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仕事とプライベートの両立ができません。

回答数回答 2
有り難し有り難し 206

私は保育士として5年間働いてきました。
大変なこともたくさんありますが、
とてもやりがいのある仕事で、
毎日充実して働いています。
5年目ということで、中堅の立場となり、
より責任のある仕事や、後輩育成なども任され、
迷いながらも自分なりに一生懸命取り組んでいます。
休みの日も買い物に出かけると、これは使えそうだとか、これで遊んだら楽しいかな、など気が付けば仕事のことばかり考えています。

ですが、ここ最近両親や友達には自分のことも考えなければいけないということを口煩いほどに指摘されています。
このままだと結婚できない
結婚出来ない女の典型は、仕事ばかりしている女だ、など、、、。

わたしのことを心配しているのはとても分かりますし、
わたし自身も結婚願望が無いわけではありません。
周りが言うように、仕事に夢中になりすぎて
出会いも婚期も逃しているのでは、と不安もあります。

ですが、大切な子どものいのちを預かる仕事、
子どもの未来を支える仕事をしている以上
適当にあしらったり、なんとなくで日々を過ごすことはできません。

どうすれば、わたしも周りも納得できるように
仕事とプライベートを両立させることができるでしょうか?
些細な悩みですが、わたしには大きな不安です。
よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

どのみち24時間ずっと自分。

仕事にあってもプライベートにあってもあなたはあなた。わたしは私。
そこで息して、もの見て、聞いて、存在してるだけ。
そこがプライベートか仕事かわけ隔てるのは頭のやる事。
つまりあなたは、実質を生きずに、アタマのほうで生活しているというわけです。
実質とは、今まさに自分に目を向けてこう質問してください。
「これはプライベートか、仕事か?」
どちらでもなかったはずです。
忘れていたはずです。
そこが、スタート地点です。
どちらにも属していなかった自分。
自分の本質は白黒つけられないのです。
ただの自分なのです。
モードを隔てなくていいのです。
仕事を楽しむできる人ほど、仕事をゲーム感覚で遊んで楽しんでいるでしょう。
この自分を、今楽しめるようになって下さい。
その為には、私は〇〇だ、とか、これはプライベートだとか、オフィシャルだとか決めてかからないことです。
私がこれを回答しているのは、仕事でもプライベートでもありません。
ヒントになさっていただければ幸いです。
24時間、四六時中自己なのだと、気づいて、幸せな仕事、幸せなプライベートを歩んでください。
聞いてくださいってありがとうございました。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

そのままで大丈夫です

やりがいのある仕事に夢中になれるなんで最高だと思います。
そのままで大丈夫です。
周りの人には
「私に今のように仕事させてくれる理解力のある人を紹介して」
って言いましょう。

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答していますが、無知未熟ゆえに質問を読ませていただくことしかできないことも多々ありますがお許しください。 回答は私個人の意見や解釈もあり、場合によっては浄土宗の教義とは少し異なることもあるということをご了承ください。 また、寺の紹介ページに電話相談についても紹介していますのでどなたでも気兼ねなくご利用ください。 ハスノハのお坊さんがもっと増えますように。 合掌 南無阿弥陀仏

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