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過去の罪への罪悪感で苦しいです

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初めてご相談させて頂きます。
ご質問が殺到する中、数多くの中から目を留めてくださり、感謝申し上げます。

30歳を手前に、今までの人生を振り返り、大小問わず数々の過ちを犯してきてしまったことに気付きました。
今になって自分の心の奥底の良心が、これまでのあらゆる悪事を全てフラッシュバックさせているような感覚です。

子供の頃から完璧主義で優等生タイプで、他人に対しては「良い人」として映る人間だと思います。
しかしその反動で、人が見ていないところでは、迷惑を省みず、ルールに反すること・人に迷惑をかけることを本当に数多くしてきてしまったと思います。
最低な人間でした。

昔万引きや人のものを盗ってしまったことがあること・ポイ捨てしたこと・約10年前にお釣りを少し多く受け取ったことに気付いた後そのまま返さずにいたこと・様々な場面で多くの嘘をついたこと…他にも数多くのことが津波のように押し寄せます。
人を見下したり、嫉妬心を持ったり、醜い感情も数多く持ちました。
書くことがとても苦しく、本当に本当に辛いです。でも自分がしたこととして受け止めます。
心から情けなく、恥ずかしく、大変恐ろしく、毎日本当に深く深く後悔の念に苛まれております。本当にごめんなさい。

毎日これらが繰返し頭をよぎり離れず、本当に心が痛み、心から後悔・反省し、傷付けたりご迷惑をおかけしてしまった方々に本当に申し訳ございませんでした、と涙が出ます。
人間としてよくない姿だったと心から反省するとともに、これまでの生き方が全て間違っていたのではないかと絶望的な気持ちです。
罪悪感から逃れられません。でも逃れずに受け止めることが、罪深い私には必要なのだとも感じるのです。

もう二度としないと決意すると同時に、過去してしまったことを振り返り、生きている価値がないような人間に思えます。

こんな間違いだらけの人生を送ってきた、取り返しのつかない傷物のように思える私です。
お許しいただくことは出来ますでしょうか。これからも生きてても良いのでしょうか。

周りの人に優しく、愛を与えられる温かい人間に生まれ変わりたいと心から思っています。どうか、罪深い私に、これからどう生きていけば良いのかにあたり、ご助言をいただけませんでしょうか。
お忙しい中お時間を割いて、まとまりのない文章をお読みいただき、本当にありがとうございました。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

過ぎた後悔は傲慢である

こんにちは、初めまして。

私は、だいぶん以前によく分からない言葉に出会いました。
それは、過ぎた後悔とは傲慢である、という言葉です。
小説だったか何だったかは忘れてしまいましたが、その意味が飲み込めませんでした。後悔って誰にでもあるし、むしろ自分を見直すために必要なことではないのか、と思ったのです。

しかし、今になるとその意味は分かる気がします。
それは、様々な経験を積んだからこそ、慌てなくても出来るようになったり、心配しなくてもいいことが分るようになった。その今だからこそ、振り返って自分の未熟さを思うからこそ後悔ができるのです。それは、後悔できるようになったという事実そのものが成長の証であるとも言えます。

しかし、その後悔してしまうような過去の事実が正視できない、許せないとなるとこれは話が違います。そんな過去があった自分が許せない、完璧でない自分を許容できないという奢り、プライドの高さ、行き過ぎた完璧主義、傲慢そのものになっているということです。

あなたは、「子供の頃から完璧主義で優等生タイプ」だったそうですね。そのあなたが今、「過去してしまったことを振り返り、自分が取り返しがつかない人間で、これ以上生きている価値がない」と思うようになった。これは、「完璧主義」そのもの、自分は過去にこんなミスを犯したような自分ではないはずだ、受け入れられないという高すぎる自己像を持つ傲慢さから来た悩みなのではないのでしょうか。

あなたは「人間としてよくない姿だったと心から反省する」べき点を分かっているはずです。「様々な場面で多くの嘘をついたこと」などです。これから直すべきは直して、人間の根本に関わる「嫉妬心」「醜い感情」などは仏教に多くの知見がありますから少しづつ触れていくのも手でしょう。

「完璧主義」を手放して、失敗もある、人には見せられない内面もある自分そのままでいいやと思う。そして、これから少しでも失敗を減らしていこう、内面を見つめていこう。それでいいのではありませんか。

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おきもち

釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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善きことをしましょう

拝読させて頂きました。
人間ですから失敗してしまったり間違いをしてしまったり、人を傷つけることをしてしまったり、罪を犯してしまったりするものです。
あなたそのような自分をしっかりとご自分を見つめ続けて心から反省して善きことをするよう心掛けていくならば自ずと自ら清い身の上となっていくでしょう。
仏教とは
経典の「七佛通戒偈」にあるように
すべての悪をしないように、多くの善を進んで行い、自らの心を浄めていくこと、これがあらゆる仏の教えである
の通りです。
あなたの生き方は仏教の教えそのものではないでしょうか。
どうかこれからも自らを素直に認めていかれ、善き考えや言葉や行いを進んで実行なさって下さいね。周りの方々にも優し接して思いやりの心を持って助けてあげて下さいね。
いつもあなたのことを神様も仏様もあなたのご先祖様方も優しく見守っていらっしゃいますからね。
神様も仏様もあなたのご先祖様方あなたを心から応援していらっしゃいますからね。

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おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

釋 悠水 様

お忙しいところ、お返事をいただき感謝申し上げます。
こんなに早くご丁寧で温かい回答がいただけ、読んだ瞬間込み上げるものがありました。本当にありがとうございます。

私の今悩んでいること自体が「完璧主義」そのもの、自分は過去にこんなミスを犯したような自分ではないはずだ、受け入れられないという高すぎる自己像を持つ傲慢さから来た悩みである…という部分、まさにハッと気付かされました。
本当に、そのままおっしゃる通りです。心に強く響きました。

いい部分も悪い部分も全て自分という人間を構成するパーツだと、丸ごと受け入れなければいけないと感じました。
すぐに変わることは難しいですが、反省すべきところは反省し、完璧主義の鎧を少しずつ脱いでいけるように、生きていきたいと思います。

お言葉で自分には持てていなかった、新たな気づきを得られた思いです。
本当にありがとうございました。

Kousyo Kuuyo Azuma 様

お忙しいところ、私の相談に目を留めていただき、大変温かいご回答を本当にありがとうございました。
今回、今までの自分の行いや間違いに気づき、これからの生き方を考えるきっかけをいただいたこと、神様や仏様・ご先祖様がチャンスを与えてくださったのではないか…と、反省とともに深い感謝の気持ちで本当にいっぱいです。

「すべての悪をしないように、多くの善を進んで行い、自らの心を浄めていくこと、これがあらゆる仏の教えである」改めて、心に留めたいと思います。
悪い行いをすることは、お相手や他の方はもちろんのこと、自分をも深く傷つけることが今回身に染みて痛感されました。

自分を素直に認め、受け入れていけるよう少しずつ努力します。
そして、周りの方々に愛と思いやりを持ち、優しく接することのできる善き人間になれるよう、これからしっかりと努力いたします。
温かく優しいお言葉、本当にありがとうございました。

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