾取されてきたとすら感じてしまいます。そうした自分の思考にも嫌気がさします。
気の持ちようではないかと、何度も考え、行動をしてみましたが、その甲斐なく悉く裏切られ、自分が疲弊しきっていると感じております。
これら全て、友人への執着のような感情を綺麗さっぱり手放せたら、解放されるものなのではと思えてなりませんが、それが上手く出来ません。
私は友人に裏切られた後、毎日苦しみ、絶望し、何日間も泣き、という日々を送った中、のうのうと色んな方へ嘘をつき自分に都合の良いように生きていた、そんな友人を許せないです。
執着を手放そうとしては償いを求める、の繰り返しで、自分の思考回路では限界です。
長々と申し訳ありません。
何か良い方法はありますでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
出来るだけ遠く離れること。距離ではなく、関わりを断つことを。
あなたが、その方の取った行動.行為により、毎日苦しみ、絶望し、何日間も泣き、という日々を送ったのは事実ですから。それは、なかなか許せるものではないのでしょうね。
また、悔しさや憎しみの中にも、切れない 繋がっていたい想いも、あなたにあるのではないかしら。相手のことを気にしてしてしまう、目にする身近な方なのでしょうね。
本来なら、縁を切り遠く離れることで、憎しみはあっても執着し続けることはないのかもしれません。
あなたが謝罪や誠意を求めても、変わらない相手は、そういう性分の人でしょう。平気なのです。
出来るだけ遠く離れること。距離ではなく、関わりを断つことを。
過去を生きるのではなく、未来に向かって今を生きる
三澤さんの想いもよく分かるような気がします。
しかし、苦しみの原因は友人でも何でもなく、実は、三澤さんご自身である。
友人のことなので考えなくてもいいのに、何故か感情が沸々と湧き上がってきてしまう。関係ないと思いながらも、常に頭の隅にある。ということでしょう。
そして、何故忘れることができない。その原因も分かっているのに、それが実行できない苦しみですね。
でも、結局のところは、言われるように
>私は友人に裏切られた後、毎日苦しみ、絶望し、何日間も泣き、という日々を送った中、のうのうと色んな方へ嘘をつき自分に都合の良いように生きていた、そんな友人を許せないです。
このことに尽きます。許せないという執着が、償えと思い続けることが三澤さんを縛り付け、身動き取れない状態にしています。
友人を許せないと同時に、そういう友人に振る舞わされたという自分も許せないのです。
本当は、自分自身を許していないので、そういう自分を素直に認められない。このことが、結果的に自分を苦しめていることになっているのでしょう。
過去を生きるのではなく、未来に向かって今を生きる。という生き方に変えないと、この苦しみは永遠に続きます。何故なら、終わった過去の友人のことに対して悩み続けているからです。
まずは、自分を許し愛する。そういう自分もいたよね。でもそれもいい経験だった。と変換していってください。
そうすれば自然に友人のことも忘れていくでしょう。気にならなくなるのです。
参考になればと思います。
解放
件のご友人は、あなたの持ち物ではありません。
臨済禅の一休さんは、有りもしない縄で自分を雁字搦めに縛りつける滑稽な有様を【無縄自縛】と喝破されましたが、あなたの場合は自分自身を縛り上げているだけではなく、友人までも有りもしない縄で縛りつけようとしている。「無縄”他”縛」などという言葉は聞いたこともないが、あなたが「友人」と呼ぶその人があなたの友人である為に、あなたが呼べば、万障繰り合わせの上で駆けつけてくる事こそが責任だとおっしゃるのであれば、それはあなたの「友」ではなく「奴隷」でしょう。あなたは裏切られた、裏切られたと言いますが、そもそも相手が自分の都合に間に合わせてくる事だけを勝手に期待してきたあなたは、相手の方にとってはすでに「友人」でも何でもないのかもしれませんね。
"何か良い方法はありますでしょうか"
あなたに相手の都合や意志を尊重できないのであれば、ましてや相手の幸せを喜べなくなってしまったのであれば、もう件のご友人の事を私の「友人」と呼ぶのは遠慮されてはいかがでしょうか?
質問者からのお礼
3つもご回答をいただけるとは思わず恐縮です。皆さま本当にありがとうございます。
中田 様
仰せの通り、身近な人物でございます。共通の知人が多く、思い出してしまう機会が多いのが現状です。関わりを断つ事、積極的にやってみます。執着を手放すことができた暁に、いつか憎しみも手放せるように、出来ればなりたいなとも思いました。ありがとうございました。
鈴木 様
経験への変換に関しまして、私は、自分は既にそれが出来ていて、その上でまだ苦しい、ならばどうしようもない、と自分の状態や気持ちを大いに勘違いしておりました。それに気が付かせていただく事が出来ました。ありがとうございました。許し、愛し、未来を見ること、それら順番に、向き合っていきたいと思います。
転落院 様
お相手を持ち物、奴隷、であると思った事はございませんでしたが、お相手の幸せが願えない自分が、友人と呼ぶ事は憚られること、相手から見た私は友人でも何でもないという点、とても納得しました。無知で「無縄自縛」という言葉を存じ上げませんでしたが、意味を見た時、知ることが出来て良かったと感じました。こちらは存在しないとのことですが「無縄”他”縛」を含め、そう思います。ありがとうございました。
皆さま本当にありがとうございます。
感情のままに書き連ねる事ができたのと、それにご回答をいただけた事で、すでに肩の力が相当抜けました。
最後に質問の際文字数の関係で割愛した文章もせっかくなので下へ残させていただきます。不適切でしたら削除します。
本当にありがとうございました。
裏切りは、友人が私を含む付き合いの長い知人だけを集め、新たな事業に挑んだ過程で起こった事でした。
長い付き合いなのだし彼がそんな事する筈がないたろう、というところを発端に、数年経った今も尚、たまにその余波が来る事があり、その対応を行う度、知人達と辟易している状態です。
当時より、自分は友人の中でも異性である事から、本人が何かしら口を開きやすいのではないか、という事でパイプ役のような存在になっておりました。
そしてその役割は、頻度は減ったものの未だに発生し、しかしそれは友人のどっちつかずな態度・行動で立ち行かないので、その度にえも言われぬ憎悪のような感情が湧きがって来ます。こうして文章を書くなどして改めて振り返った時に自分で自分が恐ろしくなる程です。