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心が強いと言われる事への違和感について

回答数回答 2
有り難し有り難し 18

初めて質問をさせて頂きます。

私は過去の愚行により、悩み苦しむ時期を過ごしていた事があります。
ですがその時期があったお陰で今は過去の自分を許し、昔より人の気持ちに寄り添える事が出来るようになったと思います。

色々な考え、相手の経験や性格をまずは受け入れようというスタンスで生きています。
ですがひとつ、まだ克服出来ない事があります。

今の私は近しい人や職場の人に、根気強い、メンタルが強いと言って頂ける事があります。 
確かに自分でも、まだまだ未熟ではありますが、過去の自分より逞しくなれたとは思います。

ですがそういう話題になった時に、『あなたは強くていいよね』とか『私はあなたみたいに強くなれない』と言われる事もまれにあり、モヤモヤしてしまいます。

そもそも未だに自分の弱さや他者に対する憤りも覚えます。
その時に自分を律する為に、負の感情が強くなったら仏教の教えを読み心を整えるようにしています。

その為上記のような言葉を聞くと、最初から強い訳じゃないのにと思ったり、自分次第で変われるのになぁと感じてしまうのです。

人それぞれ、と思うようにはしていますがそれでも少し心に引っ掛かってしまいます。

こんな私ですが、自身があらたに成長する為に必要な事をご教授頂きたいです。

長文をお読み頂き、有り難う御座いました。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人がどう思っているかは問題ではない

他人にあなたの心が強いと思われても、なんの問題もないですよね。何か影響される必要は無いと思います。
あなたが心穏やかに生きていければそれで良いのですから、強いと思われようが弱いと思われようが関係ないわけです。

あなたが、楽になれたのは大変喜ばしい事ですが、それを人に強要はできないですから、踏み込みすぎるのも良くないですね。

肩の力を抜いて、思考を働かせすぎず、心は禅定で過ごすのです。時に怒りに振り回されそうになることもあるでしょう。
そんな時はその感情をにぎらず、そっと静かに置いておく、そのうち火は消えますから。
下手に声を出すと、変な方向に燃え広がることがあります。お気をつけください。

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有り難し
おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す...
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ずっと見守っていてくれる存在

拝読させて頂きました。
きっとそのようなあなたのことを仏様もご先祖様方もいつも優しく見守っていてくださいますよ。あなたは様々な方々から支えられ恵まれながら生きています。
私達は独りではとても弱く儚い存在です。
でも決して独りではありませんからね。
どうかこれからもずっと自信持って下さいね。あなたにはいつも見守り続けて下さる方々がついていらっしゃるのですからね。
あなたを心より応援してますね。またぜひあなたのお気持ちお聞かせ下さいね。あなたの言葉で勇気を頂く方々も必ずいらっしゃるのですから。

お返事ありがとうございます。
ご質問ありがとうございます。そうですね、仏教というか私達にはあまたのご先祖様方がいますよね。親は二人ですけれどもそこから遡っていくとあっという間に何十万人のご先祖様方がいることになり約三十代遡っていくと十億人ものご先祖様方になります。そしてそこからまた遡りますと遥か今の人類の数を超えるほどになります。つまりは一見私達は他人同士のようなふりをしてますけれども、人類誰しもがつながっていますし、同じご先祖様方なのです。ですから何の分け隔てもなく平等であることがわかるのです。そう考えるとものごとや人との関係も変わって見えてきませんか?
おおざっぱかもしれませんけれどもあなたも私も親戚同士なのです。いかがでしょうか?そして私達のご先祖様方が私達をいつも影ひなたとなり見守っています。

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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

邦元 様

ご回答頂き有り難う座います。

確かに心穏やかに過ごせていますので、どう思われているかは関係ないですね!

スポーツや勉強、仕事もそうですが努力があった背景を想像せずに、結果のみ見られている気がするのが悲しかったのかなと思います。

ただそれすらも、今自身が心穏やかに過ごせているから、何と言われても関係ないんだというヒントを頂いた気がします。

人に強要出来ないのは重々承知なのですが、特に大切な人が苦しんでると、ついこうしたら楽になるのになぁと思ってしまいます。

ですが自分からは踏み込まず、でも大切な人が私を頼ってきてくれた時は支えになれるよう、常々戒めを忘れないよう努めていきたいと思いました。

禅定の意味を調べたら、心を整えていく事と書いてありました。
私が負の感情が強くなった時に教えを読み返すのは、禅定という事になるのでしょうか。

それが禅定に当てはまるなら、今後とも弱い自分や揺らぐ自分を律する為に、より大切な習慣にしていこうと思います。

頂いたお言葉により、目から鱗と言いますか、とても腑に落ちました。

また自身が人の心を乱さないよう、傲慢にならず、でも大切な人を支えられるようなしなやかな人間になりたいと目標を持つ事が出来ました。

今後気持ちが揺れてしまう時は、いつも読んでる教えの本と共に、頂いたお言葉も何度も読もうと思います。

ご教授くださり、有り難う御座いました!

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Kousyo Kuuyo Azuma 様

ご回答有り難う御座います。

そうですね、心身ともにもうダメだと思った時、何度沢山の人に支えられた事か。
傷つけるのは人間だけど、助けてくれるのも人間だと実感してます。

自分で出来る事は少ないですが、それでも私は誰かの為、社会の為に奮起出来るようになりたいです。

一点質問があります。
私は父含め父方の親族と折り合いが良くなく、正直ご先祖様への気持ちは薄いと思っています。 
現に祖母が亡くなった時に悲しみが湧かなく、人が亡くなる時にこそその人への気持ちや関係性が浮き彫りになるなと思いました。

頂いたお言葉にご先祖様の事が書かれていたので、せっかくの機会ですので改めて考えてみたいと思いました。

ご先祖様に対して、仏教ではどのような考え方があるのでしょうか?

もしまたご覧頂けるようでしたら、お教え頂けたら幸いです。

この度は有り難う御座いました!

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