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懺悔。仏教では「さんげ」!と読みます。
懺悔は「さんげ」と読みます。キリスト教では「ざんげ」ですがもともとは懺悔の読み方は仏教から来ています。
懺悔についての解釈を少し長くなりますがお付き合い下さい。
人は誰しも罪過を造らずには、生きていけません。
してはならないことをし、言うては成らない事を言い、思うては成らない事を思う。例え一つ一つが軽くても一生の間に積み重なり大きな罪過となり、私たちを引きずり回し迷いをもたらす事となる。
お釈迦様のお教えの元、どんな罪業も懺悔文をお唱えし悔い改め心より善行を行うるならば消滅する事ができます。ご安心下い。
(懺悔文)
我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)
皆由無始貪瞋痴(かいゆうむしとんじんち)
従身口意之所生(じゅうしんくいししょしょう)
一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)
【現代語訳】
私が、過去に行ったあやまちは、全て始めもわからない深い貪り、怒り、愚かさ(三毒)によります。それは、身体の行い、口の行い、心の行い(三業)から生まれ起きたものです。全てを、私は今、仏様に照らされて悔い改めます。
【コメント】
釈迦の教えは、苦しみから解放され幸せになることです。その苦しみの原因は自己中心的な欲望です。己が今日までに造ったあらゆる罪の報いの恐ろしさを痛感し心から悔い改めることが大切です。
貪(とん)「貪り」
淫欲、財欲、食欲、名誉欲等
瞋(じん)「怒り」
自分を見失い怒りにまかせた状態
痴(ち)「愚かさ」
(貪、瞋、痴)の三毒
心が欲望におかされ道理のない状態は、己の身と口と心から生じたものである。
もちろん、懺悔したからといって全て帳消しになる訳ではない。益々煩悩の深さを知り、心から懺悔し、決して悪業の報いを忘れないことである。 その苦しみから離れるにはあらゆる善行に施すのです。その善行が心より己の喜びとなったとき、そこで初めて懺悔の功徳が現れてくるのではないでしょうか。
無責任な人間、己を見つめ直し懺悔しましょう。
お力になれるといいのですが。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
本当にありがとうございます。