親族の死に対する気持ち
お世話になります。
身近な親族の死に対する私の気持ちはいったい何なのか、ヒントを頂ければと思い投稿いたします。
3年ほど前に父を亡くし、さらに先日祖母が亡くなりました。
父を亡くした際もこちらでご相談に乗っていただいたのですが、その時には「悲しい」という感情ではなく「申し訳ない」などの感情ばかりでした。
今回の祖母の死でも、「悲しい」ではなく「お疲れ様、頑張ったね」という気持ちがほとんどなのです。
もちろんまったく悲しくないというわけではないのですが、一般的な「悲しい、つらい、会いたい、死なないで」などといった感情にはならないのです。
これは身内に限ったことのようで、たとえば好きな芸能人の訃報にはとても悲しくて「もう会えない、もう声が聞けない」と泣いてしまいます。
一方、親族に対してはやはりそこまでは悲しくなく、心で生きているような、そんなに遠くに行っていないようなそんな気がして大して悲しくはないのです。
顔を見れば「もう会いたいと思った時に気軽に会えないし話せないのだな」と思って少し寂しくは感じるのですが、何度も言うようですがやはりそんなに悲しくはありません。
この感情?気持ちはいったいなんなのでしょう。
時々私は薄情なのか、親族がそれほど嫌いなのかと考えてしまいます。
ヒントとなるようなご意見を頂ければ幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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グリーフという言葉は聞いたことがありますか?
のぞみさん、こんにちは。書き込みありがとうございます。3年前にお父さんを亡くされて、先日お祖母さんを亡くされたとのこと、まず一言お悔やみ申し上げます。
のぞみさんはグリーフという言葉を聞いたことはありますか?
大切な人や物、環境などを喪失した時に起きる、様々な感情や状態、反応などを引っくるめてグリーフと言います。
グリーフは人それぞれ、同じようなこともあれば大きく異なることもあります。
たとえば、ずっと苦しんでおられた方が亡くなった時に、亡くなったことで、もうあの人が苦しむことが無い、苦しむ姿を見ないで済むといった安堵感が出てくることもあります。
人を失った時の悲しみや喪失感は、悲しいという感情というだけで出てくるとは限りません。
なので、のぞみさんが、好きな芸能人の訃報を聞いた時には涙が出るほど悲しいけれども、お祖母さんが亡くなった時には、お疲れ様、頑張ったねという気持ちが出てくることも、きわめて自然なことです。
のぞみさんが、ご自身は薄情じゃないのかと心配されたり、親族のことが嫌いなのかと心配されてるとのこと、その様子に私はのぞみさんは優しい人なのだなと感じてます。
ですが、悲しくないから、薄情だとか嫌いなのかということはありません。だから、悲しくなくてものぞみさんがご自身を責める必要はありませんよ。
質問者からのお礼
グリーフという言葉、存じ上げませんでした。
無理に悲しまなくてもいいのだとわかり安心いたしました。
心が救われました。ありがとうございます。