過去の過ちをずっと考えてしまいます
こんにちは。高校生です。
後述する内容は親にも相談出来ず、周りの友達にも相談すると嫌われてしまうのではないかと思い、ハスノハさんに辿り着きました。
わたしが幼稚園の頃にやってしまった事が未だに忘れられません。
元々深く考えるタイプではないので、この事も時々思い出してもすぐに忘れていました。
幼稚園の頃、同じクラスの子の頬に爪で抓って傷をつけてしまいました。
先生が目を離した隙にやりました。
背の順で並んでた際にその子と隣でした。理由は後から親に聞いた話ですが、顔が気に入らなかったという理由らしいです。(この事については記憶がありませんでした。)
爪で傷を付けたのは私だけでしたが、その子の反対側に座ってた子もやったと嘘をついて加害者にさせてしまいました。
被害者の子のお家にも謝りに行って、でもその時はなんで謝らなければいけないの?と思うような最低な心を持っていました。
今では考えられません。物心がついているかついていないかの頃でしたが、鮮明に覚えています。
思い出して考え込むようになったきっかけはコロナ休みで、親が久しぶりに小さい頃のホームビデオを見ようと言い、出してきて見たのがきっかけでした。
最初は楽しんでみていましたが、幼稚園の映像がうつってるのをずっと見ていたので、思い出すようになりました。
自粛期間があけて、学校が始まるようになったら次第に忘れるだろうと思っていましたが、今まで全然消えません。かれこれ5ヶ月ほどです。
毎日四六時中、授業中もずっと考えてしまいます。考えていなくてもすぐフラッシュバックが起こります。
最近は特に毎日幼稚園の卒園アルバムを見ています。その写真を見る限り、傷は残っていないです。それでもう大丈夫、と自分に言い聞かせていますがやっぱり忘れられません。
完全に記憶から消したい訳ではありません。消してはいけないと思います。
幼稚園の頃ですが、わたしがやったことには変わりありません。ほんとうに悪いことをしました。
けど苦しいです。助けてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
kiさん
はじめまして小山と申します。御文章拝見させて頂きました。
幼稚園の事とは言え他人を傷つけてしまい、加害者であると強く感じていらっしゃる事だと思います。
仏教には、業(ごう)と言う言葉があります。本来の意味は行為、作用。人間のなす働きを言います。
その中に善いの行い(善業)と、悪い行い(悪業)があります。そして、それらはそれぞれの結果となってあらわれると言われています。
kiさんは、過去に犯してしまった過ちに囚われてしまい、自己否定的、後ろ向きなどの思考になっていると思います。その思考をこれ以上繰り返さないようにするには、その苦しみが何なのかを、まず客観的に理解する事が大切だと思います。
「私は今苦しんでいる」「なぜ、苦しんでいるのか」「それで、どうしたのか」「本当はどう思っているのか?」などの事を紙に書き出してみてください。自分の感情を文字にしてそれを客観的に見るという事です。頭と心が整理されてくるはずです。
今は「悪いことをした」「苦しい」と罪悪感にさいなまれて聞き入れる事が難しいかもしれませんが、お釈迦さまは「人は行いによって変わる」と仰っています。
人間、誰でも叩けば埃が出てくるものだと思います。kiさんだけでなく、皆さんそれぞれ誰にも言えない過去に傷や過ちを持っているものです。
どうか、過去の過ちを反省するばかりでなく、今度はその経験をkiさんがどのように行動していくのかが大事ではないでしょうか。
一日も早く前を向ける日を、お寺より願っています。 合掌