夏休みを利用した参禅の可否について
こんにちは
私は現在海外の大学にて哲学を学んでいますが、その興味の分野はもっぱら西田幾多郎や鈴木大拙などの俗にいう「東洋思想」にあります。そこで私は大学の夏休みを利用して、臨済宗のお寺に数ヶ月間参禅したいと考えているのですが、そういった短期の修行は可能なのでしょうか?また、もし可能であれば鈴木大拙の思想を深く学べるところを紹介していただけると幸いです。
上記の質問だけだとただ思想に魅了されただけの青二才という印象が否めないので、もう少しだけ「禅」を志す理由を明記させていただきたく思います。
私は幼少期の頃から嗜んでいた少林寺拳法と、中高で出会った先生方の影響により教育者になることを志しています。しかし現代教育におけるあまりにも多くの問題はロゴス的思考力ばかりを求め、心のあり方や感覚などのレンマ的なものを忘れ去ってしまっているように思われます。学問とは本来「学ぶことの楽しさ」を追求すべきなのに成績や偏差値と言った数字だけで縛りつけ、「合理的」という一点のみを求めてただの点取りゲームのようになってしまっている現状は、「歪んでいる」としか形容ができないものです。
「禅」の教えが、それは古くから日本文化が、そして日本人が慣れ親しんできた教えですが、そうした教えが「歪み」を直し、子供たちに「学ぶ」ことの楽しさや「健全な心」の育み方を教える大きなヒントになるではないかと西田幾多郎や鈴木大拙の著書を読んで感じ、より彼らの思想への理解を深めるために、修行をしたいと思い立ち、現在に至ります。
教育者を志しているので出家をし本格的に臨済宗の僧侶になることはいささか迷いがあるのは事実ですが、それでも自らの思想を育み、未来の少女少年たちに「禅」の教えを、そして「学び」の楽しさを教えることができる人間になれたらと思います、長々と失礼しましたが、何卒ご意見やご紹介のほどをよろしくお願いします。
参禅したいという気持ちがある一方で、ザ・ハイロウズの曲の一節である「日々の煩悩の中で気付かなきゃ結局何にもわかりゃしないだろう」という言葉にも強い感銘を受け、その両立方法に戸惑っています
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ハスノハの使い方
こんばんは。ハスノハは問答が中心のサービスですが、「お寺紹介」の側面やコンテンツもあります。
「お寺」のタブからお住まいの地域を選んで連絡してみては如何でしょうか。
また、学ぶことに関してはエロース(恋知)をキーに「白樺教育館」というところが合っているかも知れません。Facebookにページがありますので、訪ねてみても良いかも知れません(我孫子ですが)。
ゆかりのあるお寺に直接問い合わせては?
西田幾多郎や鈴木大拙にゆかりのあるお寺に直接問い合わせてみるのが手っ取り早いかなと思いますよ。
私も昨日、たまたま、西田幾多郎や鈴木大拙の鎌倉での参禅体験について書かれた本を読んでいました。明治期は知識人の参禅体験が多かったのですね。今はどうなっているのかな。
私は宗旨が違いますので、参禅の可否についてはわかりませんが、お寺に気軽に問い合わせても大丈夫だろうとは、信じてます。
居士さんという選択
三太郎さん
こんにちは
いち臨済宗の僧侶でございます私から
少し伝えさせていただければと思います。
夏休みの短期間だけ、修行を行うことは可能かと言う事でしたが、結論から言えば可能であると思います。
歴史を見ても古くから「居士」という形で、参禅されている方が多くいらっしゃいます。
ただ出家して「僧侶」になるということですと、話が変わってきます。
もし、本当に僧侶という生き方を選択されるのでしたら、個別にご連絡をください。
踏まなければいけない段階がいくつかございますので…
簡単に述べますと、
臨済宗の僧侶となるには最低でも1年間は専門道場にて修行の必要があります。
その前に、師匠となる方を見つけたり、得度(宗門に入りますという誓い)をする必要もあります。すべきことは多いです。
質問を見ると、僧侶になりたいというよりは、思想に触れたいとのこと。
居士さんとして修行道場へ通い、雲水さんと同じように作務をし、坐禅をし、読経をすることである程度は触れることができるのではないでしょうか。
ただ参禅のみですと、師家(高僧)さんに丸め込まれて終わるだけに思います。
どこまでの覚悟がお有りなのか分かりませんが、触れたいのか、どっぷり浸かりたいのかで、居士さんで良いのか、雲水となるのかを決めるのも良いかと思います。
また、鈴木大拙や西田幾多郎といった方のお話が出ておりますが、修行道場でそのようなことを直接学ぶ機会は少ないかもしれません。
多くの道場では、無門関、臨済録などの提唱(講義)はありますが…鈴木大拙などの提唱をされる師家の方はなかなかいらっしゃらないのではないでしょうか。
仏教系大学の講義にはあるかと思います。
ただ無門関などの公案は禅僧であれば、
触れるものでございますので、鈴木大拙氏も触れておりまして、
その上での思想形成と言うことになるかと思いますので、全く関係がないというわけではないでしょう。
長々と拙い文章を失礼いたしました。
質問等ありましたら、ご連絡ください。