正論が必ずしも正しいのか
"正論"は正しいと思います。
ただそれが何時でもどこでも正しいと私には思えません。確かにそれは正しくはあるけれどもそれはすれ違いざまに心を刺してるように聞こえたりします。それが私に当てはまって図星だから、認めたくないから、というのがあるのもわかっています。ただ人にはそれぞれバックボーンがあり正論が必ずしも正しいと思えないのも事実です。言われて「だって」「でも」って言おうとして全部飲み込みます。だって言ってることは正論だから。受け止めきれない、正論だけど正しいと私にはどうしても思えない。
私はおかしいでしょうか。ズレてるのでしょうか。子供なのでしょうか。
具体例を書けずにすみません。伝わらないかもしれません。すみません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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正義の暴力
人間正論だけでは生きていけませんよ。理屈では正しそうだけど、それは人を苦しめる暴力にもなりうることもあります。
例えば仕事。残業して休日もサービス残業丁寧な仕事でお客さんに喜んでもらえたとします。
一見良さそうですが、体はズタボロ家族からも不満を言われ家庭内は雰囲気最悪だったらどうですか。そこに上司から、身を粉にして働くように言われたとしたらもう暴力でしかないでしょ。
世の中の正義は角度を変えるとちょっとおそろしい側面があります。ワガママ、パワハラに感じることも。
うまいことかわして、違う角度から正論らしいことで意見を言えるようにしておくと良いと思います。
正しさに酔う。
結局は勝負。負けるに不思議なし。
見る角度や立場によって正論は変わります。
結局はパワーバランス、つまりは弱肉強食です。
単に強い者が勝つというだけでなく、交渉上手が勝つとか、子供の可愛さに負けて新しいゲーム機を買わされちゃったとかも含みます。
ですから、人間同士の場合は知恵比べに勝つしかないのです。
人類が滅んだ方が地球のためには正義かもしれませんが、それでも人は生きる権利を主張します。
どちらも正しい場合は、強い者や運の良い者が生きのびるのです。
「勝つに不思議の勝ちあり、負けるに不思議の負けなし」と言った野球の監督がいましたが、どんな正論を持っていても、負けるときには負ける理由があるのではないでしょうか。
たとえば職場での話なら、主張したいことを主張できる立場になるために、まずは仕事を頑張るしかないのです。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
お坊さんによって質問の捉え方が違うなぁと思ってそれがすごくありがたいです。
ありがとうございました。