菩提寺のお坊さんのこと
我が家の菩提寺のお坊さんのことについて相談したと思います。
尼さんで、嫁ぎ先の普通の家庭(サラリーマン家庭)に住んでいらっしゃいます。
お勤めの時にお寺へいらっしゃるようです。(お寺は先代がお一人で住まわれていらっしゃいます)
年齢(70歳前後)を理由に2~3年前よりお彼岸廻りもお盆廻りもされなくなりました。
私は昨年、息子と義父を見送りました。
枕勤めもお通夜も、遺族でと言われ、葬儀のみ来ていただきました。
葬儀の後、初七日含め49日までのお勤めをまとめてして頂きました。
息子は49日と初盆をまとめてしました。
まとめて、と言うのはお坊さんから言われてのことです。
義父は今年が初盆になりますので、日取りのお電話をしたところ「初盆されますか?」と言われ「出来ればしてあげたい」と伝えたところ「どうしても、と言われればやらない事も無い」と言うような反応でしたので無理なお願いするのも、と引き下がってしまいました。
最近は簡単にまとめて、とか、省略される方もいらっしゃると言うことは聞いたことがあります。しかしながら、お仏壇のある家庭に生まれ育ち、嫁いだ今の家庭もお仏壇があり、ずっとお世話させていただいてきました。熱心な信者とは言えませんがそれなりに信仰心はあるつもりでいます。
また、遺族が簡単に済ませたいと思うことの否定の気持ちはありませんが、遺族がきちんとしたいと思っているのにお寺さんの方から簡単に済ませる事への不満が少なからず沸いてしまいます。
息子のことは、出来ればひっそりと、と言う思いもあり私達が供養してあげればいいとも思っています。ただ、義父は「お葬式は派手にしてくれ」と生前言っていたこともあり、お寺への寄付なども他の檀家さんよりも多くしてきたりと言う人でしたのできちんとすることを望んでいるように思っています。
これからもお付き合いしていかなくてはなりませんし、不信感など持ちたくはありません。浄土真宗はお盆のお迎え(?)などはいらないとも聞いたことはありますが、その辺りのことも含めてご教授いただければ幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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簡略化は南無阿弥陀仏のお心に触れる機会を減らすこと
こんにちは。
先ずは、お悔やみ申し上げます。
身近な方をお二人も相次いで見送られて、深いお悲しみ中にお暮しでしょう。
さて、「遺族がきちんとしたいと思っているのにお寺さんの方から簡単に済ませる事への不満」というお気持ち、ごもっともです。「49日と初盆をまとめて」というのはまだ分かります。49日がお盆月に該当、或いは近い場合は私もご一緒にどうですか、と勧めます。
「葬儀の後、初七日含め49日までのお勤めをまとめて」というのは、解せません。私は、過去そういう依頼があった時、断りました。そもそも初七日でさえ繰り上げているのに、49日まで葬儀当日に繰り上げるという事は、あまりに簡略化が過ぎると考えるからです。それを、「お寺さんの方から」というのは、宜しくありません。
「これからもお付き合い」という前提なので、「出来ればしてあげたい」という意向を強く伝えて、仏参をしてもらった方が宜しいと思います。
「浄土真宗はお盆のお迎え(?)などはいらないとも聞いた」とあります。
浄土真宗では、確かにそうです。
お盆の特定の期間、亡き人が帰ってくるのを「迎え」て、また送り出していくという考え方ではありません。この為、亡き人の乗り物としての足のついた茄子や胡瓜を供えません。
これは、次のような考えに基づいています。
亡き人が極楽へと往かれ、阿弥陀如来様のお心を弘めるお手伝いをされる身となった。故人はいつもお念仏する私と共にあって、お念仏を称(とな)えよ、阿弥陀仏を拠り所にせよとお勧め下さっている、と捉えます。この為、お盆という特定の期間に身近に思うのではなく、一年中身近に思うのだというのがその教えです。
浄土真宗では、ご法事もお盆も同様の意味にて行います。
それは、故人が私に勧めている南無阿弥陀仏とは何か、なぜお念仏を称(とな)えよ、阿弥陀仏を拠り所にせよとお勧め下さっているのかに触れる為です。この目的を果たすために、僧侶は読経の後、きちんと法話をしてその訳合いを明示する必要があります。
この意味でも、簡略化は南無阿弥陀仏のお心に触れる機会を減らすことですから、宜しくありません。極楽へ往かれた故人も、仏事を勤め法話を聞くことを何より望んでいる、と捉えていただければ。
追記
お気持ちをお供えさせて頂きます。
また、ご相談ありましたらお寄せ下さい。
ありがとうございます。の心
ご質問拝読いたしました。
社会通念や常識で、
考えたらハッキリすると、
思います。
ご依頼を賜れば、
ありがとうございます。
と愚拙は必ず御礼を
申し上げます。
尊い御縁に感謝ですよね。
有り難いです!
先程も一周忌の法要を
させていただいた方から、
三回忌のご法要を
承りました。
お盆の忙しい時期にと、
恐縮されましたが、
御指名でしたので、
他は副住職や役僧さんに
行っていただいても、
愚拙が必ず参りますと、
申し上げました。
御縁をいただけて、
本当に有難いです。
いまは亡き方は
お浄土からこの御縁に
あわせていたたぎ、
私たちは
なかなか合わせることない
両手を合わせて、
南無阿弥陀仏と、
唱えさせていただくのです。
愚拙なら、
御縁に感謝できないところとは、
付き合いませんね。
封建時代ではないので、
どちらとどのように、
付き合おうと、
自由ではないでしょうか?
信仰や信心は、
心を解放して、
自由にそして幸せに、
なることだと思います。
お浄土にいらっしゃる
皆様はどう見て、
いらっしゃるでしょうかね?
おそらく苦々しく、
思っているのでは、
ないでしょうか?
御供養とは、
おもてなしです。
ありがとうございます。
と思えるのが、
御供養だと思います。
どうか、
フレキシブルにお考え、
くださいませ。
亡き方を御縁として、
仏さまに会わせていただける、
ありがたいから、
両手を合わせて、
御念仏をいただく。
お付き合いする必要が
あるかどうか、
お考えくださいませ。
どうかお幸せに
お過ごしくださいませ。
御縁に感謝!
ありがとうございます。
残念ですが
その菩提寺は人出が足らなくて
ご門徒さんの信仰心に応えられない状況だと思います。
浄土真宗の御法事は
亡き人のためではなく
まだ娑婆を生きなければならない我らが
いのちの意義に気づくためのものです。
徳を積んでいくようなものではありません。
七日参りも忌明けもお盆もそうです。
今後も
あなたの信仰心に応えてくれないようなら
お寺を変えることも仕方ないことと思います。
質問者からのお礼
ご回答いただき、ありがとうございます。
かなりの田舎でご近所は皆、同じ檀家さんという所へ住んでいますので、お寺を変えると言うことは出来ないのだと思っていました。ご近所付き合いにも差し障りがありそうだとずっと思っておりました。
「どうしてもと言うならやらないでもない」と言ったニュアンスでいやいやお勤めされても亡くなった義父に失礼だと思っていました。
法事や供養、お念仏を唱える意味についてお教えいただき、やはり遺族の気持ちを大切にして頂けるお寺さんであってほしいという気持ちがさらに強くなりました。
色々と難しいかもしれませんが、親族と話し合ってみたいと思います。