hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

人生に絶望しました。

回答数回答 2
有り難し有り難し 13

はじめまして。このようなプラットフォームがある事に大変感謝しています。

私の質問は絶望から這い上がる方法についてです。
今人生に絶望し、生きる意味を失っています。
絶望に至る経緯は、恥ずかしながら私の怠惰によるものです。今年29歳になるにも関わらず、何のスキルも積まずに20代を無駄にしてしまいました。高い学費を払って留学したのにも関わらず、未だ奨学金も返済できていません。
奨学金があるのに、散財してしまい貯金もあまりありません。
無計画で人生を生きてしまい、激しく後悔しています。
ここで死を考えることは甘いと思いますが、毎日命を経つことばかり考えてしまいます。
これから希望を持って生き抜く為のヒントをご教授頂けましたら幸甚です。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

借金が人を苦しめるのではなく、借金苦が人を苦しめる。

(*´👄`*)タイトルの意味が分かるまで何度も読んでみてください。
知り合いに10億の借金を返済した社長さんがいます。
そういうどん底から這い上がった系の人たちの意見に耳を傾けると希望的になれるでしょう。
私はお寺の住職とは名ばかりで。当初は宿無し、寺なし、ラララ♪青空寺院の住職でした。今も収入はさほどありません。お悩み電話も毎日かかってきますがお礼を送ってくださる方はマレーシアです。お寺は儲かっていると思われますが、それも一部のお寺だけ。場所がいいとか、駅から近いとか、そういうところだけです。
20代で安穏寺というお寺を任されましたが、そこは竹林しかない。お堂もない、仏像もない、ハぁ~、木魚もない、電話もない、おらこんな寺嫌だーIKUZO的な世界でした。
周りの裕福なお寺の方々がうらやましいと思うことや卑屈に感じることシバシバでした。今振り返りますと、そうして悲観的な思いをシバシバ思う、そのたびに自分の中で卑屈な気持ちが沸いて、それが毒汁となってダメージを受けていたものと思われます。ここ大事です。
その後お寺のお堂を建立していただいたのですが、お檀家さんも墓地もないお寺ですので借金を返済するにも一体何年かかるのやら?といつも不安に思うことシバシバ。それを気にすればそれはそれで心理的な不安ダメージ、バシバシ。
人を苦しめるのは借金という事実や今お金がニャイ🐈という事実のほうではないのです。
金がないと一分思えば一分のダメージ。
この先暗いと一分暗い思いをすれば一分のダメージ。

外食で1000円もする高いラーメンを買うよりも私は家でスーパーのラーメンを買って自分の好きな味にした方が幸せになれる確率8:2ぐらいの割合です。
だからと言って1000円払ってラーメンを食べるのであれば高いなぁ、まずいなァ、もったいことしたなぁと思えばお金払って自分の心を悩ませているなんてばかばかしいものです。
今日、昨日、今まであなたもそういうことに時間をかけてしまっていたなァということがあれば、その時間をもっと有意義なことに使うべきです。
明日死ぬ、明日死ぬんじゃないか、と今日を不安に思えば死のうが死ぬまいが、それでも限りある命の残された時間をどぶに捨てているようなものなのです。
奨学金返済が人を苦しめるのではない。
不運な境遇があなたを苦しめるのではないのです!( ^)👄(^ )

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

あなたをお待ちしています

拝読させて頂きました。
あなたが人生に絶望してしまっていることを読ませて頂きました。今まで生きてきたことへの後悔の念にさいなまれておられるのですね。詳細なあなたの思いはわからないですが、あなたのお気持ちを心よりお察しします。

あなたがどのように生きてきたのか詳細には私にはわからないです。宜しければあなたの今までの生き様を可能な範囲で教えて頂けないでしょうか?どうかご無理のない範囲でおっしゃって下さいね。そして特にあなたが無計画で生きてきたとおっしゃっておられることについてあなたなりの見解や反省や思いをお聞かせ下さいね。

散在してしまったと書かれていますが、今の段階ではあなたの人生は決して無計画でも無駄でもなかったと思いますし、あなたの人生はとても充実していらしたのではないかな?とも思います。

またあなたの人生はこれから一層広がっていきます、あなたにはこれから様々な出会いが待ってますからね。どうかあまり卑下なさらずにあなたの未来にお向き合いなさって頂きたいなと思っています。

宜しければあなたの思いを教えて下さいね。あなたを心からお待ちしています。

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ