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限り

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最近歌の歌詞などで、愛する人と一緒にいられる時間には限りがある、という歌詞がありました。私は疑問に思ったことがありました。それは魂が永遠ならばあの世に行ってから愛する人とも限りなく一緒にいられるのではないかと思うのです。皆さんはどう思いますか?

2021年4月4日 9:13

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「あの世」

こんにちは。
前回もご縁ありましたね。

「愛する人とも限りなく一緒にいられる」、そういう人との出会いは素晴らしいものです。あなたが現在そのような人とご縁があるのか、これからのご縁であるかはわかりませんが、そういう死後の世界にも希望を抱くのはとても大切な心だと思います。

仏教的な視点をちょっと述べて終わります。
仏教は「魂」という「永遠」、不変の何かを前提としません(諸行無常ですから)。

ただ、質問の主旨は「愛する人とも限りなく一緒にいられる」世界に行くことなのでしょう。では、あなたにとって「あの世」とは何でしょう。文字通り「あの」とは、どこか遠くにある何かという定まっていない意味だと思います。

わたしの仏教では、具体的に極楽浄土と言います。
仏様が必ず連れ往くまかせよ、と仰るから往くことが出来ると思っています。
そして、「倶会一処」、極楽浄土という一つの処で必ず出会えるとお経にあります。

あなたにとって「あの」を具体的にすれば、「愛する人とも限りなく一緒にいられる」ということはより現実的になると思います。

あとはあなたにお任せします。
では。

2021年4月4日 9:33
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釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...

限りと思うのもその時限り、永遠と思うのもその時限り。

YOASOBIのイクラちゃんではなくお寿司のイクラちゃんの話。
イクラちゃんの好きな人がいたとします。
イクラちゃんは実は一粒一粒が別々のイクラちゃん。一粒一粒が「オイノチちゃん」ですから、おいしいイクラちゃんをその子として頂戴できるのはその時限り、その人限りです。
実はごはんもパンも元々お米であり、小麦の粒ですから毎日食べている美味しいパンもお命としては別物なのです。そういう意味では限りがあるものですね。
同じく、お口の中でおいしく沈むように溶けていくように、たらこも明太子もとびっこもシシャモも以下同文。ですが、実は永遠でもあります。
欅坂も宝塚もセンターの命は有限ともいえましょうが、その時その時を完全燃焼したということでは永遠です。大切なのは死んでも生き続けている歴史的な偉人がおられますように、人々に「忘れられないような」生き方、生き様、心理表現を残すことが実は大切だったりするのではないでしょうか。
なぜならお釈迦さまも80歳のご生涯でしたが、2500年以上もたった今でもその精神が生き続けています。多くの人たちをすくい、導き、善導しています。すばらしいことです。
素晴らしい音楽が多くの人を勇気づけて励ますように、そういうこころのエネルギーをあなたも人生の中で見つけて発すること。✨そうすれば今度はあなたが多くの人を活かし、励まし、勇気づけて、しあわせにして、笑顔にして、おいしい思いをさせたり、楽しい思いをさせたり、ほっとさせたり、賢くさせたり、立派にさせたり、仲良くさせられるようなエネルギーになるのです。

そういう素晴らしいエネルギー、チカラを仏教ではBDS(ボダイシン・菩提心)と申します。みんなが幸せになれる心の力を菩提心と言います。お釈迦さまがその心をおこして多くの人を救ってくれました。私もその力によって救われたので私もBDS46のメンバーの一人であり、ここのhasunohaのオボーサンもみんなメンバーです。そういう優しい心を持てばみんなみんなBDS46のメンバーです。
私はもう亡くなったおばあちゃんが私をよく励ましてくれました。その優しい心が永遠に私を励まして活かしてくれますので有限でありながら今も一緒にいますので永遠です。だからこそ、限りのある中で沢山の幸せアクションをあなたもアウトプットしてあげてください。きっと誰かがずっと笑顔に力になると思います。

2021年4月4日 16:02
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丹下 覚元(たんげ かくげん)
今月の提唱 「菩提心をおこす」 菩提心をおこすということは、たとえ...

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大好きな父を病気で亡くしました。 若いうちに私を産んだのに、きちんと育ててくれて成人させてもらえました。 私はパパが大好きで、ファザコンと言われる程仲良しです。父に限らず家族が大好きでしたが、父が1番の味方でした。私はインドアで1人が好きで、友達ですらも人と過ごすのが苦手で。 なので休みの日はいつも父と一緒でした。いつも私のワガママに付き合ってくれました。 急性と名のつく病気だったためありがとうもごめんねも言えず、どのくらい痛いのかどのくらい苦しいのか、何か伝えたいことがあったのかどうか、父の言葉も何も聞けず。 私はいつか絶対に父に会いたいのです。父と母からもらったこの身体と命を自分の手で無駄にしない為には、死後の世界に縋るしか生きる希望がないのです。 本題ですが、 自死をした場合は、天寿を全うした人達と同じ世界には行けない、即地獄行き、自死は罪なのでカルマがどうのこうの、沢山調べました。 これらは本当なのか、少しでも自死をする人を躊躇させるため減らすために適当に作られたものなのか。 そもそも死因によって魂の行先は変わるのか。 仮に私が自死をしたら、病死した父には会えないのか会えるのか。 知りたいです。 もちろん死後の世界のことは誰にも分かりませんから、私が見漁ったWebサイトよりも信用出来るお坊さんの考え方が知りたいだけです。 別に死ぬつもりも度胸もないので私を止めるための綺麗事は必要ありません。死について調べてる間に見飽きました。 自死でもお父さんに会えるよ!という返答が来たからと言ってじゃあ自死します!ともなりませんので、変に気遣わずそのまま元々のお考えを教えていただければ嬉しいです。 お忙しいところ恐れ入りますが、よろしくお願いいたします。

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