どうしたらよいのでしょう
一年前彼がすい臓がんと診断されました。肝臓への転移もあり手術も不可能、おおきな血管をまきこんでいるためです。以来抗がん剤での治療をしています。 自分がいなくなると私が一人になってしまうから、がんばるのだそうです。
いずれ結婚するのだから、その時は、彼を見送り、残された認知しょう気味の義母になるひとを見届けるものと思っていました。
でも、彼の病気がわかった時、まったく想像してなかった現実を知らされました。
1:私と出会ったとき(19年前)離婚届にサイン済み、別居している妻とりこんできてなかったこと
2:私の他にお嫁さん候補が複数いること
です。
2:については近く決着がつきそうですが、問題は1。彼は離婚はしないと決めたようです。なのに私にも最期までそばにいてほしいとも。
私さえ我慢していれば、いつか好転すると思っていました。
自分さえよければよいと思えたらよいのですが、どうやらそうもいきません。
一人で考えていても出口が見つからないのです。
お知恵をお借りできたらとおもいます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「私さえ我慢していれば、いつか好転する」というのは勘違い
タイトルを打ち込もうとしている最中に、回答の無い状態で「回答」となってしまいました。申しわけございません。
お坊さんとしての回答と言えるかどうか、自信ありませんが、ご質問を読んで思ったことを述べさせていただきます。
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彼は離婚はしないと決めたようです。なのに私にも最期までそばにいてほしいとも。
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私があなたの立場なら、「ふざけんじゃない。人を馬鹿にするのも、いい加減にしろ。自分で蒔いた種は、自分で処理して下さい。」と言って、別れを告げるでしょう。
きつい言葉に聞こえるかもしれませんが、「私さえ我慢していれば、いつか好転する」なんて言うのは、あなたの勝手な思い込みです。残念ながら、あなたが彼のことを心から思っていたほどには、彼はあなたのことを心から思ってはくれなかったとしか思えません。ましてや「ほかにもお嫁さん候補が」と聞けば。あなたへの本気度自体が疑われます。
「私さえ我慢していれば、いつか好転する」というのは、あなたの自己陶酔に過ぎません。彼があなたの自己陶酔を都合よく利用しているようにしか思えません。「我慢して時間が経過して周囲の状況が変化して、事態が好転する。」ということはあるかもしれません。しかし、時間が経過しても、相手の気持ちが動かない場合も有ります。彼は離婚・結婚を保留し放置したまま、自分が癌と言う病気に罹るという事態に陥りました。その結果、「母親の老後の不安」「多くの婚約者(?)への不義理」という事態を招きました。彼の場合は、自業自得というしかありません。
ののさんの場合は、「私さえ我慢していれば、いつか好転する」という勘違いが、今回の事態を招いたと思います。不快な表現かもしれませんが、これが現実だと思います。
「自分さえよければよいと思えたらよいのですが、どうやらそうもいきません。 」
お人よしは、ほどほどにしましょう。看病してあげたいなら、別に「やめろ。」とは申しません。しかし、彼と結婚している訳でも無い、あなたが、彼のお母様の事まで心配しなくても良いと思います。あなたには、あなたの人生があります。丁度、切り替えのタイミングと受け止めて、これからの自分の人生を考えていきましょう。
悩み苦しみの原因は煩悩
「一人で考えていても出口がみつからない」と言われていますが、質問内容からは、求めている「出口」がいまひとつわかりません。
漠然と、不幸なことが続く「不運」から抜け出したい、という意図でしょうか?
それとも、質問内容にある具体的な状態(彼との交際)について、続けるかやめるか決めかねていて、決めるヒントが欲しい、という意図でしょうか?
いずれにしても、悩み苦しみの原因は自分自身の煩悩なのです。
欲・怒り・怠け・プライドなどの煩悩に注意する必要があります。
また一方で、誰にでも煩悩があるのが普通です。
仏様の慈悲は、煩悩まみれの私達を見捨てません。
たとえば阿弥陀仏という仏様は、誰でも南無阿弥陀仏ととなえて極楽浄土に生まれ変わりたいと願うなら、必ず臨終時に迎えに来てくださると言われています。
生き物には苦しみが必ずありますが、どんな苦しみもいつか終わりは来ます。
苦しみの形が変わっていくからです。
私達が南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と仏様の名前をとなえれば、仏様は必ずそれを聞いている、
私達が阿弥陀仏のことを想えば、仏様も私達を想っている、とも言い伝えられています。
南無阿弥陀仏。合掌。
質問者からのお礼
回答いただきありがとうございます。やはり私などにかけていただける言葉はないと受け取りました。
吉田様
言葉をいただきありがとうがざいます。私は彼にまで馬鹿にされていたのですね。私にとって日常のことです。できるだけ体を小さくして、できるだけ狭い所に逃げ込み、ただ耐えていれば、傷もきえていきました。同じことをしてもだめなのですね。
願誉浄史さま
出口を具体的にしていただきありがとうございます。自分を不幸とか、不運と、思ってなかったので、決めるヒントなのだと思います。
自分が感情を持った人なのだと、感情を持ってもよいのだと言われた気がしました。