過去の過ちの罪悪感にとらわれてしまう
はじめまして。タイトルに書いてある通り、過去の過ちの罪悪感にとらわれてしまっています。
というのも最近、とある過ちを犯してしまいました。幸い相手方のご好意もあり警察沙汰にはなりませんでしたが、一方間違えば前科や前歴がついてしまっていたかもしれません。そのこと自体深く反省し、二度としないと心に誓い自分を強く律しようと思っております。
その出来事をきっかけに、今までの過ちが一気に蘇ってしまいました。
どちらかといえばいじめられっ子で、今もパワハラまがいの目に仕事であっていたりして、それを両親に愚痴ったりしていました。しかし、自分に目を向けてみればどうか。
人を妬み、陰で貶めたこともあります。悪口を本人に言ってしまったこともあります。散々お世話になっている両親を騙したりしてしまったことも、八つ当たりのような言葉をぶつけてしまったこともあります。加えて、お上のご厄介にこそならずにすませていただいたものの、今回の過ちです。
プロフィールに書いてあるような職業に従事する身として、周りの人たちと比べてしまい劣等感に苛まれたり、こんな自分がこれから友人や(まだいませんが)恋人や家族を作り幸せになることは許されるのだろうか、そんな権利はないのではないかとずっと逡巡してしまっています。
そして、そんな自分の過去がバレないかと、今後幸せになったタイミングで後ろ指を刺されるのではないかと、そんなことを考えてしまい結局反省や後悔していても自分の保身に頭がいってしまうことでまた自己嫌悪してしまいます。
全部の過ちを話すことはできませんが、「あなたを信じている」と言ってくれる両親や知人に胸を張って向き合いたいです。この人には言えない悩み、もしよろしければ何か一言いただけると幸いです。よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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今、あなたがどう生きているのか。
こんばんは。亀山純史と申します。
過去の過ちや失敗は誰にでもありますが、どんな人でも救うのが、仏様です。極悪人でも、仏様は救うのです。(浄土教の教えから言えば、極悪人こそ仏様は救う、と言ったほうが適切なのですが。)そのような仏様は、今現在、あなたのことを救ってくださっています。今現在、救っているということは、仏様が見ている先にあるあなたは、現在のあなたです。過去のあなたではありません。未来のあなたでもありません。今、あなたがどう生きているのか。その一点に仏様の心は向けられているのです。
今年は例年になく雪が多い年でした。雪が多く、特に北国では大変な思いをした方も大勢いたと思いますが、雪が多いということは、雪解け水も多く、夏の水不足をくい止める働きをなします。この雪と水の関係と同じように、過ちや失敗によって、人は真に成長することでしょう。
以上が私からの回答です。少しでもお役に立てば幸いです。
質問者からのお礼
亀山純史さま、返答ありがとうございます。今、どう生きているか。それこそが大事なのですね。過ちを犯してしまったのも私、その過ちを悔いてもう二度とあのようなことをしないと誓っているのも私。過去は消せないものとしてだからこそ今の私がいるのだと胸を張れるように頑張りたいと思います。しかし、もしかしたら過去の過ちが暴かれるときもくるでしょう。その時は潔く認め、その姿を大切な人に見てもらおうと思います。心に染みました。また歩みを止めてしまった時はご相談させていただきたく存じます。