健康なことは当たり前でしょうか?
精神的な病を持っている、と聞くと親身になれず、仕事に支障をきたさないように心身共に健康であることに気をつけて生きてきた自分と比較し、相手の方が病気であるために周りからサポートして頂いてるのを見て勝手に嫉妬し、そんな自分にとても嫌悪感を抱きます。
私は持病も大きな怪我をしたこともなくとても健康だと自分自身で感じます。勿論、健康に産んでくれた母親や規則正しい生活を共に歩んでくれた家族のおかげで大変感謝しています。社会人になってからは心も健康でいられるよう意識して過ごしてきたつもりです。(睡眠時間をキチンととる、ストレスを溜めこまない、などの小さなことですが…)
職場の同僚に(仮にAさんとします)精神的な病をもってる方がいるのですが、上司や異性の同僚などAさんには甘く私には何の評価も無いのでは、と思い込んでしまいます。
技術面では問題無いような事でも、「Aさんに任せるのは可哀想(大変そう)だから私に任せよう、あいつは大丈夫だから」ということを言われ、実際に行うことが多々あります。
信頼されている、と受け取ればいいのでしょうし、現在の仕事内容はとても好きなことなのですが、
仕事で信頼を得て重宝してもらえるよう心身共に健康でいられるよう気をつけていた私は、周りからフォローを受けているその光景をみて憎いと感じてしまったり、私は使い勝手がいいと思われているのではないか、と釈然としないことがあります。
みんな病気になりたくてなっている訳で無いのはわかっています。ですが、主に仕事面で他の人に迷惑をかけないよう健康でいることを意識して心がけてきた私は、結果として健康に過ごせていることを評価してほしい、と感じてしまいます。
そんな小さな考えに至ることがとても情けなく、自分本位で他人を思いやることができない自分がとても嫌です。
こんな風に感じている事など職場の方にも知人達にも恥ずかしくて相談できず、匿名で相談させて頂けるこの場をお借りしました。
上記のような理由で他人を羨み、嫉妬し、評価してほしいと考えるのはとても自己中心的だと思います。どのようにすればもっと他人のことを思いやれるようになるのでしょうか?
他人ばかりを羨んでしまうこの性格を改めたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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2つの観点からの可能性
こんにちは。
「他人を羨み、嫉妬し、評価してほしいと考えるのはとても自己中心的」と書いてあります。あなたはとても自分に内省的で、ご自身ことを一生懸命分析し、「もっと他人のことを思いやれるように」なりたい、と志向しているようです。とても真面目な方なのだとお見受けしました。
私が感じたのは、勿論「自己中心的」という視点も必要かと思いますが、もう一つ必要なのはご自身に余裕がない、という視点ではないかと思います。
まず、「評価」への焦りで余裕がない、ということです。
「上司や異性の同僚などAさんには甘く私には何の評価も無い」と書かれています。「異性の」というところでは、何らかの嫉妬が含まれていることも感じさせますが、当面は評価されていないことに少なからず不満をもっているようです。つまり、もっと「評価」、昇進への反映、賛辞の言葉がけしてほしい、ということでしょう。
お仕事の内容は分かりませんが、あなたは仕事を誰に向かってしているのか、という見直しは必要かもしれません。それは、サービス、技術を享受する顧客に対してのものであって、直接的に社内の人の為では無いはずです。社内の人を向いて仕事をしていませんか、という点はどうでしょう。
顧客からの「評価」を本来にすべきではないでしょうか。
そして、顧客に向き合うやり取りの中で、自分を磨いていく、自分の役割が果たせているかを自己チェックする。ここに心を割いてはどうでしょう。そうすると、社内でのことはある程度相対化してみることが出来ると思います。
次に、仕事への自信のなさから余裕がない、可能性です。
これは想像になるのですが、ご自身が仕事をする上で心に高い緊張を持ちすぎている傾向はありませんか。表面上では平静でも、自分がミスをするのではないか、自分に役割が果たせるだろうかという、心の底で怖さを抱えている場合があるとします。
そうすると、他の人が楽そうにこなしていたり、自分のような緊張を強いられていない姿を見た時、その落差に違和感を感じます。そこに、不公平な条件の可能性が見いだされるとそれが怒りに変わる・・・、という可能性はないでしょうか。客観視して、肩の力を抜く必要性があるかもしれません。本文にない一つの可能性ですから、当たっていない場合は放念して下さい。
以上、2つの点をお考えいただければ、と思いました(字数制限)
自信と余裕
慈陽院の平本です。
まずしろさんは、自分のことをよく自己分析ができていると感じました。とても素晴らしいと思います。
次に一方通行のやり取りなので推測になってしまうのですが、おそらくしろさんは、仕事に自信が持てていないことで自分自身に余裕がないように感じました。
評価を気にすることは、良い面と悪い面があります。
悪い面は、まさに評価に振り回されてしまうことです。しかし評価の良い面は、自分が間違った方向に努力をしていないかを確認することができます。
自分がどんなに頑張っていても努力の方向性が間違っていると、評価されず疲れるだけで空回りになってしまいます。
職場の中でどのような職員の仕事が評価されているのか、職場の上司は、どのような人にたいして評価をしているのかを少し探ってみると良いと思いますよ。
あと職場の方とコミュニケーションを取りながら、自分の至らぬ点を反省したりしていけば、自ずと自信がついていき、余裕がでてくると思います。自信と余裕がでてくれば他人に振り回されなくなると思います。
質問者からのお礼
平本様
この度は相談にお応え下さりありがとうございました。
「自信と余裕」、自身が勤務していた中でどうあっただろうか、と思い返してみました。
自分の前任の方がとても優秀な方で、未経験であった私に沢山の技術を教えて下さいました。
信念をもち、自分にも他人にも厳しく、私はこの方を尊敬していました。この方が離職され職務を全て引き継ぐとなった時、不安で仕方がなく、また現在においても教えて頂いたことができているだろうか、こんな時この方だったらどうしただろうか、と考えることが多々あります。
だからこそ口にだされる評価ばかりを気にして、余裕が無い自分がいたのではないか、と思いました。
また自身からもっと積極的にコミュニケーションをとり、色んな方と様々な話をしていく中で評価だけでは無く別の角度からの考え方もできたのではないかと痛感いたしました。
平本様がご回答下さったことを胸に留め、全て改善するには時間がかかるかもしれませんが日々精進させて頂こうと思います。
この度はご回答して頂き本当にありがとうございました。夜はまだ冷え込みも厳しい日があるかと存じます。どうぞ御自愛なさって下さい。
ありがとうございました。
釋 様
この度は相談にお応え頂きありがとうございました。
釋様が回答して下さった「仕事を誰に向かってしているのか」、この一文に強く心を動かされました。
私の仕事はサービス業で、お客様があっての仕事です。勿論他の方のご職業でも同様かと存じます。ですが、何より自分自身が何故この仕事についているか、仕事をしていて一番やりがいを感じる時はお客様にありがとう、と言って頂ける時ではないかと改めて思い直しました。
蔑ろになりがちな大切なことを再認識させて頂けました。
また幼い頃から負けず嫌いで何でも完璧にこなしたい、と思う自分はミスをすることなどありえない、と考えていました。
そのことが逆に負担になり心のゆとりを無くし、周りからの評価に固執した結果、誰のための仕事かという大事な事を忘れ、他人を気にして蔑むことで自身の気持ちを抑えつけていたのだ、と強く感じました。
「仕事を誰に向かってするか」、この言葉を再度心に留めこれからも少しずつ自身のできることを無理なくこなしていけるよう精進して参ります。
この度は相談にご回答頂き本当にありがとうございました。
季節の変わり目で昼夜の寒暖差もありますので、どうぞ御自愛なさって下さい。
ありがとうございました。