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自分の存在を無かったことにしたい

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有り難し有り難し 14

 35歳の元公務員です。自分の中で結論は出ているのですが誰か自分と無関係な人に話を聞いて欲しくて投稿しました。自分の思い全てをまとめることはできません、申し訳ありません。
 私はこれまで、流されるまま生きてきました。高校の文理選択、大学の学部、公務員への就職など。その節々で、特に目標のないまま過ごし、目の前にある楽な道ばかりを選び、嫌なものからは逃げてきました。
 就職するまではそれでもなんとかやってこれたのですが、入庁して最初の部署で滞納整理の業務に付き、上司と市民との板挟みにあいました。この上司は庁内でも評判は良くなかったのですが、自分が無能という自覚もあったため、言われるがまま耐えてきました。(この際半年の自宅療養も経験し、心療内科も受診しました。)
 異動願いでまたもよく考えず別部署に異動したはいいのですが、そこでは単純に業務に付いていけず、自分の無能さを再認識させられる毎日でした。それでも自分なりに努力してきたつもりですが、先任同僚の出産休暇、教えていた同僚も出産休暇、さらに補充された同僚にまた一から教えなおしなどが重なり、碌に相談もせず耐えきれず辞めてしまいました。そこから就職活動もせず、貯金を切り崩してただ生きているだけの毎日です。
 私の母は父に先立たれた後、一人で3人の子供を育てた立派な人です。それだけに安定した職を手放した私を許さないでしょう、いままでの言動からそれを想像してしまうのです(実際はともかく)。それが怖くて現在も黙っています。
 健康保険にも入っていません。(市役所を逃げ出した手前怖くて…) 
 誰かに相談して指示を仰ぐ、とにかく動く、投資で身を立てるなど現状打開の方法はあります。
 しかし、何をやるにも面倒で失敗も怖く、勉強は頭に入らないし、プライドが災いして誰にも相談できません。
 毎日自殺の方法を考えていますが、痛苦も後始末させるのも嫌で実行する勇気はありません。
 結局、私は面倒8割恐怖2割の人間で、これと決めた道で躓いた以上諦めて自然に任せてなるようにしかならないと思っています。最初から居なかったことにできれば最高なのに。
 ここでご意見を頂いても、𠮟責にしろ激励にしろ受け止めて動くことはおそらく無理でしょう。それでも、誰か無関係な人に何か言って欲しかった。
 身勝手なお願いですが、可能であれば何かご意見をお願いします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

素直になって、人に頼ってみませんか

こんにちは。

あなたは、
「自分なりに結論は出ている」
「ここでご意見を頂いても、𠮟責にしろ激励にしろ受け止めて動くことはおそらく無理でしょう」
と書いています。

あなたなりに悩んでいるのは察しますが、あまりに頑なな結論ありきだと折角の質問の機会が勿体なくなりますよ。

あなた自身が自覚しているように、あなたは非常に「プライド」が高い様子が文面から伝わってきます。その「プライド」ゆえ、人に頼るとか、弱い自分をさらけ出すとかが出来ず、かといって100%自己完結だけで人生を生きていくことは難しい。現にあなたはその限界を感じてここに投稿したくなったのではないでしょうか。

一方、「誰か自分と無関係な人に話を聞いて欲しくて」、「誰か無関係な人に何か言って欲しかった」とも書いてあります。そうです、それをストレートに書けばいいのです。「ご意見を頂いても」「動くことはおそらく無理でしょう」という殻に閉じこもる姿勢を見せる必要はないのです。

弱みを見せてもいいのです。
悩んでいるから聞いてくれるだけでもいい、と単純に言えば良いのです。

人に素直に頼る姿勢をだせるかどうかが、あなたのこれまでのそしてこれからの悩みにとって第一関門となる重要なポイントだと思います。

以上があなたに向けた意見です。

追記
ご返信ありがとうございました。
あなたなりの思いを拝見させていただきました。
また、書きたくなったらお寄せ下さい。

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有り難し
おきもち

釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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質問者からのお礼

 早速のご意見ありがとうございます。まず謝罪しなければなりません、誰にも相談できないと書いてはいますが年の離れた弟と友人には現状を話して1年に何度かは話しています、無論愚痴を吐きまくって弱みも見せまくっています。(とはいっても彼らにも彼らの生活がありますし、経済面その他で頼るという意味では彼らに頼れるとは思っていませんが)
 ご意見についてですが、やはり自分のプライドや思考の殻を捨て去ることはできそうにありません。何故かといえば、自分は思考の幅を狭めることで生きてこれたという自覚もあるからです。自分は集中力が無いので、あえて「これしかない!」と思い込むことで無意識に無理やり集中力を嵩上げしていたのだなと今になって思うのです。それを捨ててしまうことは自分の人生を全否定することになるのではないか?いや、なる!(これも思い込みでしょうが)。
 誰かにアドバイスを頂いてもすぐ反論および末路が頭の中に出てくるのも問題ですね。
 自分から八方ふさがりにはまり込んでいる感はあるのですが、始末が悪いのはそんな自分自身を嫌いになり切れないことなんです。どうしようもなく無能で自分勝手で頑固でそんな自分が嫌なはずなのに、そうでない自分を想像するとすさまじい違和感と嫌悪感が。
 また、自分の性格上一度誰かに頼ると際限なくずるずると頼り続けてしまうという自覚もあります。そして最後には共倒れになる。無論そうとは限らないんですがどうしても頭の中からその想像が消えないんです。
 結局、私は現状を改善したいけど変化はさせたくない、自分を変えたいけど変わりたくない、勝手に自己完結してそれに不満を抱きつつ納得もしている、他人の意見を聞きたいけど受け入れたくはない、そんな矛盾した支離滅裂な人間であると結論づけ、自己肯定と自己否定の狭間で苦しみ、その苦痛から逃れるため自身の存在を無かったことにしたいと考えているのでしょう。
 一度こういった思考を文章に書き起こして誰か自分とまったく縁が無かった人に見てもらいたかったのだと思います。(うまくまとめ切れていないうえに無駄に長文になって後々書きたかったことが唐突に出てきて後悔するんでしょうが。)
 ご意見と貴重なお時間をありがとうございました。

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