自分の非を認められないとき
都内大学に通う大学3年生です。
今年夏に留学を控えており、その資金のために奨学金に応募する予定です。応募には、大学教授の推薦が必要なので、現在所属しているゼミの教授にそれを依頼しました。
教授からは、推薦状を書くためにはあなたについての情報が必要なので、生い立ちや将来などいくつかの項目について書いて欲しいと言われました。
ですが、テスト期間で課題に追われていたせいもあり、私がそれを書き上げ提出したのは締め切りの3日前でギリギリでした。
さすがにこれは直前過ぎて申し訳ないと感じたので、謝罪と推薦状の書き方などを詳細に記載して先生に送りました。また、その推薦状は先生自身が大学の事務課に送る必要があったのでその旨も伝えました。
先生から来た返事は、「なぜ先生が送らないといけないのか?先生にやってもらうことが当たり前だと思っていないか?ギリギリに送ってくるのはありえないし、今は出張先なんだけど。無理じゃね?まあ、最善は尽くすけど。」というものでした。
私は完全に自分に非があると思っていましたし、迷惑をかけていることや説明不足は明白だったのでもう一度しっかりと謝罪と説明をした上で、お願いをしました。それに対する先生の返事は「最善を尽くします。」のみでした。
このような結果は自分が招いたことで、自分に原因があるというのはわかっています。ですがその反面、先生の態度や言い方に対してなんなの?と思ってしまっている自分もいます。
このことを母に相談したところ、あなたが100%悪いのだから先生に不満を抱くこと自体がおかしいと言われてしまいました。
確かに母の言うことは正しいですし、先生に対して何か私が思うのは間違っているかもしれません。ですが、どうしても先生に対してなんなの?と思ってしまうのです。
自分に完全に非があるということを認めたくない、責任転嫁したいという気持ちがあるだけなのかもしれません。
このような煮え切らない気持ちや自分をどのように受け入れて、折り合いをつけたら良いでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
立場の違い
現実社会では、基本的に弱肉強食です。
先生と学生、しかも推薦状を書いてもらわなければならないのだから、先生に協力してもらいたければ立場の弱いあなたがかなり譲歩しなければならないのは当然なのです。
自分の主張を通したいならば、それに必要な力を手に入れるしかない。
今の自分はまだまだ弱っちいから仕方ない。
そのように思ってはどうでしょうか。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
確かに、現実世界は弱肉強食であり、弱い立場の私が強者に協力してもらうには、妥協や譲歩するというのは当たり前ですよね。
身近な人に相談した際、そのようなことは言われなかったので、そうか!と、とてもためになりました。
ですが、それが理解できてもなお、教授に対して不満のある私はまだまだ未熟者であり、これからする経験とともにそれを受け入れ、しっかりと深い理解ができるようになるのかなと感じました。