とらわれから逃れるには
過去の出来事にとらわれてしまい、毎晩辛くて眠れません。
昼間は仕事でなんとかごまかしていますが、夜になると色々思い出し涙が止まらず、お酒を飲んだ勢いでこのまま死んでしまおうと思う日も多くなりました。
実際に突発的な行動に出てしまい、本当に自殺してしまわないかと恐くなります。
数年前から座禅をしていますが、最近では座禅中も考え事をする時間になってしまい余計に辛くなります。
心ここに在らずで、いつ自ら命を絶ってしまうか分からない状態から抜け出すにはどうしたらよいでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
脳内消化不良にはこれが有効⤴✨
手っ取り早いのはその心のモヤモヤをちゃんとお話することでしょう。
暇なときにお電話いただければ私なんぞでよければお話をお聞きします。サックリ程度で。人間の心っちゅうモンはやっかなところがあるモンでして、気になっていることが何度も出てくるのですわな。それはあなたにとってのモヤモヤ。この心のモヤモヤを本来の仏教では衆生といいます。外のどこかの他人様ではなく、自身の内なる意識。自分がそれを何とかしたい迷いの思い。内なる子羊ちゃん。🐑メぇ(迷)~。
だから、そのさまよえる子羊ちゃんをすくってやらなきゃいかんのです。問題意識が生じるのは内なる自身の心というステージ上ですから、主演もサブもヒロインも全部あなたですから救いごたえ、手応えがありましょう。
ちゃんと向き合うということです。
そうすると、きちんとした言葉になります。ドラマがあるはずです。ストーリー化されるはずです。「私はあの時、あの場で、あの人によって、あんなことされたんだ。それがどうしても納得がいかん。おかしい。うん。何度考えても、何度も我慢してきたけれども、でもどうしても私の本心がゆるせない。納得がいかない。どうしたらいいんだろう?」という叫びになるものです。
お釈迦さまも生老病死という人間が絶対に避けられない現実から救われたいと願い、その心の叫びが菩提心という悟りを求める原動力になり、その願いは達成され多くの人を救い、私も救い、いずれあなたも救うでしょう。
心底、この悩みを解決したいという大菩提心・大発心を奮発するのです。
たった一つの悩みが何と、その人の今後の人生を大きく変えるというエネルギーになるのです。内科、歯医者さんにいって治療スッキリ、ホナさいならでも別にいいのですが、仏教とは人間性すらも高める教えでもあります。アタシの悩みが解決すればそれでオッケーあとは勝手気ままに生きてやるわい、というケチな気持ちでは自分が救われただけで、その後も誰かにゴメーワクをおかけする可能性は無きにしもアラジンです。
よって、あなた様も含め、今後この文言を目にされる御方がこれを機縁とし、自分の晴れない悩みが生じたら、内科に行ってホナサイナラという程度で終わってしまうのではなく、さらなる心の豊かさを追求して世の中を善導する善玉菌となるぞぅ🐘ぐらいの仏サマ的向上心も持ってみましょう。自ずから自己の心が善導されましょう。✨
質問者からのお礼
お礼が遅くなり申し訳ございません。
ご回答いただきありがとうございます。
自分の感情を言葉にして話す事が苦手ですが、仏教を学び生きる原動力としていきたいと思います。