友達を汚したくない
高校生以降に出逢った人たちとうまく話せません。
私は小学生の頃、いじめっ子でした。
案の定周りから復讐され、もういじめはしないと決め、今は改心しています。
しかし、それからずっと本当の友達が出来ずにいます。
友達だと言ってくれる人はみんないい人ばかりです。
だからこそいじめっ子だった汚い自分と関わることで、友達の綺麗な心を汚してしまうのではないかと不安です。
その結果、友達と最近は距離を置き始めています。
いじめをした人間は一生孤独に生きていくことが正解な気がしてなりません。
誰とも関らず生きていくことは不可能ですが、出来るだけ誰も汚さず生きていきたいです。こんな汚い私がこの世界の中で存在していい場所はどこなのでしょうか。
どこに行ったとしても誰かを汚してしまうのでしょうか。
こんな人生捨てて、もっと真っ新な人間に生まれ変わりたいです。
今世は幸せな人生を諦めたのですが、来世は幸せになりたいと思っています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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そもそもの「いじめっ子」の発生源
こんにちは。
あなたは、前回の質問で「いじめた相手には謝り、許してもらい、その後は普通に接して」いたと書いています。この意味では、いじめたことへの罪悪感、後悔、謝罪、償いをしたと言えると思います。
ただ、あなたの一番の問題の核心は、前回質問の次の文章です。
「いじめを始めた理由は、家で自分の居場所がなく、学校で確実に自分の居場所を作る為に誰かを標的にすることで仲間を得ようとしたことが原因」とはっきり書いていることです。
つまり、あなたは小学生の頃に家族との関係が上手くいかなかった。
それは今も上手く行っていないのではないですか。
ご両親の愛情に満たされて、心に余裕のある家庭。
逆の言い方をすれば、両親が頻繁にイライラしていたり、不和であったり、家庭の会話の中で人を貶めたり、批難めいて言ったり見たりする攻撃的姿勢がない家庭においては、「家で自分の居場所がな」いという状態にはなりません。
「学校で確実に自分の居場所を作る為に誰かを標的にする」。
それは、他者を攻撃することでしか、自分の「居場所」が作れなかった。心の寂しさ、或いは家庭の影響から、自分は攻撃的になる以外に「居場所」を作る、或いは人と関わる方法が見つけられなかったのではないでしょうか。
「小学生の頃、いじめっ子」であった事実は消せません。
「人生捨てて、もっと真っ新な人間に生まれ変わり」と書いていますが、どんな方法で「人生捨てて」も、「来世」においても自分の業(ごう:行い)は引き受けていかなければならないのです。
だから、人生を白紙に戻すということは、現実的でもないし、建設的でもありません。あなたは、そもそもの「いじめっ子」の発生源たる「家」に向き合う必要があります。
カウンセリングの先生に相談して、親御さんとの関わり合いを含めた取り組みをするのが適切です。