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隣国が怖い

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いつもの事なのですが不安を吐き出させてください。
今、隣国の語学を趣味として勉強しています。楽しく勉強していたのですが、インターネットで調べていくうちにその国の怖い部分というか、闇の部分が検索に上がってしまい、見ているうちにその国を怖いと思うようになってしまいました。その国の人達は日本にたくさんいますし、軍事力を強化していて領土を広るとも公言していますし、今の日本の政治力を見ていても、この先の未来が怖くなってしまってしまいました。

その国のすべての人がそうじゃないし、他の国も関わってくるので、心配し過ぎだと思うのですが、その国の人に日本は遅れている、平和ボケをしてると言われて、とても不安になってしまいました。
戦争にならなくても、その国の人達がたくさん日本に来ればこの国が荒れてしまう気がします。
不安が強くなっています。どうしたら気持ちをなだめて、冷静になれますか?
よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

善意だけでは悪意に抵抗できない。最善の活路を見出す。

チベット人やウイグル人の平和を祈っても沢山の人が殺されました。そして世界の宗教者たちは臓器狩りにも沈黙をつづけています。現実はそこ。沈黙。
SNSの僧侶グループでも隣国の非道に関して沈黙する人は多いです。単に知らないだけ?いいえ。違います。知ってみて見ぬふりをしている所がある。私はそれ以来、僧侶や宗教者の宗教心や救済心に限界と疑問を感じて個人で声を上げています。
ひどい目に合っている人たち助けよう・守ろうという声も上げないのは何をする姿か?黙殺です。理想やきれいごとだけを言う口先だけの人間はあなたを守ってはくれません。悪いことをするなと言いながらも他の非道に無反応。止めようともしないのですから。祈りや沈黙は悪や非道を止められません。私は自分が殺されそうにな時に「沈黙する」「祈る」人間は信じません。悪意に蹴落とされるエセ平和論を口にして見殺しにする人だからです。強大な悪や力に媚びて酷い行為を止めないのは「助けない」を選択しているということ。そこに疑問を持てばあなたの防衛意識と行動が変わる。真の強さを求めるようになります。
<`皿´>侵略者にも人権を!日本に危害を加える人間をヘイトするな!日本を守るカギをかけるな!と主張して竹島・尖閣諸島は支配されました。現実の侵略です。私はウイグル人やチベットの僧侶たちが殺されていった現実から、きれいごとを言うだけの僧侶から出家しています。人を無防備にする悪意のお人よし主義に騙されている僧侶もいます。防衛意識を高めるべきです。彼らの工作は実に手が込んでいます。侵略者を差別するな、犯罪者や泥棒行為を差別するなという姿勢。それは侵略国家サイドの嘘。その前にこっちの防衛の方が大事です。
『鬼滅の刃』でもそれはテーマになっています。悪や鬼と仲良くしろといっても家族は殺された。殺されたら「終り」です。危害を加えてくる侵略者・非道な存在に無防備でいろという人はチベット人・ウイグル人やライダイハンなどベトナムの惨劇の被害者に同じことを言えるでしょうか?
人の命を何とも思わない偏狂思想は仏教精神も潰す。人の善意も殺す。それが真実です。
だからこそ日本の平和・安全の維持のために、相手国の攻撃性や反日活動の現実の実態を世間に広く知らせて国全体で防衛する。軍を持つ国には日本破壊を目論む工作があるのです。彼らの現実が公の場で広く知られることで防衛になります。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

是々非々で対処

こんにちは。
前回も御縁ありましたね。

「隣国が怖い」とのことです。
複数ありますが、おそらくあの国だろうと思います。

あなたの懸念はごもっともです。
確かに、「軍事力を強化していて領土を広るとも公言しています」というのは事実だと思います。空母保有などの海軍の強化、尖閣諸島への圧迫は我が国喫緊の課題です。

また、チベット、ウイグルにおいては民族、文化、宗教の弾圧が苛烈なものになっており、香港でも選挙を事実上形骸化・廃止へと動いてもいて、人権蹂躙という面でも非常に恐ろしい国です。

この点で言えば、「平和ボケ」は危険です。
かつてのチベットを教訓にするならば、やはり政治的、軍事的な警戒を怠ってはいけません。

このような問題は、ある程度政治的軍事的な観点が分かると安心できる面があります。簡単に言えば、日本は世界最大の軍事力を持つアメリカと深い関係にあり、有事は日本単独ではなく必ずアメリカの関与があるので、簡単に紛争にはならないという知識です。

一方、そこに住んでいる国の人達については、分けて考えることも必要でしょう。
あなたも「その国のすべての人がそうじゃない」と書いているとおりだと思います。基本的には、普通の人間対人間で考え、接する。お互いに喜怒哀楽を共有する。

これは、友人に聞いた話です。
その友人の祖父がかつての旧日本軍で中国にて従軍していた際、ある村を通りかかったそうです。その村には、お寺がありました。そのお祖父さんは、懐から懐中名号(携帯の御本尊)をだして、現地のお寺の僧侶に南無阿彌陀佛を見せたそうです。そうすると、今まで警戒をしていたその僧侶は、一気に満面の笑みをたたえ、身振り手振りで、ああ君もそうか、友達友達と握手したそうです。

その時代の国、政治に阻まれて人間と人間はいがみ合うこともある。
なるべく直接争わない工夫は必要だ。
しかし、その一方でわかり合えることがきちんとあるのだ。
そういう整理の上で、是々非々で対処する。
これが宜しいと思います。

追記
ご返信並びに、ご丁寧にお気持ちをお運びくださり、誠にありがとうございました。いつも読んでいただいているようで、嬉しいです。これからも折に触れて回答させて頂きます。時節柄、どうぞご自愛ください。

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おきもち

浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布教研究専従職員 元龍谷大学講師 元篤志面接委員(法務省管轄) 真宗学修士、心理学学士 Fmみっきい(地元ラジオ局)出演中 趣味:サックス 2019年末頃から回答しています
応談できる時間帯は、その日によって違いますのでお確かめ下さい。 月曜日〜金曜日(祝日除く)13時〜21時 土曜、日曜、祝日 18時〜21時 お盆(8月1日〜15日)、お彼岸は対応できません。

情報は右から左まで、上から下まで、あふれています

世の中は単純ではありません。仏教では、人さえも、そんなものはない。ただ体と心の働きが瞬間ごとに働き続けているだけだと見ます。一瞬ごとの感情や考えはころころ変わります。あまり変わらないようだと、やっと、世間では「あの人はこういう考えをする人だ」などとまとめます。
 情報を発信する人は、自分の強い意見と感情を持っています。なにしろ発信したいのですから。だからといって正しいとは限りません。間違いとも言い切れません。この人が発信したこれこれの情報、と、受け取って、不必要なら聞き流せばいいです。感情まで受け取る必要はありません。
 でも、その意見に賛同する人が多いですけど? 賛同しない人も多いです。
 人でさえ、一人の人が一瞬ごとに変わります。もちろん、一人ひとり違います。そんな人たちの集まりである国とか政府とか、おいそれと「こうだ」と決められるものではありません。
 あなたはある国の言語に興味を持ち、学び始めました。言語には文化などがくっついてきます。その国の一片をよりよく知ることができます。ステキではないですか。世界が広がっています。
 人と意見や感情をぶつけ合う必要はありません。人は皆、自分の好みで動いています。
 自分の心の中ででも、他人の意見や感情に流される必要はありません。
 どうしてもネガティブになりそうなら、いっそのこと、その国のすべてを学んでみてください。言語や現在の文化や政治組織だけでなく、まあ、とりあえずは歴史、地理を。日本のものと関係したり異なったりしますが、どの国もやっぱり戦争したり困ったり大変なことの繰り返しだと分かって、知れば知るほど、親近感がわいてきますよ。
 その上で、意見や感情が合いそうな人と、そういうことを話してみる。合いそうにない人には知らん顔している。それでよいと思います。
 人はみんな、自分の小さな池の中で生きていて、自分の池に落ちてきた情報だけを見て一喜一憂しています。池から顔を上げて、少しでも外の広い世界を知ろうとしているのですから、貴方の方が立派です。また池の中だけに戻るのはもったいないです。今の言語をやめたとしても、他のことにも関心を持ってみてください。

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おきもち

初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本仏教、浄土真宗ということで活動しております。 先祖供養とか功徳回向とか、みんなお釈迦様が最初からおっしゃっていたって、ご存知でしたか。私たちも謙虚に堂々と日本仏教しましょう。

質問者からのお礼

丹下様

コメントを頂きありがとうございます。尖閣諸島問題は何となく知っていましたが、内容を知ると怖くなりますね。
私は選挙くらいでしか政治に参加できませんが、どうした良いのか、何ができるのかをよくよく考えて、隣国と付き合っていこうかと思います。
ありがとうございます。

藤本様
隣国との語学交換アプリをやっています。良い人もいれば悪い人もいる。それを実感しています。それと同時にその国の知識や良識の乏しさも痛感しています。素朴な人達なのですが、国の違いですかね。やはり思想においては難しいのではないかとも思ってしまいます。
まだ勉強は続けていくつもりです。親日派の人も多いので、交流の中で何が変ればいいですね。

悠水様。
いつもありがとうございます。
個人であれば分かり会える部分が多いと思います。政治や経済ですよね。平和が続けば良いと思います。
隣国の人はとても優しいです。ですが自己中心的な部分がどうしても目に入るというか…、難しいですね。
今の世界は繋がっているので、簡単に戦争は起きないと思っています。この先ずっと隣国の人達と争わないでいられることを願います。

皆様、ありがとうございました。
少し冷静になれました。
ありがとうございます。

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