好物を「神に捧げた」と言ってしまった
大好物を我慢するために「神に捧げた」と言ってしまい、食べられなくなってしまいました。
初めて質問させていただきます。
以前勤めていた職場の上司が禁煙を始めた際、私も自主的に、大好物のある洋菓子を我慢することにしました。
上司への好意や応援・尊敬の気持ちから行ったのではなく、自分が物凄く仕事の出来ない部下であったため、「実はあなたが我慢している間、私も好きなものを我慢して頑張っていたんですよ」という見当違いの努力をいつかアピールしたいという下心から始めたことだったと思います。
毎日のように食べていた大好物のその洋菓子は太りやすく、あまり健康に良いとは言えない食べ物のため、ダイエットも兼ねて、家族や周囲には「〇〇(大好物)は神に捧げた(ので食べない)」と公言し、実際に我慢してきました。
しかし上司が禁煙をやめ、以前の職場を退職して努力アピールの機会や理由を失ったにもかかわらず、1年以上大好物を食べていません。
食べたくてたまらないのに、食べるのが怖くなってしまいました。
覚えていないのですが、何かのお参りの際に大好物を我慢することを「願掛け」的に神様にご報告してしまったかもしれませんし、何より「神に捧げた」という表現を何度も使ってしまったため、その食べ物をいま自分が食べてしまったら、何か自分や大切な人にとんでもないバチが当たるのではないかと怖いのです。
その恐ろしさと、また大好物を食べたいという気持ちが葛藤しています。
小さい願望で本当に情けないのですが、この世で1番大好きな洋菓子なので、一生食べられないと思うと悲しくてなりません。
一度でも「捧げる」などと言ってしまった自分の考えのなさを後悔するばかりです。
しかし他方で、あんなに捧げると言って我慢してきたのにまた食べ始める意志の弱いやつ、と周囲に白い目で見られることが恥ずかしい気持ちもあり、自分の浅い行動への報いとして、もう二度と食べない方がいいのか?とも思い苦しくなります。
神に捧げた、という言葉を使ってしまったこの葛藤について、何かアドバイスを頂けましたら幸いです。
お忙しい中恐れ入りますが、何卒宜しくお願い申し上げます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなた次第です
ドードさん、凄いですね。好きなものを目的のため止めれる意思の強さ。私は恐れ入ります。好きなものを止めれば願いが叶うわけでなく、好きなものをとる時間と労力、おかねを目的に使ったのです。目的が終了して、好きなもの要りますか?食べたいですか?時間や労力をかけたいですか?したいならどうぞあなたの人生です。神や仏はあなたの中にいます。あなたが神様です。あなたが後悔しないなら、あなたの意思に従ってください。
「断ち物」と願掛け
神仏に願掛けするために、「断ち物をする」という行為は民間信仰としてかなり古来からあるものです。似たような願掛けに「お百度踏み」というものもありますね。
「神に捧げた」という言い方は、決しておかしくありません。まずい使い方ではありません。あなたの真摯さが伝わる表現だと思います。
断ち物といっても、一生涯其れを貫く場合もあります。しかし、多くの場合は「期限付き」です。
子供の大学入学を祈って、合格発表まで酒を断つ。
妻のがん手術の成功を祈って、手術が終わるまで好きなタバコを断つ。
あなたの場合、真の動機は別にあったとは言え、「上司の禁煙の励みとなることを願って、好物のケーキ断ちを宣言し実行してきた。」 とても立派な励ましだったと思います。私の考えとしては、会社を退職した時点で「断ち物の期間は終了した」と思います。ですから、その後続けて居られたことは、失礼な表現になりますが、惰性だったと言えます。
今後もケーキ断ちを続けるのも自由だと思いますが、無理に続けなくても神様は咎めないと思います。カロリー過多な食生活は良くないですが、たまに好物のケーキを味わうことは何ら問題ないと思います。
多少の自己顕示欲があったとしても、「断ち物をして上司を励ましたこと」を神様は褒めてくれますよ。決して怒ったりはしません。
質問者からのお礼
大鐵様
早速のご回答をいただき、誠にありがとうございました。
私は意思が弱いからこそ、自分で決めた物事を自分の判断で終わらせる勇気が持てない‥‥‥と思っているので、勿体無いお言葉をいただいてしまいました。
ありがとうございます。
神様・仏様は自分の中に居て、それをひっくるめた自分が、大好物を再び食べることを後悔するか・しないか、ということですね。
よくよく考えてみます。
お忙しい中、本当にありがとうございました。
恐れ入ります。
自分の考え方がかなり凝り固まってしまっているので、可能でしたら引き続き、様々な皆様のご意見等をお伺いできましたら幸いです。
誠に勝手ながら、お時間がございましたら、引き続きご回答をいただけますと有り難く存じます。
吉田俊英様
お忙しい中ご回答をいただき、誠にありがとうございました。
励まし、と言っていただくことがとても恐縮です。
自分の仕事のできなさについて、嫌味な言い方ではなく、本当に厳しく叱責してくださる上司でした。
その方に対して自らの業務能力を高めることで応えようとするのではなく、「少しでも私に良いところがあると思って欲しい、もう少しでも友好的になりたい」という、方向の間違った「努力」を、下心満載で行った自覚があります。
だからこそ余計に、大好物を徹底的に我慢することで自分に厳しくしているような感覚を常に感じていたかったのかもしれません。
(自分はこれだけやっている、と。)
退職によって、願掛けの期限は終了しているというお言葉をいただき、少し心が楽になりました。
様々なご意見を伺うことができ、大変ありがたく思っております。
お忙しい中、新たな視点をお示しいただき、誠にありがとうございました。
お忙しい中、自分の葛藤に目を通していただき、誠にありがとうございます。
よろしければ、どのようなご意見等でも、引き続き多くの皆様にお伺いできましたら幸いです。