藁をも掴む気持ちです。
発達障害とチック障害と強迫性障害と鬱に苦しみ、今は作業所出働いています
小中とともに、いじめに苦しんでおりそこからの心からの願いは消えることです。それは今も変わりません。
でも頭は生きていれば幸せなこともある。それはダメだって言ってきます。でも心はあと80年間も孤独と鬱と不安に耐えられるか?と正論を述べており、どちらにつこうかずっと戦ってきてます。
今は相談できる人もおらず、孤独です。唯一の人間関係はネットだけで、かるいイラストを載せる程度です。
環境が整うほど、なんで自分は元気にならないんだろうとかんがえてしまいます。
もう苦しみたくないです。楽になりたいです。どうすれば自分から生きたくなれますか?助けてください。
あと加害恐怖の確認癖もあるので、このアカウントでの犯罪行為もないか教えてください。すいません
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
今の瞬間の刺激に対処する
まず、ハスノハに質問しただけで犯罪行為になることはありません。
ご安心ください。
さて、私たちは、過去や未来を気にして嫌な気分を増大させてしまいがちですよね。
でも、過去や未来をあれこれ考えるのは、ほとんどが妄想雑念なのです。
脳内の記憶や知識のデータをあれこれかき混ぜているだけの妄想雑念です。
今の瞬間に意識を戻してみましょう。
今の1秒間に対処すべきことは何でしょうか?
たとえば、山を登っているときにほっぺたがかゆくなったとする。
そのとき、やるべきことは、ほっぺを手でかくことです。
ほっぺをかくときに、険しい山道について悩む必要はありません。
そのように、瞬間ごとにやってくる課題や刺激に、その都度対処すれば良いだけです。
生きたいとか死にたいとか、考える必要はありません。
息を吸いたいなら吸う、お腹がすいたら食べるなど、目の前の課題に対応していけば、死ぬまで生きられるのです。
たとえば、仕事に向かう道中で散歩を楽むのも面白い。
また、「歩く瞑想」を調べてみてください。
ただ歩くことの中にさえ、瞑想というゲームを入れてみると、新しい世界が開けます。
瞬間瞬間を切り取ることで、いつでもどこでも瞬間ごとに、心身を使ったゲームで遊べるようになります。
何気ない日常の動作も、茶道やダンスやスポーツのように動きを工夫してみれば、ゲームのように楽しい瞬間になります。