生きなきゃいけない理由は何
なんでもない瞬間に死んでしまいたいという思いが表面化します。衝動的なものではなく、心の底で常にそう思っているからだと思います。
何度か死のうと思いましたが、周りの人に迷惑がかかることを思い出し(祖父が自殺しています)思いとどまっています。
私には悩みを聴いてくれる彼氏も、困っていれば助けてくれる家族も、シェアハウスでいつも一緒にご飯を食べてくれる友達もいます。
こんなにも恵まれた環境なのに死にたいのです。
自分の為に生きられないなら誰かの為に生きようと思い、看護師になりましたがADHDという障害があるため不注意が多く私が関わることで患者が危険に晒される可能性が高いことを実感しました。
患者さんを目の前で見てきたので、自由に生きられる身である有り難みも多少わかっているつもりです。
彼氏は私に希死念慮があることを知っていますが、普通に接してくれる優しい人です。
しかし、彼の母親が自殺していることもあってそれで余計優しく接してくれているのだと思うと申し訳ない気持ちです。
他の人と付き合えば彼はもっと楽しい人生を歩めると思います。
まとまりの無い文章になってしまいましたが、要するに自分が生きている意味を見出せず、周りに迷惑をかけるくらいなら死んでしまった方がいいと思っているのだと思います。自分が生きたい理由もありませんし…
今わたしが死んでしまったら身内は多少悲しむと思いますが、その一瞬を悲しませないためだけに生きていかなければならないのでしょうか?
ふとした瞬間にもう消えてしまいたいと思ってしまいます。何度か死のうとしましたが、自分が死んだ後周りの人に迷惑がかかることを思い出し、実行には移せていません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
コロナ禍が落ち着くまで見届けて
仏教では輪廻転生を考えます。
輪廻転生があるなら、死んでもまた生まれ変わってしまいます。
完全に生への執着がなくなれば輪廻転生から解放され成仏できますが、そのように悟って成仏するためにはまだまだ修行が必要なのです。
つまり私達は、成仏したいのに成仏できず、死んでも死にきれない幽霊みたいなものです。
私達が前世で死ぬ瞬間にわずかでも生に対する執着が残っていて、私達自身が「やっぱりまだまだ生きたいな」と感じてしまったから、その願いが叶って再びこの世に生まれてきてしまったのです。
本当は生きる意味などないのですがそれを悟れず、死んでもまた生まれかわるからボーっと死んでも意味ないのですがそれも悟れず、生きながら悩み苦しみ、死んでも未練があり再誕してしまう。
結局、悟って煩悩を無くさない限り、苦しみの連続から卒業できないのではないでしょうか。
真理を悟るために、少しずつでも仏教を学んでみてください。
また、周りに迷惑をかけるくらいなら死んだ方が良いのかもしれませんが、死んだら死んだでやっぱり迷惑をかけます。
生きる意味などないのですが、死んでも意味がない。
どちらに転んでも意味がないなら、寿命が尽きるまで周囲の人のために奉仕してみませんか?
近い将来、身内の介護などが必要になれば、看護師としての知識が役立ちます。
少なくとも、あなたの脳みそに入っている知識には何百万円かの価値はあるのです。
せっかくインストールしたその知識を上手く使えたら意味はあります。
コロナワクチン接種などで各自治体では医療従事者の人手が必要です。
コロナ禍が落ち着くまで見届けていただけませんか?
全ては因縁次第
なぎさま
理由や意味や価値といったものは、一時的に、仮に因縁(原因や条件)により、ただあり得ているだけのものでしかなく、本来は、実体の無い「空」なるものであります。
もちろん、無いというわけではありません。
ただ、因縁次第であり得ているというところであります。
その因縁次第では、自分にとっての良いものになったり、悪いものになったりとするものであります。
今は自分にとっては悪いものであるかもしれませんが、その悪いとする何か実体的なものがあるのかと言えば、そのようなものは無く、また因縁次第で変わる、あるいは変えらるものでしかないということであります。
ではどのような因縁を調えていければ、取り組んでいけば、良い方へと向くのか。
そのヒントが仏教の実践に多くございます。
是非、仏教の実践に向かって頂ければ有り難いことでございます。
大乗仏教では、六波羅蜜としての六つのものが代表的にございます。
布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧となります。
具体的に少しの事からでもどのように実践して取り組んでいくべきか、ネットでもすぐに検索すればその内容も出てくるかと存じますし、またhasunohaでもお聴き頂いても構いません。
詳しくには、シャーンティーデーヴァ大師「入菩薩行論」が役立つところとなります。
「チベット仏教・菩薩行を生きる―精読・シャーンティデーヴァ『入菩薩行論』」(大法輪閣)
仏教の実践が、より善い因縁となりて、より善い結果へと向かうことができていくことになりますでしょう。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
お礼のコメントが遅くなってしまい申し訳ありません。
悩みの絶えない日々が続いていますが、なんとか今日も生きています。
ありがとうございました。