小学生の頃に人を傷つけた事に対する罪悪感
以前もお世話になりましたが、別の悩みがあって相談させていただきました。
小学校低学年の頃にしてしまったいじめを思い出して後悔で一杯になりなにも出来なくなってしまい苦しいです。
当時まだ幼かったとはいえ一人の女の子に無視と仲間外れをしてしまいました。
自分から「やろうよ」と言ってしまった事もありました。その子のとても悲しそうな顔を思い出しては後悔の念で一杯になります。
言い訳になってしまうので情けないのですが、
その時は低学年だった事もありいじめという認識がありませんでした。
その子は家庭環境が悪い子で私のいじめも重なってしまい一時期(2日くらい)学校に来れませんでした。
私は担任の先生から呼び出され注意を受けました。どのような進展があったのか覚えていないのですが、いじめてしまった子と大親友になれました。
私はその後他の子からいじめに遭い不登校気味になり、当時の子たちとは成人になってからも会えていません。
私はやられた事はどうでもよくて、やってしまったことを思い出し当時の相手の気持ちを考えたり傷つけてしまったという後悔でとても辛いです。
今になって、いじめてしまった子と仲直りした後に撮った写真を見返してみたのですが、二人ともとても楽しそうでしたが、やはり心の中では辛いです。
そしてもう一つ後悔している事があります。
その子に「どうしてそんなこと(いじめ)したの?」と聞かれた事があります。
わたしは自分からやろうと言ったなんて怖くて言えず、「一緒にいた〇〇ちゃんがやろうと言った」と咄嗟に嘘をついてしまいました。
〇〇ちゃんは何も悪くないのに、誤解を生む発言をしてしまいました。
いじめてしまった子とは仲直りをして楽しい思い出がいっぱいだけど
「嫌な気持ちをまだ抱えているのではないだろうか」
「思い出してしまって辛いのではないだろうか」
と考えてしまい謝りたい気持ちがありますが、もう何処に住んでいるのかも分からずどうにも出来ません。
わたしがやろうと言ってしまったせいでいじめをしたくなかった人まで巻き込んでしまい、その子たちがもし自分を責めていたらどうしようと考えてしまいます。
当時の愚かな自分を思い出す度に嫌になるし私は幸せになってはいけないと思います。
自分には何かを頑張ったりする資格がないと思ってしまいます。
私はどうするべきでしょうか。
お坊さんからの回答 1件
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繰り返す自己批判を止めましょう
るる 様 相談ありがとうございます。
あなたは、過去の行為を後悔し恥を感じ自己批判を起こしているのですね。
恥を感じることは、悪いことではありません。
恥を感じるからこそ、過去の失敗や後悔する行為を修正して、今を頑張って生きようとする意識を持つことができるからです。もし何も恥を感じないとしたら、自己中で自分勝手な人間になっていたでしょう。だから恥の感情は必要なことです。
しかし、それが行き過ぎると、自己批判を繰り返し、生きづらくなってしまいます。
さて、この自己批判は、今のるるさんにとって必要でしょうか?
「何かに頑張る資格がない」って思ってしまうことは、必要ではありませんね。
必要なのは、後悔や恥を感じているのだけれども、それを反省し、繰り返さないように、しっかりと生きるという事を成長させて行くことですね。
ですので、自分の心にじっくりと向き合い、勇気を持ってください。
るるさんの中にも、思いやりや愛情、勇気と忍耐強さ、温かさと優しさがあるはずです。それを深く感じて自分に向けてください。瞑想する様にでもいいですし、心の落ちける場所で、ゆったりとした呼吸とともに意識して感じてもいいですよ。
繰り返し、自分に優しさを向けて、より深く感じるようにして、どの様に心を保ったら生きやすくなるか考えてみてください。
もしかしたらこんなことかもしれません
「今、過去の後悔でとてもつらいけど、もう反省して、しっかりと生きている。これからも頑張って生きることから価値を見つけて、今は出会わないけど、もし出会ったら、その人を思いやり、もしその人が困っていたら、思いやりや優しさを向けて、何か助けになるように、自分を成長させていいきたい。」
というようなことになると思います。
るるさん、あなたにも充分に幸せになっていい資格があるのですよ。
質問者からのお礼
お礼が遅くなってしまい、申し訳ありません。
回答していただき、本当にありがとうございました。
自分の過ちを忘れず、もしこの先誰かがいじめられたら助けられる人、寄り添える人になっていきたいです。
同じ過ちを二度と繰り返さず、人に優しい人間になります。
ありがとうございました。