どうしたら自分を肯定できるでしょうか?
30代半ば独身、非正規雇用で働いています。
人よりできないことが多く、
いい歳の割に成熟していないので実年齢を知られると驚かれることが多いです。
30過ぎて好きな仕事に転職し、
なんとか続けてはいますがいつまで経っても周りから「このままでいいの?」「将来どうするの?」と言われます。
私としては自分一人が自立して生きていける職を得ただけでよくやった方じゃないのと思っていたのですが、
一般的にはそれは最低限のことで、
家庭を持ったり一人身でも正規雇用であるのが普通のようです。
私は今まで本気で人を好きになったことがなく、また子供が嫌いなので結婚したいと思ったことが一度もありません。
(ただそれは負け惜しみのように思われるので人には言いません。)
生活も仕事も何一つ、自分を肯定できる(される)要素が私にはありません。
どうしたら人は自分のことを自分はこれでよいと思えるのでしょうか?
「普通の人」になれない私はどうやったら自分を肯定することができるんでしょうか?
ずっと悩んでいて疲れてしまいました。
非正規雇用なので契約で転職しなくてはいけないということもあり、それも面倒なので自死を考えていますが、後処理を遠方の家族にさせると思うと気後れして実行できません。
ただもう少しで死ぬからと思うとなんとか日々持ち堪えられている感じです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分が愛おしいと思っていいのです
ねこ 様 相談ありがとうございます。
まずは、自分を責めない・自分を悪く思わない、ということを心掛けてください。
あなたが持つ劣等感は、あなたのせいではありませんね。
生まれてきた家庭、家族関係は選んだわけではないし、普通じゃないと思ってしまったその幼少期から成長期にかけても、あなたが自分がそうなろうと思ってなったわけではありませんね。むしろ自分を守るためとか、自分を安心させるために、普通じゃないということをいつの間にか学んでいったのです。人間の脳は、自然と学ぶのです、自分はその状況でいかに安全でいられるかということを。
ですので、あなたは悪くないということです。
なので、「自分一人が自立して生きていける職を得た」という考え方は、とても正しいと思います。これは自己肯定の言葉ですね。
そして、この自己肯定の言葉を他人と比較することはありませんし、他人に言われたことを気にする必要はありません。
自立して生きている職を得ていることに誇りを持ってください。その誇りを育てることをしていきましょう。それには、自分を責めないで、こんどは、自分に思いやりや、優しさ、寛容さを向けていきましょう。あなたは誰かに優しくしたことがあるでしょう、小さなことでいいのです。高齢者に席を譲ったとか、通りすがりに他人に道を譲ったなど、その時の気持ちを思いだして、その気持ちを自分に向けてみましょう。あるいは映画やテレビで優しさに溢れたようなシーンを見て感動したことがあるでしょう。その時の気持ちや心の温かさを、自分に向けてみたらどんな気持ちがしますか?優しさや、あたたかさが、今度はあなたを支えてくれる力になっていきますよ。普通とか普通じゃないを超えて、自分が自分でいいとだんだん思えてくると思います。自分が愛おしいと思っていいのです。
一礼
仏様はあなたを慈しんでくれる
仏教では、自分という存在は概念上の幻だと考えます。
瞬間瞬間ごとに細胞も心も変化しており、瞬間ごとに新しい生き物、違う生き物なのですから、「自分」なんて本当は無いのです。
とは言っても、あなたのように自分の価値を気にしてしまうのは、私たちにプライドの煩悩があるからです。
煩悩は悩み苦しみの原因だから無い方が良いのですが、気にしてしまうのは仕方ありませんね。
その場合は、仏様に肯定してもらいましょう。
お経に書かれているお話によると、阿弥陀仏という仏様は、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と念仏を称(とな)えて救いを求める人がいたら必ずその人を極楽浄土に迎えてくださるそうです。
仏様はあなたの存在を肯定し、あなたを極楽へ迎えてくれます。
あなたが阿弥陀仏を拝むとき、阿弥陀仏はそれを見ています。
あなたが阿弥陀仏を想うとき、阿弥陀仏もあなたを想ってくださいます。
大丈夫、あるがまま、おたがいさま。
仏様に比べれば、人間なんかどんぐりの背比べ。
愚かな私たちを、仏様の慈悲の光は包んでくれます。
なむあみだぶ
なむあみだぶ
なむあみだぶ
なむあみだぶ
と、一定リズムで口ずさんでください。
質問者からのお礼
お礼が遅くなり申し訳ございません。お二人からのお言葉、お守りのようにして過ごしていました。
暖かいお言葉ありがとうございました。