埋葬の悩み。心残り
以前も質問させて頂きました。空手の修行で日本にきて、師範まで後半年という所で病に倒れ、2週間前に急逝した外国人の婚約者を日本で荼毘に付し、お遺骨を預かっております。もちろん本人のご家族に許可をえて行いました。無念さや哀しみ、後悔の念で一杯ですが,49日法要まで自分なりにですが,供養を毎日しております。。
長くなりました。。
質問です。
49日の後,本国、アメリカの母親の元へとお遺骨と共に行き、埋葬する事になりました。。ところが,埋葬するかはまだはっきりと決まってないらしく、もしかしたらお遺骨を自宅に置いておく可能性も出てきました。彼の母親は、お別れ会はするけども、としか言いません。出来れば祖母の側で埋葬したいけど、今の所分からない…などと。。元々彼の母親は精神的に不安定である為、このような決断は厳しいのかもしれません。そこで叔父にあたる方に,私がお遺骨を持って行くのは,早く安らかに眠って欲しいからです。大好きな祖母の側での埋葬の日取りなど決まってから訪れても構わないですので、状況を教えて下さいとお伝えしましたが、返事がありません。。
亡くなった彼は本国では空手の先生でもありましたので,沢山の生徒さんや仲間達、彼の先生などが、埋葬費用を皆に声かけて集めているようです。。暖かい気持ちには感謝してはいるのですが、周りの彼の仲間ではどうしても決めきれない埋葬の場所、日時のハッキリとした段取りなどもない中、お遺骨を渡し日本へ帰国するのがとても心残りで、不安になってしまいました。。今は余計に心が落ち着かなくなっています。
どうしたらいいのでしょうか?
ハッキリとした埋葬の段取りが分かるまで、私の手元でお遺骨をお寺に弔ってもらいながら預かっておいてもいいでしょうか? それは、間違った事でしょうか?
恋人が急逝。私の後悔の念、彼の無念さに潰されそうになります。 1日、1日を生きるという事は分かります。彼の無念、私の後悔の念で心が占められ雁字搦めです。これから生きていくにはどうすべきですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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埋葬にこだわり過ぎないほうがよい
悲しい別れに喪主のおつとめと、本当にご苦労様でした。大変でしたね。
四十九日間はお祀りされるとのことなので、いい香りのものをお供えしてあげて下さい。
さて、アメリカでの埋葬(納骨)の不安のことですが、やはり各国地域でそのやり方は様々です。
お釈迦様の遺骨は、世界中に散らばっていますし、川に流して母なる海に帰すところや、鳥に食べさせて天に帰すところもあります。
もしかしたら、家族はしばらく手元において起きたいのかもしれません。
多くの仲間たちがいらした婚約者さんなら、会いたいという方もいることでしょう。
相談者さんも含め、多くの方に手を合わされて、婚約者さんは"手を合わされる存在"になっていきます。
手を合わされ、誰かが自分を想ってくれている気持ちで安らかな気持ちになります。
必ずしも埋葬(納骨)=供養というわけでもありません。納骨にこだわるのは日本的価値観です。
形としてのご供養は、彼さんを親元に帰すまでで充分お役目を果たしています。
その後は、彼の家族と一緒にお別れを悲しみ、彼の安心を願って手をあわせ、彼に向こうで心配かけないように生きていくことが世界共通のご供養かと思います。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
今は,亡くなった直後の哀しみとはまた違った喪失感に襲われています。
何もできない状態です。仕事にもそのうち支障がでるのでは、と不安です。
記憶も曖昧になり、ボーッとしてしまいます。。
彼との壮絶な闘病生活は、私と彼しか分かりません。向こうの両親もみてないですし、私の両親も彼の友人も見てはいません。しっかりと最後まで看取るのだと気持ちで動いていたのですが、私は弱い、今、これから供養の大切な時期に私の心は崩壊し始めてます。
彼の母親にいたっては、周りの家族も困惑する程に態度が急変し、葬儀すらもあげなくていいのでは?などと言う始末。。
頼る者もなく、私の両親は,なぜ娘ばかりが全て決めないといけないのか、健康でまだ60の母親なら家族と迎えに来るくらいしたらどうなのだ、せめて空港で迎えるくらいしないのか、それなら私達が行くとまで言います。両親は75もなり、その上持病があり、とても長時間の旅行に耐えられる身体ではありません。。しかし、言葉も通じないのに一生懸命伝えようとしています。心労をかけてしまい私は親不孝ものです。。
心の落ち着きが今は欲しいのです、そして時間です。雁字搦めの私は今は何も考えられません。。
このような弱い私にお言葉を頂ければと思います。。最後まで送り届ける力が今は欲しいのです。