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「させていただく」

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こんにちは。初めて質問いたします。

お寺や修行のドキュメンタリーを見ることが多いのですが、その中でよく修行僧の方が「○○をさせていただく」(例えば回峰行であれば、歩かせていただくという風に)という表現をよくされることに気づきました。

こちらの表現には何か元となる仏教の精神や教義はあったりするのでしょうか?

初歩的な質問かもしれませんが、よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

阿弥陀様発の表現

こんにちは、初めまして。

「○○をさせていただく」という表現は、「元となる仏教の精神や教義」があるのかというご質問です。

浄土真宗においては、明確にあると思います。それは行為の主体が、一見自分のようであるけれども、その実は仏様、阿弥陀様によって働きかけられた結果、お蔭である、と考える教義があるからです。

その仏様からの働きかけを、他力ともいいます。他力本願という表現はお聞きになられたことがあると思います。

これは、他力=本願力という事です。つまり、阿弥陀様(他)が私達人間を救おうと願いを建て、その願いを実現する力で私に働きかけておられる、という意味合いです。

この際、私達人間の方が100%受け身であって、救いの恩恵に与り、お念仏を賜って、信心を賜って極楽浄土への道が開かれる、と考えています。

このような教えの醸成を受けて、自分の全ては阿弥陀様前提、お陰様の存在前提での表現となっていった、と聞いております。だから、〜するという自分発の行為の表現ではなく、阿弥陀様発の行為の表現である〜させて頂くという言い方が発達したと考えています。

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釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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賜りもの

"こちらの表現には何か元となる仏教の精神や教義は"
いえいえ、そんな小難しい話ではありません。

自分で創り出したものなど、ひとつもないからですよ。

「一億円あったて、金魚一匹つくれんばい」
『佐賀のがばいばあちゃん』島田洋七

hasunoha.tenrakuin@gmail.com

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【公認心理師】 【レンタルお坊さん】活動中。 とりあえず何でも相談して...
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YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

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