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限り

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最近歌の歌詞などで、愛する人と一緒にいられる時間には限りがある、という歌詞がありました。私は疑問に思ったことがありました。それは魂が永遠ならばあの世に行ってから愛する人とも限りなく一緒にいられるのではないかと思うのです。皆さんはどう思いますか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「あの世」

こんにちは。
前回もご縁ありましたね。

「愛する人とも限りなく一緒にいられる」、そういう人との出会いは素晴らしいものです。あなたが現在そのような人とご縁があるのか、これからのご縁であるかはわかりませんが、そういう死後の世界にも希望を抱くのはとても大切な心だと思います。

仏教的な視点をちょっと述べて終わります。
仏教は「魂」という「永遠」、不変の何かを前提としません(諸行無常ですから)。

ただ、質問の主旨は「愛する人とも限りなく一緒にいられる」世界に行くことなのでしょう。では、あなたにとって「あの世」とは何でしょう。文字通り「あの」とは、どこか遠くにある何かという定まっていない意味だと思います。

わたしの仏教では、具体的に極楽浄土と言います。
仏様が必ず連れ往くまかせよ、と仰るから往くことが出来ると思っています。
そして、「倶会一処」、極楽浄土という一つの処で必ず出会えるとお経にあります。

あなたにとって「あの」を具体的にすれば、「愛する人とも限りなく一緒にいられる」ということはより現実的になると思います。

あとはあなたにお任せします。
では。

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おきもち

釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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限りと思うのもその時限り、永遠と思うのもその時限り。

YOASOBIのイクラちゃんではなくお寿司のイクラちゃんの話。
イクラちゃんの好きな人がいたとします。
イクラちゃんは実は一粒一粒が別々のイクラちゃん。一粒一粒が「オイノチちゃん」ですから、おいしいイクラちゃんをその子として頂戴できるのはその時限り、その人限りです。
実はごはんもパンも元々お米であり、小麦の粒ですから毎日食べている美味しいパンもお命としては別物なのです。そういう意味では限りがあるものですね。
同じく、お口の中でおいしく沈むように溶けていくように、たらこも明太子もとびっこもシシャモも以下同文。ですが、実は永遠でもあります。
欅坂も宝塚もセンターの命は有限ともいえましょうが、その時その時を完全燃焼したということでは永遠です。大切なのは死んでも生き続けている歴史的な偉人がおられますように、人々に「忘れられないような」生き方、生き様、心理表現を残すことが実は大切だったりするのではないでしょうか。
なぜならお釈迦さまも80歳のご生涯でしたが、2500年以上もたった今でもその精神が生き続けています。多くの人たちをすくい、導き、善導しています。すばらしいことです。
素晴らしい音楽が多くの人を勇気づけて励ますように、そういうこころのエネルギーをあなたも人生の中で見つけて発すること。✨そうすれば今度はあなたが多くの人を活かし、励まし、勇気づけて、しあわせにして、笑顔にして、おいしい思いをさせたり、楽しい思いをさせたり、ほっとさせたり、賢くさせたり、立派にさせたり、仲良くさせられるようなエネルギーになるのです。

そういう素晴らしいエネルギー、チカラを仏教ではBDS(ボダイシン・菩提心)と申します。みんなが幸せになれる心の力を菩提心と言います。お釈迦さまがその心をおこして多くの人を救ってくれました。私もその力によって救われたので私もBDS46のメンバーの一人であり、ここのhasunohaのオボーサンもみんなメンバーです。そういう優しい心を持てばみんなみんなBDS46のメンバーです。
私はもう亡くなったおばあちゃんが私をよく励ましてくれました。その優しい心が永遠に私を励まして活かしてくれますので有限でありながら今も一緒にいますので永遠です。だからこそ、限りのある中で沢山の幸せアクションをあなたもアウトプットしてあげてください。きっと誰かがずっと笑顔に力になると思います。

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「死後の世界・死んだらどうなる」問答一覧

虫の知らせ

こんにちは、お世話になっております。 今回は私が過去に経験した不思議な体験について、お坊様方から見るとどのように感じるのか知りたく、投稿させていただきます。 1年ほど前の話となります。 私の家には父方の祖父母が買ってくれた、鮮やかな森の中を夫婦が寄り添って歩いている素敵な絵が飾ってあります。 ある日の夜、その絵が気になってみたところ、何となく男性が薄く見えました。 元よりほんの少し霊感のようなものがある私は、そのことを母に伝えようか迷ったのですが、気のせい。 気にし過ぎだと思ってその日は寝てしまいました。 ところが次の日、父に大事な話があると言われ聞いてみると、昨日の夜祖父が家で倒れ救急車で運ばれたとの事でした。 病院での検査の結果、祖父はガンにかかっていました。 前日の夜、夫婦の絵に違和感を感じたのは虫の知らせのようなものだったのでしょうか。 ちなみにその後祖父は約1年の闘病の末亡くなりました。 その間に一緒に散歩したり、旅行したりと沢山思い出を作ることが出来ました。 偶然と言われてしまえば、それまでではありますがこのような虫の知らせというものは、本当にあるのでしょうか。 よろしくお願いいたします。

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死について考えすぎる

昔から死や、明確でない死後の世界に対する恐怖心、不安感に襲われ日常生活でも情緒不安定な生活を度々してきました。 最近昔よりも少し大人になったためもっと複雑に考えてしまい苦しくなっています。 また私は小さな命を3度産む選択が出来なかった時があり 自分自身軽率な行動を取ってしまったために命を産むことが出来なかった。 その命は幸せに過ごして欲しい。 今一緒にいる3人の子ども達も幸せに過ごして欲しい。 死についての恐怖を抱いたまま大人になってほしくない。 でも私は死んだ後も地獄にいって苦しむかもしれない。 でも苦しいのや痛いのは嫌だ。と考えてしまいます。 今とても幸せなんだと感じながら生活しながらそれよりも死に対する恐怖心、不安感の方が強く楽しく日常生活を送ることが難しいです。 来世も人間になりたいと欲がありながら そんなことじゃ生まれ変われないかもしれないと思ってしまったりして 心が苦しいです。 この先死について考えることは無くならないと思いますが 今生きているこの瞬間をどうやったら恐怖心よりも楽しく幸せに過ごせるか、前向きに生きていくためにどうしたらいいか教えていただきたいです。

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