どうすれば幸せになるか?
以前質問したときに気になる回答がありました。幸福も不幸も因縁次第であり幸せになる縁を作ることで幸せになれるみたいな回答がありました。
ではどんな原因を作れば幸せになれるのか?
人生に絶望しています。
何故幸せになるのはこんなに難しいのか?
とても自分には無理です。だれかに助けてもらわないと
死んだ方がいいと思いながら死ぬふんぎりがつきません。
死のうか迷いながら苦しい思いをし続けて生きて結局死ぬなら今勇気を出して自分の命を絶つ方が賢いのでは?
とても自分で自分を幸せにすることができそうにありません。誰かに助けて欲しいです。辛いです。
苦しみに耐えられそうにありません。どうすれば幸せになれるのですか?苦しいのに生きる意味はあるのか?苦しみに耐えていればいづれ幸せになれるのか?
私の人生って一体なんのためにあるんだろうか?と思うぐらい楽しくなく世の中に何も残しません私が死んでも誰もなんとも思ってくれません。
生きる理由がない。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
3秒あれば幸せになれる。心身はゲーム機。
遠い将来に幸せを求めるのではなく、今すぐに幸せになりましょう。
今すぐが難しくても、3秒後ぐらいには幸せになれます。
たとえば、浄土宗の信徒は南無阿弥陀仏と念仏を口で称(とな)えるだけで幸せな気分になれます。
手に届く範囲の中に幸せはあります。
先日私は町内会の用事で、コンビニのコピー機で書類を大量に印刷する必要がありました。
印刷を待つ時間は退屈ですよね。
でも、その時間に頭の中で念仏したり瞑想したりできると思った途端、退屈な待ち時間ではなくゴールデンタイムに成りました。
仏教徒はそんな風に幸せをみつけるテクニックを持っています。
あなたの心と身体、それが最高のゲーム機だと気付いたら、人生はいつでもどこでもゲームで遊べる世界になります。
ゲームとは、仏教の修行のことです。
仏教の修行は苦行ではありません。
仏教の修行は適度な緊張やスリルもある、集中力や智慧を試されるゲームです。
不謹慎に聞こえるかもしれませんが、お坊さんは、悲しいお葬式の最中でもお経に集中すれば幸福感を味わえます。
危険なドラッグを使っているわけではないので、副作用はありません。
ちょっと仏教を学んでみてください。
シャーンティーデーヴァ大師「入菩薩行論」
micuenさま
前回の拙回答を気にお留め下さいまして誠にありがとうございます。
生きる意味や価値といったものは、誠に縁次第、「縁起」なるもの、しかし、実体としてあるものではない「空」でもあります。
意味や価値は全く無いわけではないけれど、実体的にこうであると決まって、要は、悪いモノ、善いモノとして決まってあるわけではないというところとなります。
ですから、縁次第で変わりゆく無常なるもので、いつまでも悪いモノとしてある、いつまでも善いモノとしてあるわけでもないのであります。
つまり、「中道」的に捉えていくことを一つの目的とする考え方でもあります。
そして、その「中道」的に見つつも、より善き結果、仏教では悟り・涅槃へと向けた因縁のあり方について釈尊がお説きしめされているところであり、仏教で考えるところである真の幸せ、真の楽へと至るその道の実践を進めることが求められるものとなって参ります。
その因縁の代表格としてまとめられているのが、例えば六波羅蜜の実践であります。
布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧となります。
もし詳しく、その内容を学ばれたいとなりましたら、シャーンティーデーヴァ大師の「入菩薩行論」が参考となりますでしょう。
邦訳の本もございますが、ダライ・ラマ法王様のご法話からその概論を知ることもできますので、ご参考下さいませ。
https://www.youtube.com/watch?v=k5i9l5qyNd0&t=4016s
https://www.youtube.com/watch?v=qf-ZFKQl100&t=14s
https://www.youtube.com/watch?v=wRDKSpNFUiQ&t=11s
https://www.youtube.com/watch?v=Zbfyw7vJ0G8&t=1767s
https://www.youtube.com/watch?v=0DU3T9oNPhA&t=42s
https://www.youtube.com/watch?v=m1Ix5uDIRyQ&t=9s
https://www.youtube.com/watch?v=nIC1GUfk6kw
https://www.youtube.com/watch?v=4q14BDqcddQ&t=73s
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
私なんかを気にかけてくださってありがとうございます。
一瞬何かをして苦しみを紛らわせたり中道的に考えたりしても誰も愛さず誰からも愛されない人生は死んだほうがマシだと思えるほど辛いです。
食べるもの着るもの住む場所を得るために必死になって他人に踏みにじられながらやりたくもない意味も感じられないことをやって生きて最後は年老いて病気になって死ぬ人生も嫌です。
自由に幸福に愛されて生きたいです。