非合理的に感じる労働環境とその心構え
こんにちは。初めて質問させて頂きます。
私はこの国の多くの労働環境が正常じゃないと感じています。
顧客からどんなに理不尽なクレームを受けてもまず組織を代表して謝罪を強要させられ(例え自分の非じゃないにしても)、上司や顧客の言うことにはどんなに間違っているように感じても、絶対服従を強いられ反対や意見を許されない。毎年過労死やパワハラによる自殺者が出ても経営責任者に課されるのは交通事故以下の比較的軽い刑罰のみ(個人的には間接的な殺人だと思っていますし、もっと刑罰を重くして重大な人権侵害だという認識が広げない限りは大幅な改善は期待できないと思っています)。
無論、全ての職場がこうでないことは知ってますし、労働者の権利をきちんと守っている職場があることも知ってますが、余りにもこうしたブラックな環境が多すぎるように感じるのです。
経済誌を見ますと他国と日本を比較した記事がいっぱいありますが、特に欧州の先進国では終業時間をきちんと守り、労働法が厳しく定められているので日本ほどブラックな労働環境は少ないというような記事も見ます(実際に目で見て体験しているわけではないので、鵜呑みにしてはいけないと思いますが、コロナ禍前にフランスへ旅行し、現地のスーパーがどこも19:00や20:00に完全閉店しているのを見たことがあるので、ある程度は真実だと思っています)。また議論して当たり前の環境なので(あくまで欧州や北米などですが)、日本と異なり自分の意見を言うことを歓迎されるとも聞いています。
ここで質問なのですが、どこの国もある程度はそういうもんだと割り切ってしまうべきなのか、コロナが収束したら海外に出てこの目で事実を確かめて海外での就業など他の道を模索すべきなのか(海外といっても欧州、北米、アジアなど多くの違う地域と国がある中で決して一括りに考えてはいけないと思いますが。また海外での就業は語学や労働ビザなど国内での就職よりはるかに敷居が高いことも承知しています。)、どう思いますか?ご意見を聞かせて頂きたいのです。
両親と妹と自分の4人で実家暮らし。軽度の発達障害(アスペルガー症候群)を抱えています。大学在学時にたまたま履修した講義で仏教に触れて、仏教が神秘主義ではなく現実主義的な教えであることを知り、初めて仏教に興味を持ちました。専攻分野が合わず大学中退後、様々な派遣やバイトを転々とし、周囲に馴染めなかったりや内面的理由で職が続かず、フリーターとなってしまう。その時にたまたま法句経の解説書にたまたま触れ、釈迦牟尼の普遍的で慈悲にあふれた教えとその生涯を詳しく知り感動する。以来、仏教を心の支えの一つとしてなんとか生きている。
このまま年を取って就職できない未来を何回も想像して眠れない。 けど自分のしたいことがわからず、どう生きるべきか迷ってる。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
今一度『労働』ということを深く見つめて下さい
海外の労働事情のことなど門外漢の私が回答をさせて頂くことは場違いなのですが、『労働』ということについて少しだけ申させて頂きます。
あなたにとって労働は強制的で、精神的・肉体的苦痛を伴うもので、そしてその労働者の汗や血の結晶が、結局は経営者や資産者階級に吸い上げられ、それらの者達のみを潤すことになっている…そんな受け止め方でしょうか。もし違っていたらすみません。
その状態は当たらずとも遠からずだと思います。
「当たらず」と申したのは、『日々のきつい自らの労働によって助かっている人が大勢いる。そのことで私は社会に貢献する。経営者のためではなく、自分の意志で働いている』方がたくさんいて、それらの方々の労働に依って社会は成り立っていると考えるからです。
一方で「坊さんは労働をしていません」…もう、それは紛れもない事実ですのではっきりと申し上げます。
だから僧侶とは「『御布施をして頂いたら、いのち繋げる。でも、そうでなければ死ぬ定め』…それを覚悟の上で僧侶になったんでしょ?」の問いに頷くしかない存在です。
ですから、労働に対して偉そうなことは言えません。
ただ、だからこそ働いているお方々には敬意を表します。もう本当に尊敬しています。朝から晩まで、いえ夜を徹して、暑くても寒くても、雨だろうが台風だろうが大雪だろうが、日々働く方々を尊敬し、手を合わせます…。
あなたはどうでしょうか…身を粉にして働いている方々をどうご覧になっていらっしゃいますか。
どうか労働とは一体何であるかを自らで調べ学んで下さい。
そして、その結果 御自身が働くかどうかを決めて下さい…。
働くことは他者の生存を助けることであり、そのことは自身にとっての大きな喜びです。働くことは生きることです。
僧侶は働かずに、その分 仏道を生きています…。
あなたはどうなさいますか…。
闘わないと。お客様側も不便を許容を。
基本的には、権利は闘わないと得られないと思います。
労働者が団結して、ストライキも辞さない覚悟で。
しかし、その場合、消費者にも迷惑がかかります。
自分が労働者側のときは残業したくないけど、自分がお客様側のときはお店等に対して過度なサービスを要求してしまうのが日本人かもしれません。
労働者の権利を守るためには、あなた自身がお客様側の立場のときに、労働者に対して大目にみてあげる、割高で遅くて不便なサービスを許容する必要があります。
たとえば、建築業界で働き方改革が進めば、道路工事にかかる日数が長引くかもしれません。
週休2日徹底で工事スピードが落ちますから。
そうすると、交通規制や渋滞の期間が長くなる。
道路を利用する「お客様」側にとっては迷惑な話ですが、私たち日本の国民がそれを許容できなければ、日本のブラック企業はなくならないでしょう。
私たち日本国の消費者がもう少し「不便さ」を許容して、まったりゆるーく生活しないと、労働者を馬車馬のように働かせざるを得なくなるのでは。
質問者からのお礼
ご返答ありがとうございます。
もっと労働やその歴史、法律を学んでよく考えてみたいと
思います。その上で結論をだして行動したいと思います。
>基本的には、権利は闘わないと得られないと思います。
>労働者の権利を守るためには、あなた自身がお客様側の立場のときに、労働者に対して大目にみてあげる、割高で遅くて不便なサービスを許容する必要があります。
>私たち日本国の消費者がもう少し「不便さ」を許容して、まったりゆるーく生活しないと、労働者を馬車馬のように働かせざるを得なくなるのでは。
そうですね。全くおっしゃる通りだと思います。
西洋諸国もフランス革命など民衆が声をあげ続け、時に団結して戦ったからこそ
そのような社会を実現できたのだと思います。
社会主義革命など必ずしもよい結果に繋がるとは限りませんが、行動しなかったらそもそも社会を変えることができませんから。
自分も消費者側にまわったときの「寛容」を肝に銘じつつ、権利を守るための行動を少しずつ実行したいと思います。
お時間を割いて下さり、ありがとうございました。