まともな会話が出来ないカルト信者の両親
(編集部より。規約により投稿の一部を変更しています。)
私の両親は、共に熱心な某宗教の信者です。私は子供の頃から信心する気は無いです。
それをいつも貶され、お願いしても私の考えは全く聞き入れられず、尊重されたことはありません。
とにかく何を話しても宗教に結びつけ、
悩みがあっても話を聞いたり一緒に考えることなく、
『お経をあげなさい』しか言われず、その後はお経、信心、御書、宗祖のすごさ…など聞いてもいない事を延々と話し続けます。
特に幼い頃は大変苦労いたしました。
信心は人生の羅針盤!などと言っていましたが、私は宗教でなく両親の考えが聞きたかったのです。
しかしそれが得られない環境でしたので、精神的な拠り所がなく
ひどい摂食障害に高校生の時はかかり、生理が止まる程でした。大人になるとうつ病などの難治性ストレス病にかかりました。
何気ない会話やちょっとした相談をしても、まずはお経!信心!ご本尊様!のオンパレードで
すぐに本題から逸れ、信じていない私を貶し、信者を誉め称えます。
つまり信者であれば認めるがそれ以外は悪、ダメ人間扱いです。疲れます。
私の親しい友人の家族が亡くなった時も、
信心していなかったからだと断じておりました。
とんでもない人間だと呆れましたが、ここまで洗脳が深いともう何を言っても無駄なので、私を含め親族も諦めています。
元々の負けず嫌いな性格もあるようです。
それ以外にも驚く程無神経な発言も多いのですが、母も高齢になり、こうした発言もだんだん老化現象のように処理している自分にホッとしています。しかし
やはり唯一の母親がカルト宗教に依存して己を保っているという事実や、成り立たない会話、他人や私へのひどい発言は、わかっていても私を苦しめます。
人を貶してひどい言葉を平気で吐くことについては、一切情報を渡さない事で対処したいと思っていますが、
子供が生まれたばかりで付き合いを一切断つ事はできずにいます。
今までお世話になった事も数えきれない分、愛憎が深いのだと思います。
母の言葉に心動かないようになりたいです。
どうすればもっと心の距離を取れるでしょうか。
お坊さんからの回答 3件
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毅然としていればいいのです。
私のような立場の者(日蓮宗僧侶ですから)が、さつきさんにお話をする。ということをご両親が聞かれたら、それは大変は事でしょうね。大謗法罪(だいほうぼうざい)と罵られるでしょうね。
昔はよく訳の分からない法論を仕掛けられました。
私たちも、某新興宗教の欠点を随分勉強しました。でも、一度、洗脳されてしまうと、なかなか抜け出せないような仕組みになっているので仕方ありません。
でもそれが新興宗教の手段ですから、渦中にある方は何ともし難いです。
もちろん矛盾に気づき退会される方には、大いにお話をしますが、そうでない方には一切関わりません。どうぞご自由にということです。
さて、さつきさんも日頃から、その関わりでご苦労されたと思いますが、第三者から冷静に見た時に、やはり信仰はそういうものではないと感じられたと思います。それに気づかれたらそれで十分です。
でも、今さらご両親の考え方が変わる訳でもありませんから、もうそのままに対応するしかありません。
家庭内での信仰の問題も多々ありますが、何を信じているのかによって、親子兄弟、夫婦さえも亀裂が生じます。それも仕方のないことであり、身体は拘束されても心までは拘束できないということです。
若かくて元気な間は、ある程度自分の思い通りになるので、真理法則に反していても都合よく理解しますが、そうではなくなると、真理真実を受け入れざるを得ませんが、そんな日が来るといいですね。
「何でもお題目さえ唱えれば自分の思うままになるのではありません。たくさん唱えればいいというものでもありません。まして、お題目はそのように使われるものでもありません、まずは、人として最低限の良識と社会人として生きることからです。その上で信仰するから救いがあるのです」
ともあれ、両親は両親ですの、何かに気づいた時に救ってあげればいいのですから、さつきさんも自信を持って対応してください。
さつきさんご自身もそのような環境で育てられたということも意味があってのことでしょう。何を脅かされても大丈夫ですから、包み込むような愛でご両親を見守ってください。
信仰への執着は煩悩(悩み苦しみの原因)
お釈迦様は、煩悩が自分と他人の悩み苦しみの原因になることを発見されました。
たとえば、信仰への執着も煩悩であり、自分と他人の悩み苦しみの原因になりますよね。
他人との優劣を気にするプライドの煩悩も悩み苦しみの原因になります。
ご両親は、煩悩に苦しみもがいている状態なのです。
誰にでも煩悩はありますので、仕方ない部分はあります。
煩悩があるのはお互いさまなので、まずはご両親に対して慈悲の目線を忘れないようにしましょう。
世の中には、他人の煩悩を刺激して客を集める手法が多々あります。
宗教は、信者のプライドの煩悩を刺激して、「特別な信仰をしている自分たち」という優越感に浸らせ、信者を気持ち良くさせてくれます。
人生の希望を失っているような人々にとっては、とても気持ち良い刺激なので、新興宗教の施設に行くと、心身が弱っている人々がけっこう集まって来ています。
信仰以外に喜びがないのかもしれません。
ご両親には、信仰以外で人生の喜びを感じられると良いですね。
変わらないご両親を愛してください
偶然ですが、私と同年(58歳)のその宗教信者2人と知り合いです。二人ともとても立派な人物で、したがって周囲の人たちからとても尊敬されています。バランス感覚みたいなものもすごく持っていて信心に凝り固まっていません。でも、熱心な信者です。熱心さと常識みたいなもののバランスが取れているので尊敬されているのでしょう。
残念ながら、ご両親はそんな感じではなさそうですね。ご高齢の御両親がこれから変わっていかれるかというと難しいといえます。たぶんあなたもそう思っておられると思います。ご高齢になり身体は衰えられるでしょうけど……。
で、身体が弱っていかれる御両親に対してどう接していったらよいかお悩みなのでしょうが、それはもうあなたがお考えを変えられて、ご両親をそのまま受け入れてあげるのがよいと思います。これももう既に分かっておいでのことでしょう。が、それを再確認していただいて、より高いところから御両親を受け入れ、かばってあげていただくより他にないと思います。
小さい時からたくさん嫌な思い出が積み重なっているのでしょうが、それでも大切な親御さんです。ご両親は変わりませんから、あなたが気持ちを入れ替えるしかないと諦めて(ここでは明らかに知って、という意味です)ください。
ただ、切り替えるということは、耐えることでもありますから、何か自分のためにご褒美を用意するとか、楽しみを持つとか、そうしたことも忘れないでください。
ご両親とあなた自身をたいせつになさってください。
質問者からのお礼
藤岡様
お返事ありがとうございます。じつは両親は外面は良いのです。家族には別の顔を見せています。子供の頃はお寺で七五三をしていますので、両親は70代ですから多分もうすこし古い信者の人間で、そのせいなのか若い人より他宗の弾圧や悪口が強烈です。他人の悪口を言う宗教は私は受け入れられません。藤岡様のご友人のような方が両親であれば、私ももっと見方が違っていたのかもしれません。
いつしか私も子供を産み経験を積み、両親を1人の人間と認識できるようになっており、いまその弱さに落胆しているのかもしれないです。アドバイス通り、俯瞰の位置から包み込む姿勢をとります。ご褒美、良いですね!今まであまりやったことが無いですが、色々考えてみます。
鈴木様
ありがとうございます。大謗法罪…言われると思います。日蓮宗、浄土真宗などの他宗のみならず機関紙にも他人の中傷ばかりで、昔から嫌でした。特に母は、お題目をあげれば全てが叶っていく!と、身近で起きた都合の良い事を体験談として語ってくるのですが、鈴木様の仰るとおりお題目は本来そんなものでは無いと私も思います。
何を脅かされても大丈夫、と言っていただきありがとうございます。ずっと脅されてばかりで怖かった気持ちを理解してもらって嬉しいです。また、そんな環境に生まれ落ちたことにも意味があると勇気づけて下さって感謝します。親の宗教のせいで人生かなりハードモードでした。お葬式の事を考えると今から憂鬱ですが、いただいた毅然とした態度でいなさい、というアドバイスをこれからも大切にします。
願誉さま
ありがとうございます。新興宗教の施設に行くと、心身が弱っている人がいっぱい集まっている…よくわかります。私の知っている人達も両親を含めそういう人達が多いですし、身近にそんな人がいれば折伏しに行こうとする事も…
末端の人達は善意で言っているぶんタチが悪いと思います。
母から唐突に、あなたのように曖昧なものを信じている不安定な人間に比べたら信心している人はどんな事も乗り越えていける!などとLINEが送られてきましたが、
カルトに頼って偽物の万能感に浸っている自分は不安定ではないのかな?と、普通に疑問です。
何を言っても無駄なので無視していますが、何もしていないのにこんな事を毎度言われて気分の良い人などいないはずなのに…
むしろ、不安な自分を鼓舞するために敢えてこんな事を言っているのかもしれないですね。私を貶せば、自分が私より上に感じられて気分が良いのだと思います。
という事は、やはり仰られるように特別な何かになりたい、優れたいという煩悩に苦しんでいるのでしょうね。
なんだか、悲しくなってきます。
仰られた慈悲の目線を忘れない、ということが何か、ここ最近は少しわかるようになりました。若い頃は正面衝突ばかりでしたが、両親も両親なりに一生懸命だったのかもしれません。
未だ執着は消えやらずのようですが、それが両親なのだと、あるがままに捉えていきたいです。