新興宗教はもう沢山です…
初めて質問させて頂きます。
母は熱心なとある新興宗教の信者です。私はその2世になりますが、幼少期から嫌な思いがあり活動してません。
ですが神仏に興味があります。色々勉強していきたいのですがどのようなことをすればいいでしょうか。色々な宗派もお有りなので教えも様々でこんがらかってしまいます。
今子供の事やお金の事など色んな事に直面してて勉強して心豊かな人間になりたいと思ってます。
どうかご教授お願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
初期仏教を学ばれることです
日本は宗派仏教ですから、大なり小なりではありますが、我田引水になる面があります。これは私が族ずる浄土真宗にも言えることです。
これに対し、初期仏教を学者さんから学べたら、我田引水になりようがありません。
初期仏教というと、お釈迦様が説かれた仏教と言いたいところですが、どこまでお釈迦様のお言葉が残っているのかは、実は分からないのです。だから、お釈迦様の説かれた仏教イコール初期仏教というわけではありません。そのうえで一宗一派に捉われずお釈迦様の教えにもっとも近い初期仏教を客観的に学ぶのが、まず最初に学ぶのがよいと思います。
そこからミャンマーやタイに伝わった南方仏教に入るのもよし、大乗仏教に興味を移すのもよいかもしれません。
youtubeの動画ですと、佐々木閑(ささきしずか)先生という花園大学の先生がたくさんお話になっています。よい本もたくさんあります。大学の先生が書いた一般の人向けの本だったら、新興宗教のような勧誘だとか我田引水もありません。
一般人向けの分かりやすい本でしたら、ひろさちやさんという方がたくさんかいておられます。まずこの方の本を何冊か図書館で借りて読んでみられたら、と思います。いちばん間違いのない入口だといえましょう。
山口でしたら、実は私と同じ西本願寺のお寺がたくさんあり、よく勉強なさっている尊敬できるお坊さんがたくさんおいでになるのですが、宗派仏教に違和感をお感じになるかもしれませんね。残念な気がしますが、あなたにとっては、いまは初期仏教を本で学ばれるのがよい入口であるように思います。
まずは気なる本、興味ある人、そこにきっかけを見つけましょう。
悩めるこぶたママさんのお悩みご理解申し上げます。
さて、お母様が信仰しておられる宗教については想像できますが、その宗教は受け入れられないということですね。
本来、宗教は個人的なものですから、自分が納得する教えを信じることが一番いいのですが、当然、押し付けられたり強制されたのでは、幸せとほど遠いものになるでしょう。
又、ある程度、今までの宗教の教えを聞いてきたことが新たな宗教(教え)を受け入れるまでには、どこかで常に比較してしまうでしょうから、よほど納得できるものでないと単に嫌いだからだけでは難しいかもしれません。
なぜこんなことを言うのかと言うのは、私たちの宗派とお母様の信仰している世界と表面上は似ているからです。でも内容(教え)は全く異なるゆえにその世界から変わろうとすると、そのような問題が起きてくるということです。そのようなケースは多々あります。
でも初めから難しい事に取り組むより、悩めるこぶたママさんがこれはいいなと思う世界から勉強されていかれればいいと思います。
本当は、直接お話を聞かれることが早いですが、興味ある本からでもいいでしょう。まずは、自ら納得できることから取り掛かってください。
このhasunohaでも多くの僧侶の方が様々な回答をされています。気になる方がおられればそこからもスタートになるでしょう。
四諦(したい)を知りましょう
仏教は、悩み苦しみを消したり制御したりする教えです。
その根本的なしくみについて説き明かした教えが四諦(したい)です。
苦・集・滅・道の四つの真理の教えです。
内容はネットで検索してみてください。
私たちの悩み苦しみの原因は、私たち自身の煩悩です。
仏教は、煩悩を消したり制御したりして、悩み苦しみを消したり制御したりするテクニックの塊です。
一方、新興宗教の多くは、私たちの煩悩を刺激して、煩悩を燃えたぎらせて神様等への信仰に誘導します。
あなたのお母様も、お母様自身の欲・怒り・恐怖・怠け・プライドなどのエネルギーでもって信仰に走っているのかもしれませんね。
たとえば、ある新興宗教を信じれば霊感や超能力を得られますという話があったとしたら、その場合は、超能力等への欲の煩悩や、特別な能力者になりたいというプライドの煩悩をエサにされているのです。
まぁ、プライドの煩悩に関しては、仏教宗派でもけっこう「エサ」に使っちゃいます。
浄土宗の僧侶等の戒名には「誉」の文字を使う「誉号」を付けます。
これも、念仏信仰している人を誉め讃えるためにそのような称号を与えるので、ある意味プライドの煩悩を刺激するためのサービス的な戒名かもしれませんね。。。