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非合理的に感じる労働環境とその心構え

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有り難し有り難し 21

こんにちは。初めて質問させて頂きます。
私はこの国の多くの労働環境が正常じゃないと感じています。
顧客からどんなに理不尽なクレームを受けてもまず組織を代表して謝罪を強要させられ(例え自分の非じゃないにしても)、上司や顧客の言うことにはどんなに間違っているように感じても、絶対服従を強いられ反対や意見を許されない。毎年過労死やパワハラによる自殺者が出ても経営責任者に課されるのは交通事故以下の比較的軽い刑罰のみ(個人的には間接的な殺人だと思っていますし、もっと刑罰を重くして重大な人権侵害だという認識が広げない限りは大幅な改善は期待できないと思っています)。
無論、全ての職場がこうでないことは知ってますし、労働者の権利をきちんと守っている職場があることも知ってますが、余りにもこうしたブラックな環境が多すぎるように感じるのです。
経済誌を見ますと他国と日本を比較した記事がいっぱいありますが、特に欧州の先進国では終業時間をきちんと守り、労働法が厳しく定められているので日本ほどブラックな労働環境は少ないというような記事も見ます(実際に目で見て体験しているわけではないので、鵜呑みにしてはいけないと思いますが、コロナ禍前にフランスへ旅行し、現地のスーパーがどこも19:00や20:00に完全閉店しているのを見たことがあるので、ある程度は真実だと思っています)。また議論して当たり前の環境なので(あくまで欧州や北米などですが)、日本と異なり自分の意見を言うことを歓迎されるとも聞いています。
ここで質問なのですが、どこの国もある程度はそういうもんだと割り切ってしまうべきなのか、コロナが収束したら海外に出てこの目で事実を確かめて海外での就業など他の道を模索すべきなのか(海外といっても欧州、北米、アジアなど多くの違う地域と国がある中で決して一括りに考えてはいけないと思いますが。また海外での就業は語学や労働ビザなど国内での就職よりはるかに敷居が高いことも承知しています。)、どう思いますか?ご意見を聞かせて頂きたいのです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

今一度『労働』ということを深く見つめて下さい

 海外の労働事情のことなど門外漢の私が回答をさせて頂くことは場違いなのですが、『労働』ということについて少しだけ申させて頂きます。
 あなたにとって労働は強制的で、精神的・肉体的苦痛を伴うもので、そしてその労働者の汗や血の結晶が、結局は経営者や資産者階級に吸い上げられ、それらの者達のみを潤すことになっている…そんな受け止め方でしょうか。もし違っていたらすみません。
 その状態は当たらずとも遠からずだと思います。
 「当たらず」と申したのは、『日々のきつい自らの労働によって助かっている人が大勢いる。そのことで私は社会に貢献する。経営者のためではなく、自分の意志で働いている』方がたくさんいて、それらの方々の労働に依って社会は成り立っていると考えるからです。
 一方で「坊さんは労働をしていません」…もう、それは紛れもない事実ですのではっきりと申し上げます。
 だから僧侶とは「『御布施をして頂いたら、いのち繋げる。でも、そうでなければ死ぬ定め』…それを覚悟の上で僧侶になったんでしょ?」の問いに頷くしかない存在です。
 ですから、労働に対して偉そうなことは言えません。
 ただ、だからこそ働いているお方々には敬意を表します。もう本当に尊敬しています。朝から晩まで、いえ夜を徹して、暑くても寒くても、雨だろうが台風だろうが大雪だろうが、日々働く方々を尊敬し、手を合わせます…。
 あなたはどうでしょうか…身を粉にして働いている方々をどうご覧になっていらっしゃいますか。
 どうか労働とは一体何であるかを自らで調べ学んで下さい。
 そして、その結果 御自身が働くかどうかを決めて下さい…。
 働くことは他者の生存を助けることであり、そのことは自身にとっての大きな喜びです。働くことは生きることです。
 僧侶は働かずに、その分 仏道を生きています…。
 あなたはどうなさいますか…。

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有り難し
おきもち

闘わないと。お客様側も不便を許容を。

基本的には、権利は闘わないと得られないと思います。
労働者が団結して、ストライキも辞さない覚悟で。
しかし、その場合、消費者にも迷惑がかかります。
自分が労働者側のときは残業したくないけど、自分がお客様側のときはお店等に対して過度なサービスを要求してしまうのが日本人かもしれません。
労働者の権利を守るためには、あなた自身がお客様側の立場のときに、労働者に対して大目にみてあげる、割高で遅くて不便なサービスを許容する必要があります。
たとえば、建築業界で働き方改革が進めば、道路工事にかかる日数が長引くかもしれません。
週休2日徹底で工事スピードが落ちますから。
そうすると、交通規制や渋滞の期間が長くなる。
道路を利用する「お客様」側にとっては迷惑な話ですが、私たち日本の国民がそれを許容できなければ、日本のブラック企業はなくならないでしょう。
私たち日本国の消費者がもう少し「不便さ」を許容して、まったりゆるーく生活しないと、労働者を馬車馬のように働かせざるを得なくなるのでは。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

ご返答ありがとうございます。
もっと労働やその歴史、法律を学んでよく考えてみたいと
思います。その上で結論をだして行動したいと思います。

>基本的には、権利は闘わないと得られないと思います。
>労働者の権利を守るためには、あなた自身がお客様側の立場のときに、労働者に対して大目にみてあげる、割高で遅くて不便なサービスを許容する必要があります。
>私たち日本国の消費者がもう少し「不便さ」を許容して、まったりゆるーく生活しないと、労働者を馬車馬のように働かせざるを得なくなるのでは。

そうですね。全くおっしゃる通りだと思います。
西洋諸国もフランス革命など民衆が声をあげ続け、時に団結して戦ったからこそ
そのような社会を実現できたのだと思います。
社会主義革命など必ずしもよい結果に繋がるとは限りませんが、行動しなかったらそもそも社会を変えることができませんから。
自分も消費者側にまわったときの「寛容」を肝に銘じつつ、権利を守るための行動を少しずつ実行したいと思います。
お時間を割いて下さり、ありがとうございました。

「世の中・社会のできごと・風潮」問答一覧

現代社会と本来の豊かさについて

悩みというよりは漠然と考えてしまうことがあります。        私は会社を起業し10年ほどになります。     会社とは何か?という本を設立当初に読み、 そこには『社会に必要とされているもの。人の役に立っているから存続が出来、人の役に立たない会社はなくなっていく』と書かれていました。     右も左も分からない中での起業でしたが、自身にそのような志が強くありましたし、その本に書いてある言葉に納得し、一生懸命頑張ってきました。     設立前から準備していたことや、業界を分かっていたこともあり、心身の苦しさや辛さはありながらも、経営は順調に右肩上がりで伸びていきました。 しかし、何処かでとても苦しさのような葛藤がずっとあります。     社会がいかに利益追求型の仕組みで弱肉強食であることを肌で感じること、それでも日々闘い続けねば生き抜けない。 競争社会、資本主義社会という中では当たり前のことだと理解すればするほど。 中小企業の社長さん達も皆んな日々闘い続けているんだなぁと思いながら。     そういう渦中で、自分の心身はいつも振り回され乱れるばかり疲弊する日々が数年続き、 自身を見つめ直したり心を丈夫にする為に色々と模索してきました。     そうした中で見つけたものは、お釈迦さまの教えや禅的な考え方でした。   日本では宗教にハマると聞くと直ぐに悪い意味で捉えられることが多いですが、 何か目印になるような共感できたり学べるような考え方というものに救われることに有り難さが溢れてきて泣きそうになります。   自身が人の為になることを〜と思い起業しましたが、会社を通して社会を知り、そこに向き合った今の時点で想定もしていなかった答えがあったように感じています。   知り合いに若いお坊さんがいますが、もっと遊びましょう、もっと休んでください、自分は人生遊んで過ごします。とよく仰っています。実際夜遅くまで飲みに行ったりしていて、誘ってくることも多いです。(行きませんが) そのお話しも極端に思えて、私には失礼ながら浮世離れしすぎていてついていけません。   長くなってしまいました。 文章がまとまっておらず伝わっているか不安ですが、 お坊さん達は今の資本主義社会と仏教の教えに乖離を感じますか? 感じられる方はどうバランスを取られていますか?

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

日本が一番ではない

僕が24年間生きている中で日本が一番ではありません。みんなは日本が一番だと言ってますが。日本つまらないし毎日刺激もないし変化が全くありません。サッカーの試合も見ましたがあまりつまらなかったです。なんかサッカーにはスター選手いないので面白くありませんでした。Jリーグの試合見ましたがつまらなかったです。ラグビーの試合見ましたが一方的な展開すぎて全くつまらなかったです。しょうもなさすぎました。日本脱出したいです。お金がないので今年全く関西から出たことがありません。出てみていろいろ体感してみたいです。何も楽しくありません。学生生活も全く楽しくなかったです。 日本生きてますが個性が全くありません。日本人も何となく生きてる人が多いような気がします。日本も少子高齢化が年寄りやおっさんが多いような気がします。僕にとっては楽しくもありません。ランダムチャットも利用しましたが喋ってみても全くくだらなかったです。ランダムチャットしましたがしょうもない人多かったです。考えも偏っているようにも思えます。日本には閉塞感がありすぎてつまらないです。日本楽しくもありません。日本は真面目な人多いので過ちや誰にも迷惑かけてない人が多すぎて万引きやカンニングなどの過ち犯したり人に迷惑かけたり(それは当たり前ですが…)失敗したら許されない国なので自殺者も多いのではないかとも思います。日本自殺大国になると思います。 日本人も世界情勢や世界のことに興味がない人が多いようにも感じます。 日本の気候も暑さ寒さの寒暖差が激しすぎて日本の四季に耐えれず嫌になります。 東京も行きましたがサラリーマンが多く殺伐とした風景や混雑が激しすぎて嫌になります。 今までも教習所で高圧的にされたことや偉そうにされたことやバイト先でも上司があまりにも態度悪い人もいて日本が一番とも思いません。たまたま人の答案が見えてしまったりしました。やっぱり日本悪い国だなと思います。みんな日本いい国やいい国やと言ってますが僕はそう思いません。 僕が思う日本のいいところは治安がいいところと料理が美味しいところと生活水準が高いところぐらいです。どこの国もいいところは最低1、2個はあると思います。 やっぱり僕にとっては日本が一番ではありません。

有り難し有り難し 12
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日本に盛り上がりが全く足りないです

今、大阪にいますけど閉鎖的で盛り上がりもなく楽しくありません。地下鉄に乗っていますが表情が暗い雰囲気を作って楽しくもありません。夜もアメリカのようにパーティーみたいな盛り上がりもなくて寂しいです。日本は閉鎖的な国だとも思います。 ラグビーワールドカップ2019イングランド対アメリカではかなり賑やかやったしパーティーしてたようにも思えます。結構、日本よりも盛り上がっていたようにも思えます。イギリスやアメリカはパーティー文化がある国にも思えます。イギリスやアメリカの方が個性的な人いたような気がします。 アメリカ行ったことがないので自分には分かりませんが日本よりも個性がある人が多いようにも思えます。 僕にとっては10年前頃ですが、明光義塾北巽教室通ってた時は個性的な先生もかなり居ましたし、活気もありました。まあまあパーティー的に盛り上がっていたと思います。明光義塾北巽教室では賑やかでワイワイしてて僕にとっては楽しかったのです。明光義塾北巽教室Twitter(現在はX)では個性感半端ないな。キャラ感凄いなと書いたらいいね1つくれました。親には明光義塾北巽教室勉強するところやのに遊びに行ってた所が怒られました。 そういうの日本ではなかなか無いから寂しいです。日本の閉鎖的な環境が辛すぎてたまりません。パリピみたいな盛り上がりが好きでたまりません。日本は雰囲気が暗い国だなと思います。 日本生きるのが活気と盛り上がりが無さすぎて辛いです。日本人って個性が全くない人ばかりでつまらないです。僕の近所でも全くパーティーみたいに騒ぎがないのがつまらないです。 日本は治安も良くてご飯が美味しいと言う理由からいいって言っていますけど僕はそう全く思わないです。 日本は衰退国家だなと思います。日本は閉鎖的すぎて嫌になります。日本に生きていてもつまらなさすぎて嫌になります。だからアメリカ移住したいです。 四谷学院の校舎長に言われましたが大学は盛り上がりはないと言われ、寂しいです。辛すぎます。大学でも遊びに行っている人や騒ぎに行っている人もいると思います。僕は日本が大嫌いです。日本は同じことばかり過ぎてつまらないです。 サテライトオフィス平野に通っていますが、その事が悩みすぎて集中出来ないことがあります。 日本では盛り上がりや活気が全くないので暗いし寂しいししんどいです。

有り難し有り難し 10
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日本は姥捨山を求めている

「今の日本は傾いているから誰かを犠牲にしたい」という感情が蔓延している、ということを声を大にして言いたいのです。だから、私のような無能は人権を放棄しなければなりません。そもそも、労働に縛られている時点で普通に生きられている人間にも人権がないからです。 増税や経済的負担に対する抜本的解決がない以上、「障害者をガス室送りにしなければならない」「生産性のない人間をガス室送りにしなければならない」という思想が蔓延するのは必然です。価値のある人間しか生きることを許されないのです。 社会や世界全体への不信感が強烈で、もうどうにもならなくなっています。けれど生きるには労働しなければなりません。私を傷つけ苦しめ貶め殺すためだけの場所に入っていかなければなりません。そうしないと人権が買えないからです。 自分を殺さないと人権が買えない。けれど人権を買ったところでいつ足元が崩れるかわからない。自殺推奨活動のほうがよっぽど慈悲深く思えてしまうのですが。 こんなクソみたいな世界で、どうして自分を殺してまで生きるしか方法がないのでしょうか。どうして、不幸になるしかないこんな世界がいまだに続いているのでしょうか。この怒りをどうしたらいいのか全くわからないのです。 壁を殴ったらヒビが入る。そういう、自分のアクションに対して当たり前の反応が返ってくる、という経験が薄く、その度に苛立ちが募ります。自分が気にならない、話を聞いても何が悪かったのかよくわからないことで長々と詰められ、こちらの言い分は何一つ聞き入れられない。そういう不公平さの中で生きてきたので、何に対しても「自分を殺せばいいじゃない」としか思えません。だって、人間は自分以外の誰かが犠牲になることを望む生き物ですから。私は誰の犠牲になれば良いですか?私の代わりに誰が犠牲になってくれるのですか? どうせどう生きたって誰かに支配されたまま終わるのです。そうしないと人権が買えないから。現実を見れば見るほど嫌な気持ちだけが募ります。この世界に救いはない。あるのは泥のような絶望だけ。はーあ、努力とかくだらない。今まで言われてきた沢山の言葉に対する恨みが消えない。でも他人から見たら悪いのはぜーんぶ自分。やってられない。どうせ「悪いのは私でした」という反省のポーズしか望んでいないのだからロボトミー手術を受けなければ私はこの世界に生きる権利を与えられない。

有り難し有り難し 15
回答数回答 2

やはりこの世界は信用に値しない

また新たな戦争が始まりました。明日は我が身でしょうか。 「報道しない日本メディアはダメだ」と言われています。私たちは平和ボケしているのでしょうか。まあ日本が戦争に巻き込まれるのも時間の問題ですね。私たちに未来なんてない。現実なんて汚らしくて残酷なものでしかない。 この世界のシステムに耐えきれなくなった憎悪が世界中で噴出し騒乱を巻き起こしているマクロな事実と、そんな完璧ではない人間という生き物から一方的に「あなたが間違っている」「あなたが変わればうまくいく」と言われ続けたミクロな怒りが混ざり合って何もかもが馬鹿馬鹿しいとしか思えません。だから生きているのが嫌なんだ。 仏教だって結局、生きるも死ぬも理不尽しかないものだから何か納得できるだけの理由をこねくり回した結果でしかないでしょう。「全部私が悪いので悔い改めて、私の全部をこの世界に捧げます」と生きなければこの生命という不愉快極まりないシステムから解放されないのですか。喜んで火の中に飛び込む兎になれと。結局望まれているのは自己犠牲じゃないですか。生き物は、自分のために自分以外のものが犠牲になることを望んでしまうものなのです。 どれだけ努力したところで、自分とは関係ないもっと大きなものによって簡単に潰される。この国のシステムも欠陥だらけで有事に対応できると思えない。いつ殺されるかわからないから、いま生きていることに感謝すべき? そう思うにはこの世界はあまりにも汚らわしすぎます。ずっと言ってきましたよねこの世界は生きるに値しないと。その決定的証拠がまた一つ増えたんですよ。生きるも死ぬも誰かの天秤の上。人権なんて初めからなかった。第三次世界大戦はいつ起こりますか? 私たちは死ぬ準備をしなければなりません。 薄氷の上の平和すら貴重品となってしまった世界で、その平和の中にいながらうまく生きられない罪悪感。自分の在り方を否定され続けてきたが故の「どうせ自分なんていらないんでしょ」という感情と閉塞感。秒読みとなった戦前危機に対する焦り。人間という生き物への困惑。未来に対して絶望視しかできない。こんな世界の中でどう生きろと。けれど何を言われても響きはしない自分自身に対しての苛立ち。今の世界を見ても美しいと言えるでしょうか。 結局、傲慢でなければ生きられない世界。2025年を迎えられるといいですね。きっと無理だろうけど。

有り難し有り難し 9
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ