自分が嫌いなままではダメなのか
私は自分のことが嫌いです。
世の中から自分の嫌いなものを消せるとしたら?という質問に対し真っ先に自分と答えるぐらいには嫌いです。
だいたい自分が嫌いだと言うと小さくても自分のことを好きになっていいねと言われます。嫌いを好きにするなんて簡単にできることではないと私は思います。せいぜい受け入れるがいいところです。嫌いなままで、自分が自分のことを嫌いだというだけです。もしかしたらそういう態度が表に出てるのかもしれませんが他人に迷惑がかかるのでしょうか。私は迷惑がかかるくらいなら死んだ方がマシですしそれなら消えたいと思うのです。好きにならなければいけない理由でもあるのでしょうか。倫理的に好きであらねばならないのでしょうか。このままじゃダメなのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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好きでも嫌いでもない。それが一番自由。
そんなことないのではないですか。
少なくとも私は好きでも嫌いでもないです。
自分が好きってちょっと極端な話ですよね。嫌いと同じぐらいに極端。
理想を持ちすぎて人と比較して嫌いになるか。
理想が低くて、誰よりも優れてると思えて好きになるか。
どちらも幸せにはなれなさそうです。
大切にことは人と比較しないこと。理想を持ちすぎないことです。
人は生まれながらに完璧です。障害があったとしても、それはそれで完璧なのです。
比較すると不足しているように感じるというだけです。
修行において、悟りたいと願い、悟りを崇高なものとして、崇めてしまうとたどり着けなくなるのと同じです。もうできている十分だというところから話が始まっているのです。
私も自信がなくなることがあります。それは人目を気にしたり、人と比較した時におきます。しかし、一旦自分自身の有りように目を向けると、何不足ないのです。目を開ければものが見え、音があれば音が響き、ものに触れれば感じることができる、下の上にものを乗せれば味もする。これ以上ない機能が備わる体があります。そして事実をありのままに受け取る力もあります。
好きじゃなくてもいい。ただ不足がないという事実も知ってほしいと願います。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
好きじゃなくていいという言葉にホっとしました。ありがとうございます。