子供の名前は成り行き
小さい頃から温めていた、女の子に付けたかった名前を、なぜか付けられなかった「すみれ」。
無理すればいくらでも付けられたからこそ、
後悔しています。
名前は縁だと思うということはわかります。
たまたま三人目が女の子で、
たまたま上の男の子(七歳)が
「すみれにするの?えー?いややー」と反応したため、
私自身も「お兄ちゃんが拒否反応する名前にするべきではないな」
と思い、
上の子たちも漢字だから漢字のほうがいいかなと思い、
みんな2文字で揃えたほうが兄弟感あるかなと思い、
そのとき「は」納得してました。
そして「すみれ」は頭の片隅に追いやられ、違う名前になったんです。
まさにドタバタです。
しかし産後落ち着きだしてから、
長年の私の夢だった子供の名前を付けなかったことに後悔。
いつか「これでよかったんだ(私が気に入る名前ではなくて、長男の好んだ名前にしてよかったんだ)」と思える日はくるのでしょうか。
名前がいつかしっくりくる、とはほんとでしょうか。
運命でしょうか。
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それは成り行きではないです。
私も小さい頃から
子どもには「大和(ヤマト)」って
名づけようと思っていました。
1人目が女の子で
次が男の子だったけど
同じように姉弟感を出したかったので
違う名前にしました。
「大和(ヤマト)」に未練があるのは確かですが
統一感がある今の名前も気に入っています。
そのお名前を呼んでいたら
必ずしっくりきますよ。
お子さんとの共同作業でお名前をつけられた
名前って大事だと思うことはあります。私は「としひこ」ですが、子供のころはうまく発音できないので、友達から「としこ」「トシコ」と言われて女の子と紛らわしく嫌だった思い出があります。親も他の名を考えていたようですが、七夕に生まれたので、じゃ彦星から彦をもらおう、ということになったそうです。成り行きみたいなもんですね。
で、今はどう思うかというと、お坊さんらしくないと言われるときもあるけど、親が付けた名前を変える必要はないと考えています。その親も成り行きでつけた名前なのですが、……。
最近は、「キラキラネーム」なるものが当たり前になり、ふつうには読めないようなお名前のお子さんが多いですね。「ひなちゃん」なんて若い頃はいいけど、おばさんになったら「ひねちゃん」ですよね。そんな名前じゃ困ります。
さて、上記のように人の名前といっていろんな決め方があり、決め方に規則があるわけじゃありません。親が決めるわけでもなく、これから親よりもずっと長く付き合っていくであろうお兄ちゃんの意見も大事であるといえます。三人目のお子さんのお名前はその子にとってかけがえのないお兄ちゃんとお母さんとの共同事業としてお決めになったとお考えになっては如何でしょう。
お兄ちゃんの意見を取り入れたわけですから、彼にとっても妹のとの関りに責任や兄としての自覚も生まれるわけですし。こう考えるとちっとも悪いことじゃないと思いますよ。