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後悔、亡くなった彼の無念さで心が雁字搦めです。

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有り難し有り難し 9

よろしくお願いします。
2年半同棲していた婚約者が今月に入り入院。2週間で急変し亡くなりました。彼は外国人であり,空手の師範を取得修行の為に日本に来ており日本に身内もなく、本国の母親もそちらで埋葬してくれと頼まれ荼毘に付しました。
病気がわかったその瞬間から、最後まで看取りました。最後,私の名を呼び
“愛している。何が起こっても君のせいでは、ない。道場の仲間には、ありがとうと。そして道場の先生には,成し遂げる事が出来なくて申し訳ない、私を道場に向かいいれてくれてありがとう。愛猫の名を呼び、お母さんと言い…また私へ愛していると述べ、病気と闘ってくるから。”と述べ、
更にあれ、ここは元の病院だ、新しい病院じゃないよ、なぜ?と私に問い、私は嘘をつき、今は苦しさをとるだけ。そして新しい病院へ運ぶからね、と伝えて病院のスタッフが私を止めるまで手を握りしめていました。。
最後の日は1日でいいから普通の日を過ごし母親に説明をしたいという希望でした。主治医も付き添いながら帰宅し、私も考えが甘かったのでしょう。最初は、”太陽だよ。やっと家に帰れたね、お腹空いたよ、”などと言っておりましたが、2.3時間で急変。あの苦しい表情が忘れられません。意識は一度戻り、先程のべた言葉を言って息をひきとりました。。
彼の道半ばでの無念さ、死への恐怖や悔しさ。また,私は何故あの時強く自宅へ帰る事を強く止めず転院までの話を一緒にしてしまったのかという最大の後悔と、もちろん大切な人でありましたが彼を本当に愛していたのかと悩む瞬間もありながらの同棲生活。彼がどれだけ私を愛していたのかを最後の瞬間にまで伝えられ,深い愛情に悔いの涙しかありません。
今後,49日を過ぎた時の御遺骨を本当に私が預かっていいのか,やはり本国へ送り帰した方がよいのかと、現実問題としても悩みがつきません。彼の母親は精神が不安定な為,日本で埋葬していいと言ってはおりましたが確かかはっきり分からない状態です。
彼の無念さ、大切な人を失った哀しみと後悔の念、この先どうしたらよいのか、とこの気持ちに雁字搦めであります。。お言葉を頂ければ幸いです。1日、1日を生きていくという事は分かっておりますが、雁字搦めの心に、、とても生きていく事に疲れており、苦しいです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

彼は見守っています、追記

私の想像の及ばないくらい、とても辛いことでしょう。
ただ、あなたの行為は何一つ間違っていません。
彼の為に最大限の事をしました。
彼もそれを分かっていた事でしょう。
彼が今、極楽浄土あるいは天国に居り、あなたを見守っていることと思います。
あなたに感謝していると思います。

遺骨の扱いについては、彼のお母さんが精神的に不安定とのことなので、彼のお父さんやおじさん、おばさん、彼のご兄弟達とご相談してはと思います。

いつか、極楽浄土あるいは天国で彼にまた会える時が来るでしょう。
その時は彼は空手の師範になっています。
なぜなら、極楽浄土や天国には空手の達人が大勢居られるからです。

追記
私としては、あなたがどのような涙を流そうが、彼が極楽浄土あるいは天国に行く事に変わりはありません。
どうかご安心ください。

生きる意味は人それぞれであります。
ある人は修行であると受け止めています。
ある人は念仏を称えることと受け止めています。
ある人は幸せを得る為と受け止めています。
ある人は誰かの為に生きる事と受け止めています。
私は幸せを得て、幸せを与えて、仏教を広めることと思っています。
あなたにもあなたの意味があると思います。
仕事で誰かの役に立っているでしょう。
親には親としての幸せを与えたでしょう。
生前は彼の支えになり、今は彼の供養をしていますね。
それらは全て意味のある事です。
もしかすると、あなたの力、あなたの愛情を必要としている人が、彼以外にもどこかにいるのかもしれません。
彼の事が一段落したら、ゆっくり考えてみてください。

生きる事に意味を持たせるかどうかはあなた次第です。
私は応援していますよ。

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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質問者からのお礼

お言葉ありがとうございます。彼の人柄でしょうか、異国の出身でありますが、不思議な縁があり彼の知人に住職さまがおり、荼毘にふすまでを弔って頂きました。その時,私の姿を見て、” 死ぬのなら死になされ。病に倒れるのなら倒れなされ”という言葉がありますよ、と言われました。人生のなかで起こる事は誰も分からず,止める事はできない。長く生きたか短さはさほどの意味を持たないのですよ、我々人間が出来る事は,その日その日を目的を持ち正しく生きたか、それさえ行っておればいい。そうすれば,死ぬのなら死になされ、という言葉にいきつくことができるのです、と。彼は高い志を持ち,空手という人生の目的にむけて真っ直ぐに生きてきたのだから,貴方が悔しくて涙を流せば,これから極楽浄土への修行の身であるのに,あなたが気になり浮かばれない。哀しみで泣きなさい、沢山泣きなさい。でも悔いての涙は彼の人生を否定する事になりますよ、と。
心が軽くなるように少しだけ思いました。。

生きるとは…いったい何なのでありましょうか?これからの私に何か支えになるお言葉があれば頂きたいと思います。。仏の道に大変ひかれております。

どのような涙でも彼は極楽浄土に行けるのですね…。その言葉に本当に救われました。。
私はふと思うようになりました。私は,辛く、後悔、痛いという感情を持ち泣く事ができます。それは辛く哀しくとも彼の最後を看取る事ができたからでる涙です。。昨日、小雨の中ふと思ったのは,彼の母親は、辛くとも彼を最後に抱きしめてあげる事も、声を聞く事も出来ず、ただ遠い日本から電話で詳細を聞かされ、泣いているのかと思うと私の何倍もの彼の母親は哀しみの涙を流しているのだと思いました。わたしは毎朝、線香を彼のお位牌に立てお話をする事ができます、例え哀しくとも…。今、私の力を必要としているのは彼の母親なのかもしれません。彼のお遺骨を母親の元へ連れて行き、その手で触れさせてあげたいと思うようになりました。。それまでしっかりと供養して行きたいと思っております。。
今、1つ私の生きる意味を見出せたような気がします。これを成し遂げればまた、繋がっていくような気持ちになります。そしていつか私が極楽浄土へ行った時、一緖に空手をしたいと思います。哀しみは消えませんが、力になると信じていくしかないですものね。。
ありがとうございます。
また相続させて下さい。

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