自殺しそうで怖いです。
大学3年生です。
最近、乗る予定の電車がホームに到着すると「今飛び込んだら死ねるな、私が死んだらみんな心配してくれるかな」と考えるようになってしまいました。
それまで音楽を聴いたりスマホのアプリゲームやTwitterやインスタをしたりしていても、ふとそう考えてしまいます。
いつか本当に飛び込んでしまいそうで怖いです。
これから友達と遊びに行く約束や楽しみにしている予定がたくさんあるのに、死にたい、消えてしまいたいと考えて夜は涙が止まらなくなります。朝起きると、夜のような暗い気持ちはほとんど無くなります。
まだ死にたくないですが、死にたいです。
どうしたらいいのかわかりません。
明日も大学へ行くのに電車を使います。
明日こそ本当にホームに飛び込んでしまいそうで怖いです。
大学やアルバイト先は電車を使わないと行けない距離にあるので、電車を使わないようにすることは難しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
楽になる方法はありますよ。
その死にたい。の本音は「生きたい」「幸せになりたい」「苦しみから逃れたい」です。ネガティブなときはそんなこと考えちゃいますよね。分かります。
どうやったら救われるかそれを考え追究していくと、やはり禅にたどり着きます。
物事の本質に向き合いその真理にきづくこと。そして楽になってきたら、そのよいことをみんなに広めることです。悟りを開かなくても、分かってくると確実に楽にはなります。
私も楽になりました。
気になる方は直接ご連絡ください。もしくはFacebookなどのぞいてみてください。
心療内科に受診も考えてください
お辛い気持ちを書いてくださりありがとうございます。
風邪をひいたり、発熱した時には、お休みして風邪薬を飲んだり、生姜湯を飲んだりして、回復を待ちますよね。
心も風邪をひくように、調子を崩す時があります。
文章を拝見していて、これは気持ちや考え方で治すには、なかなか手強いのではないかと感じました。
心療内科などに受診して、しっかりと対策をされた方が良いように思います。
精神論や、まだ信じてもいないご神仏を頼りにしても、解決にはならないかも知れません。
歯が凄く痛い時に、歯ブラシの講習を受けても頭に入りません。
まず、その辛さを一旦取り除くために病院を受診された方が良いと思います。
今は心療内科はポピュラーな診療科目です。
まずは、
早めのご受診をお勧めします。
合掌
大丈夫ですよ
拝読させて頂きました。あなたのお気持ちとてもよくわかります。あなたがそう思うこと、その思いが頭から離れないと思っておられることでしょう。あなたのお気持ちを心よりお察しします。
生きている中ではそう思うことは実はよくあるものです。私達が生きていること自体が本来なら奇跡的なことでもあります。そういう中で生きること、死ぬことは実はいつも目の前にある中で私達は毎日を生きているのです。
おそらく電車を見ることやホームに行くことさえも今のあなたにはとても過酷なことかとも思います。できればあなたの心を今休めて頂きたいと思います。
学校もバイトもあるかもしれませんけども少し心の緊張をゆるめてみてはいかがでしょうか?いずれ行かなければならないとも思うかもしれませんけどもそれほど急いで行くこともないのです。
あなたもお分かりかとは思いますが人生はこれから長いのです。今生き急ぐことはありません。
ゆっくりと深呼吸なさり呼吸を整えてみて下さいね。そしてあなたの心の中の緊張をゆるめてゆとりを作ってみて下さいね。
いずれあなたの心は穏やかになるでしょう、そしていずれ安心して電車に乗ることも学校に通うこともバイトで働くことも抵抗なくできるようになりますからね。
あなたの心が穏やかになりますように、あなたが充実して学んでいかれバイトも適度にお向き合いなさっていかれますようにと心よりお祈りしますね。
恵まれて幸せなのに自殺願望への処方箋
よつばさま
最近、まっいいかな、これぐらいでよいかな、このへんで終わらせとこかな・・と、一見、恵まれているにも関わらず(逆に恵まれていて幸せだと思っているうちに終わらせたい)、そんな感じの自殺願望がここのところ多いように思います。
もちろん、生きることがしんどくてつらい、苦しいのは誰も同じなのですが、これ以上、しんどくなりたくない、つらくなりたくない、苦しくなりたくないということもどこか絡んでいるようにも思えます。
しかし、気休めに、これからきっといいことがあるよ、もっと幸せになれるよ、などとかも、そう安易には言えないですし、まず信じてももらえないでしょう。また、誰も保証できないことでもありますから。
では、仏教的にはどう答えるのかとなりますが、
やはり、業(カルマ)と輪廻について理解していただかなければならないところとなります。
今の生を安易に終えたとしても、(過去世から、もちろん今世の)業(カルマ)によって、次の行き先、生まれ先が決まることになるため、当然にその業(カルマ)の状態次第では、また人として同じように苦しみ続けることになってしまう、もしくは、人よりも悪い境涯に生まれてしまいより苦しんでしまうことも。もちろん、人より善い境涯、天や浄土に生まれられる場合もありますが、そのためには、それなりの業(カルマ)の善い状態が必要なものとなります。
ですから、仏教では、できるだけ善い境涯へと向かえるようにとして、この生もできる限り有効に活かして、できれば、確かなる仏道を歩み、業(カルマ)を清らかに調える、智慧と福徳の資糧を積むということが求められるところとなるのであります。
是非、仏教についてこの機会から学ばれて頂けましたらと存じます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
皆様ありがとうございました。
まずは心を休ませてみようと思います。