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トランスジェンダーにご利益があるかどうか

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『七観音経典集』という本を読んでいたところ、気になる部分がありましたので、ご質問させて頂きます。

『千手千眼観世音菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼経』には、「若しもろもろの女人、女の身を厭賤して男子の身と成らんを欲し、大悲心陀羅尼章句を誦持するに、若し女の身を転じて男子の身と成らざれば、われ誓いて正覚を成せず。」とありました。

『十一面観世音菩薩随願即得陀羅尼経』には、「若し女人ありて、女身を捨てんと願い、この呪を誦持すれば、女を転じて男と成り、所生の処は、常に佛前に在りて、蓮華に化生せん。」とありました。

これらの陀羅尼を誦持することで、トランスジェンダーにご利益があるでしょうか。
また、どちらもFtM(女性→男性)のことが書かれていますが、MtF(男性→女性)にも同じことが言えるでしょうか。

ご回答いただけますと幸いです。
よろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

抜苦与楽

こんにちは。

お経以前の基本的な部分ですが、経典の表題にある千手千眼観音菩薩は男性でしょうか、女性でしょうか。

あくまで、令和を生きる私の個人的な所感ですが、仏の世界は性差への執着がない世界だといただいています。
(執着あるなら覚ったとは成らない)

もし、生まれし時の身体的な男性・女性の性差で補えないものを異性に願うなら、成就するといういただき方も可能かなと思いました。

それは、男→女、女→男の区別があるならば悟れていない(区別はないよ)ことであり、人からトランスジェンダーを取ってもその方自身の尊厳は変わらないと私はいただいています。
(私は障害者から障害をとったら何も残らないでなく、人の尊前は変わらず残るという立場です)

あと、転じた先の利益というより、そもそも変成(へんじょう)の願いの元となったであろう心身の違和感や葛藤などのそもそもの苦しみの元を抜く利益を私は思い浮かべます。

仏教の教えのいただきかたは、地域や時代、修行僧の抱える悩みで変化します。

とはいえ、私たちが報われ、救われることを願ってのお経であることは変わらないです。

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hasunohaに出会えた私は幸せ者です。カニとおろし蕎麦と水ようかんが美味しい地方の町のお寺にいます。人混みは苦手、都会のイルミネーションやサイネージはまぶしすぎる。だけど、ここhasunohaでの対話があるから孤独じゃない。ありがとう。
社会福祉士、公認心理師として社会では働いてます。事業や組織を背負うと言えないこともあるけど、仏教を背負うと語る内容も変わります。悩みがなくても話してみたいときは相談ください

男女の性別を超えることがトランスジェンダーの功徳

禅門では不邪淫戒という戒があります。
これは男女の道ならざる愛欲を犯してはならないという意味でもありますが、仏法の深いところの意味ではそもそも男女と言う見解を起こしてはならないということです。
目はものを見るのに男性女性の区別はなくそのものを見ています。
耳は男性の声でも女性の声でもその通りに聞こえています。
鼻も香りをかぐのに男女の性別の差異はありません。
男性女性で好みはあるでしょうが、それでも「その通りの」香りを感じます。
味覚も同じラーメンを食べれば同じ味がするはずです。味覚に男女の差異はありません。
感覚もザラザラするものを触ればザラザラします。男性でも女性でも猫の舌を触ればザラザラします。(笑)😼👅✋💦
心はそのものを隔てる、区別する、分類する、分ける働きがありますから、差異は差異として違うものは違うものとただ認識します。事実は事実。名称や区分け、分類、分別は後から識するものです。
ところが仏法とは見解以前の世界。
私も尼さんと師家会研修会でご一緒させていただいて一緒にお話しましたが、わかった者同士がお話する際には男女ということがありません。忘れているのです。ここでいう忘れているというのは見が立たないと言う事。
お祭りや運動会、ゲームなどで男女の隔てを忘れているような体験は誰にでもあるでしょう。とやかく男女を言う人もいるでしょうが、そういう人でも男女を忘れて意思疎通が行なわれている事実は知られるべきです。そういう所に目を向けていただきますと、そもそもおおよそ人は男女の隔ての意識を「立てるまでは」男女とかLGBT,トランスジェンダーということも本当は忘れている。知らずに忘れて生活していることがほとんどだったりするものです。
その自分が何者であるかも「不識」なる様子が達磨さんが説かれた仏法の様子です。知ることを用いず。識することを用いず。見解を立てることしない。思慮分別意識や、認識分別を主流とさせないところ。
左を向いてあるものをじっと眺めてみてください。
その時にあなたには男女やトランスジェンダーという事さえはなれてそのものがただその通りに映されて性別を解脱・忘却・脱落・透過しているのです。
それが性別を超えた仏法の様子。観音の功徳。観自在の功徳です。
かの観音の力を念ずれば、男女も、自他も、是非善悪をも解脱した真実の自己を見出すことができるのです。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

陀羅尼の利益

ぽぽさま

陀羅尼の利益の効果の目的としては、仏道精進のためというところがあります。

宝篋印陀羅尼を読誦しても大丈夫ですか?
https://hasunoha.jp/questions/49614

仏道精進へと向けて、どのように陀羅尼のお加持のお力を頂戴していくべきであるのかが大切なことになります。

また、陀羅尼の効能についての解説は、後代の後付けになっているものがほとんどで、現世利益を強調する面(関心を引き付けるために)が強くなってしまっていますが、本来は、仏道精進が前提としてあって、それを勇気づける役割を担うものとなります。

しっかりと仏道に取り組む中で陀羅尼のお力も頂戴して参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

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最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。 https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k

来世で、子孫を作らない体に

以前読んだアルボムッレ・スマナサーラ長老(テーラワーダ仏教)の説に「仏教の定義では、女性というのは「子孫、次の世代をつくれる生命体」のことです。」とありました。
交尾なしで単体で子孫を作る生物も「女性」ですね。
この定義を適用するなら、女性でなくなることは、子孫に執着せずに仏道修行に専念しやすい環境になると捉えられるかもしれません。
あと、「蓮華に化生」とは、親や卵から生まれるのではなく蓮華から魔法みたいに出現することです。
極楽浄土に往生する場合は皆この生まれ方だと経典にあります。
つまりは、来世で蓮華から生まれ出て、
そのときは女性ではなくなっている(子孫に執着せず自由気ままに出家修行できる)という意味ではないでしょうか。
あくまで私の個人的な解釈です。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ