勉強する時の心構えについて
私は中学受験の時にカンニングをして入学して、その事について罪悪感が強くなり、後悔しました。もう二度とカンニングはしたくないと思いましたが、最近では、罪悪感が薄れたら、いつかまたカンニングしてしまうのではないかと未来に対して不安になります。
今、私は受験勉強をしています。集中する必要があるので、マインドフルネスなどを利用して、問題に集中しようとしています。ですが、度々、カンニングの事やカンニングした事の罪悪感、自分がカンニングするかもしれないという不安などが頭の中に浮かびます。それらをマインドフルネスなどをして、無視して、問題に集中する事は自分のカンニングに対する嫌悪感やカンニングをしたくないという思いを消してしまうのではないかと不安になっています。今はカンニングをしないと固く決心しているのですが、将来カンニングについての自分の道徳心や信念、罪悪感が消えて、カンニングはダメな事だと思わないようになってしまうかもしれないと思うととても不安です。
もう、カンニングはしたくありません。カンニングの事が頭に浮かんでも、それにカンニングはダメ、しないと自分に言い聞かせずに、無視して、問題に集中しようとしても、自分のカンニングに対する道徳心や信念は変わらないでしょうか?ただ、雑念が起こったとだけ思って、目の前に問題に集中しようとして大丈夫でしょうか?また、このような心理状態では瞑想やマインドフルネスをやらない方がいいでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
道徳心や信念、罪悪感が問題ではないよ。自分に自信がないだけ。
前回の質問も読ませてもらいました。
カンニングは、自分の回答への自信の無さが、そのような行動に出たのでしょ?
カンニングする人は、
自信が無くどうしても答えがほしくて人の回答を盗む人。
しない人は、
自信が無くても、自分が答えを出せないなら、力不足だと自分を受け入れていける人。
または、自信がある人。
道徳心や信念、罪悪感が問題ではないよ。
ただ、自分に自信がないだけ。
そして、自分に甘くズルい。
カンニングに不安なんて持たなくてもいいくらいに、自分に力をつけること。学力をね。
やるだけのことをやって、臨むの。
テストで、そこが自分の限界なら、ちゃんと受け入れなきゃ。力不足、仕方ないって。
力をつけることも、受け入れもできない、
甘えと逃げだと思うよ。
応援しているわ。ファイトだよ(﹡´◡`﹡ )
正々堂々と入試に臨んで下さい…ただそれだけです。
厳しい表現ですが、あなたはまだ『カンニングをしないと固く決心』出来ていないような気がします。難関校・学部を目指していらっしゃるようですが、それ故に不安も大きいのでしょう。あわよくば「カンニングで合格できないか…見つからなければ大丈夫…」という気持ちが心の奥底に眠っているのではないでしょうか。
仏教では自身の持つ「意識」のさらに奥にある識(阿頼耶識)を説きます。詳しい説明はしませんし、出来ませんが(専門外で申し訳無いです)が、あなたの意識の下に「かつてカンニングに成功した成功感覚」が眠っているのだと思います。
その意識を打ち砕く方法はあります。
入試でカンニングをして(…念を押しますが、間違っても私が本気でそんなことを勧めているとは受け止めないで下さいませ)見つかることです。そうすればあなたのそんな意識はすべて消えて無くなるでしょう。
そのリスクの大きさがどれだけのものか…想像せずともお分かりでしょう。
もしそうなった場合、あなたは「私はもう今後一切不正はしないが、試験官が私を疑っているかも…採点者は私の答案をカンニングした結果として零点にするかも…」等の思いに苛まされて、もう一生受験また他の資格試験受験など出来なくなってしまうかも知れません。
そんな状態になってもよいくらい、カンニングに興味がありますか。コロナ禍で受験でどれだけ離れて着席するかご存じでしょう。その机の間を「後ろから試験官が全く前触れなく歩いて見回りにやってくる」のです。そんな中でカンニングが出来ると思いますか? 成功すると思いますか?
あなたの中学受験での不正に、「あなたがけりを付ける」為には「不正などせずに正々堂々と試験に臨み、自力で合格を勝ち取ること」しかありません。
それが出来なければ、あなたは「一生今の気持ちを抱いて生きることになる」でしょう。それは本当に辛いことでは無いですか?
あなたには実力があるはずです。
どうぞ、他のこと一切考えずに勉強に取り組んで下さい。
そんなあなたを仏様が応援し続け下さいます。
質問者からのお礼
中田三恵様
読んで頂きありがとうございました。自分に少しでも自信を持てるように、勉強に全力を尽くしたいと思います。
小林覚城様
コメントありがとうございました。カンニングしたいという自分がいるとは思ってませんが、もしカンニングしたいという心が奥にあったとしても、過去の自分を乗り越えられるように、勉強に集中して、自分で勝利を勝ち取りたいと思います。