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死んだら・・・

回答数回答 2
有り難し有り難し 23

以前と似たような内容ですみません。
死後の世界が気になって落ち着きません。
いろいろ質問があります。
・諸行無常の言葉のとおり、この世もあの世もいつかは終わるのか?
・輪廻転生卒業後、自分の生まれの星に帰ると聞いたことがあるのですがそんなことあるんですか?
・神様は小学5年生という本に天国は地球と宇宙の間にあると書いてあったのですが宇宙が滅亡したら天国もなくなるのでしょうか?だとしたら魂は永遠の生命ではないですよね?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

こう思う

こんにちは、初めまして。

前回の同様の質問では、三人の回答僧さんが丁寧に答えて下さっていました。

死ぬのが怖い
https://hasunoha.jp/questions/49115

これに対して、あなたは、「回答ありがとうございます。出来ればもう少し簡単な言葉にしてほしい」と短く返していました。試みに出来るだけ「簡単」にしましょう。

そもそも、あなたがここで死後のことを尋ねる目的は何ですか?
前回こう書いていましたね。
「家族が大好きなので離れたくないです。一緒にいる時間が限られていると思うと本当に辛くて呼吸困難になります」と。その気持ちはとてもよく分かります。私も自分の家族に対して同じ思いを抱いています。今回も「死後の世界が気になって落ち着きません」と言っています。

前回の質問中に「死んだら今の家族とは何も関係が無くなり、転生したらもう2度と会えないのか」と書いています。つまり、あなたはただ死後がどうなっているのかという、単に知識を得るための机上の勉強を目的とした質問ではなく、自分と家族の命の行方はどうなっているのか、再び出あえるかどうか、という命の問題を問いたいのではないでしょうか。

死んだらどうなるか。
これは100人いれば100通りの考えがあるでしょう。
しかし、それはどこまでいっても、

私は、こう思う。

の範疇を出ません。

私はこう思う、は中々安定しません。
コロコロ転がる心でそう思うからです。
時に信じ、時に疑うからです。

あなたは、仏教の部分的な知識や、「小学5年生」という本で得た知識をもとに質問しています。これからも宗教、スピリチュアルなどの本を読んで知識をためていくほど、整理が大変になります。それでも、時に信じ、時に疑うことをやめられないでしょう。それは、判断の基準が、どこまでいっても自分の頭と心で

私は、こう思う

でしかないからです。

私は、命終わった後のことを、私はこう思う、をやめました。
何故なら、

仏様が、こう思う

を大切に出来るようになったからです。

あなたを必ず極楽浄土へ連れ往きます、と仏様は仰います。
そして、再び同じところで家族同士を再会させましょう。
この仏の心を大切にしてくれよ、と。

私はこの仏様の心におまかせして、安心できています。

あなたは、これから誰の思いを大切にしていきますか

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釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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大切な問いかけですね

ゆっかーさんこんにちは。書き込みありがとうございます。

ゆっかーさんは、死後の世界が気になって落ち着かないのですね。前回の質問や今回の質問から察するに、ゆっかーさんは、死後の世界について自分なりに色々と調べたり学ばれているのでしょうか。本かな?インターネットかな?と勝手ながら想像しております。

もし本を読むのがお好きならば、手にとって欲しい本があります。紹介させて下さい。『仏教入門(岩波ジュニア新書 322)』(松尾剛次/著 岩波書店 1999.6)

死後の世界を直接語る本ではありませんけれども、仏教はどのように問題にしてきたのか、手がかりになるかなと思います。

ゆっかーさんの、死後の世界を不安に思って、手が届くところからこうやって調べて学ぼうとする姿勢はね、私は尊いものだと思いますよ。疑問に思っても、その事を調べたり学ぼうとする人は少ないですね。私も怪しいものです。

ゆっかーさん、あらためて、考える機会をいただきました。お声を聞かせて頂きありがとうございました。是非、学びの歩みを止めないで欲しいと私は思います。

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真宗大谷派僧侶。共に悩める場所を求めてこちらに参りました。
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「死後の世界・死んだらどうなる」問答一覧

死んだら無になることへの恐怖

もう何十回、何百回と回答されているテーマだと思いますが、相談させてください。 ここ数ヶ月の間、死が怖いという気持ちが離れず、夜も眠れないくらいです。 私は恐れているのは、死んだら無になる可能性です。 私は科学を信じている(盲信していると言ってもいいです)ので、人間とはただの物体で、感情も脳の反応だと思っています。 だから人は死んだらただの物体になると考えていて、それがたまらなく恐ろしいのです。 私は両親と暮らしていて、日々の生活に幸せを感じています。 しかし死んだら無になるとしたら、この幸せはどうなってしまうのですか? 両親が亡くなり、私も死んでしまったら、全てなかったことになってしまうのでしょうか? いずれ死んで全てを感知できなくなるのなら、この日々も無駄ということになってしまいます。 「一度きりの人生なら楽しめばいい」と思われるかもしれませんが、死んでしまえば「楽しかったな」とすら思えないのです。 それはいっそ生まれてこなかったとしても、結局は同じということになってしまうのはではないでしょうか? 全てに虚無感を感じてしまって、幸せを感じることすら怖くなっている状態です。 しかも死への恐怖は杞憂ではなく、絶対に避けられないという事実があります。 全ての先人が経験していることですが、どうやってこの恐怖と向き合ったのかがわかりません。 科学を信じている私が、今回ここに相談したのは、宗教的なものを信じたい気持ちはあるからです。 かつてお釈迦様も生老病死に悩まれていたと知りました。 その悩みから抜け出せる知恵が、仏教にあるのではないかと思ったのです。 仏教では死についてどのように考えていますか? お坊様は死を恐れていますか? その理由は何ですか? またお坊様は当然ながら仏の世界を信じていると思いますが、信じるに至った根拠や理由はありますか? 尚、両親も私も健康状態に問題はなく、死が差し迫った状態ではありません。(人生、何が起こるかわかりませんが) それでも両親との別れはいずれやって来ます。 私は自分がただの物体になるのも恐ろしいですが、両親が物体になるのはもっと恐ろしいのです。

有り難し有り難し 13
回答数回答 2

2025年7月5日4時18分

荒唐無稽であることが望ましい話です。 標題の日時で検査すると、様々なところから滅びの予言がされていることがわかります。東日本大震災の三倍の規模の津波だとか核ミサイルだとかフィリピン沖だとか隕石だとか。事実無根と軽く扱うには根拠が重なりすぎていてどうしても軽視できません。そして私は「問題が起こる=解決できずに全てが崩落する」と強く感じているので、きっともう一年近くの命なのだなと感じています。 私はただ、痛みや苦しみから逃れられない物質世界で生きていたくないだけなのです。死ぬことよりも、死んだ向こう側で過酷な世界に生まれるのが恐ろしくて恐ろしくて仕方ありません。屠殺される家畜。逃げきれなければ捕食される草食動物。餌に釣られて毒殺される害虫。ああいやだ恐ろしいと思うのはいけないことですか? 生きることは恐ろしい。どう生きても自分より遥かに大きなものによって弄ばれて終わるこの矮小な身体が恐ろしい。脳味噌の誤作動と物質世界に永遠に閉じ込められているのが恐ろしい。そんなことを感じてはいけないのですか?苦しみを受け入れられるようにならなければいけないのですか?安心して生きてはいけないのですか?ガンジス川の濁流に飛び込んで疫病を得なければ救われないのですか?生き物の本来の姿とはどんなものなのですか? この時代のこの場所に生まれただけでものすごく幸運だというのに、その中でさえ上手く生きられなくて苦しんでいる私が、災害や大破局に直面した際に恨みを抱かず運命を粛々と受け入れられる気がしません。「だから生きるのは嫌だったんだ!だからこの世界は嫌なんだ!」と恨み憎しみの塊になったまま死んでしまいそうで、すなわち苦しい来世が確定しています。「今、ここ」に集中しようとしても、破滅のカウントダウンを感じるとそれどころではなくなってしまいます。未来が誰にも見えないのが恐ろしいと傲慢な感情を抱いてしまいます。 私が救いを信じられないのは、今までの人生において大いなるものの救いを感じられなかったからです。破滅の信憑性ばかりが高く、破局、混乱、絶望の未来しか待っていないと漠然と感じています。これらを否定したり適切な距離をとったりするには、あまりにもこの世界の矛盾や欠陥が多すぎます。「今ここ」に生きるよりも、「どうしたら苦しまずに死ねるか」でいっぱいです。 安心して生きることは傲慢ですか?

有り難し有り難し 10
回答数回答 1

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